学び!と人権

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部落差別と同和教育(その3)
2021.12.06
学び!と人権 <Vol.07>
部落差別と同和教育(その3)
森 実(もり・みのる)

 今回は、部落差別と同和教育について論じる第3回となります。前回までの2回を通して、現在の部落差別の実態、法律の制定をはじめ政府や行政の動き、部落差別をなくすための課題と教育の果たすべき役割を紹介してきました。今回は、それらを受けて、同和教育が大切にしてきたことについて述べます。同和教育の取り組みは、日本で人権教育を進めるというときにスタンダードとされるべきです。歴史的に言っても、同和教育が日本の人権教育を牽引してきましたし、実践の枠組みや具体的方法を早くから形成してきたからです。

[1]生活をふまえた仲間づくり

 同和教育のなかで大切にされてきた一つは、生活をふまえた仲間づくりです。なかよしになることと仲間になることとは異なります。なかよしというのは、けんかもせずにニコニコつきあっているという感じでしょう。それに対して仲間というのは、同じ志をもって取り組んでいこうとするという感じです。同和教育の場合、それは「差別をなくす」という共通の志です。今風の言葉で言えば、仲間とはアライ(ally)であり、仲間づくりとはアライを広げることです。
 そういう意味での仲間の必要性は明らかです。いまの社会では、さまざまな差別をはじめ、人と人との関係を断っていくような力が働いています。部落差別もその一つで、関係を引き裂く方向に力が作用しています。そういうなか、部落出身者とそのほかの人たちが力を合わせて部落差別をなくすために取り組み続けるというのは、なかなかにチャレンジングなことです。一つひとつの事象にはさまざまな側面があり、一人ひとりは事象をさまざまな角度から見ているのですから、取り組む人たちの間で対立が発生するのはある意味で当然です。対立を乗り越えて一つの方向をめざします。対立のない仲間というのは、ほとんどあり得ません。対立を乗り越えるすべを身につけることが不可欠です。逆に、対立がないかのように振る舞うことの方が不自然で、ごまかしがあると言ってもよいほどです。
 そういう状況であることをふまえて、お互いの関係を作り直していくうえで、大切なのは、生活をふまえた仲間づくりを進めることです。「生活をふまえた」というのは、一人ひとりを学校のなかで見える一面的な姿だけではなく、家での暮らしも含めてまるごとの姿で捉えようとすることに他なりません。これには、いろいろな方法があります。

①生活ノート

 一つは、生活ノートのやりとりです。同和教育で言う生活ノートとは、教員と子どもの間を行ったり来たりするノートで、そこには子どもたちの生活や、そのなかで考えたり感じたりしていることが書かれているというものです。教員は、子どもたちの書いてきたノートに返事を書いて返します。1クラスに30人とか40人とか、子どもたちがいますから、そのすべてに返事を返すというのは容易ではないと思う人が多いでしょう。いくつかの工夫によって、それが可能になります。
 一つの工夫は、暮らしや悩みを綴らなくても良いノートとして設定しておくことです。自学自習ノートなどと呼んで、家で自習するときに用いるノートにすることです。漢字の練習をしたり、因数分解の問題を解いたりするわけです。もちろん、暮らしや悩みを書いてもいい。こうすれば、悩みの多い子どもたちがどちらかと言えば生活を綴る方向に傾きます。これには返事を書きます。少なくとも、子どもたちの書いた分量は返事として返します。勉強が得意で特段の悩みがないという子どもは教科の問題を解いてくる方に傾くでしょう。教科の問題に取り組んだときは正誤判断も自分でやってもらいますから、こちらには、「見ました」という検印だけでOKです。
 もう一つの工夫は、毎日出さなくてもいい、たとえば1週間に2回出せばいいというやり方です。こうすることで、1日に出すのはクラスの半分ぐらいになります。40人いたとしても20人です。そのうち、勉強の得意な子が勉強に力を入れて書いたとすれば、返事を書く必要が出てくるのは、生活を書いてきた残りの10人ほどということになります。これならいけそうな気がしてきませんか。
 さらなる工夫は、返事の書き方です。生活ノートと言っても、子どもが最初から深刻な悩みを書いてくることはほとんどありません。アイドルのことやテレビドラマのこと、ゲームのことなどばかりかもしれません。これに付き合うのは、大人としてなかなかむずかしい。しかも、変に付き合おうと努力してゲームについての返事を書いたりすると、子どもはさらに喜んでゲーム路線で書いてくるかもしれません。こういうときは、そのテレビドラマやゲームを手がかりに、教員が自分の暮らしをさりげなく書いて返すことです。「その番組の時間帯、先生の家では赤ちゃんがお風呂に入っていた……」などと返すのです。そうすれば、「先生はこんな暮らしをしているんだ」と伝えられますし、「このノートにはこんなことを書いていいんだ」というメッセージを届けることにもなります。
 このあたりになると、疑問を抱く人も出てくるかもしれませんね。教員がそんなに子どもの生活に立ち入ってもいいのでしょうか。いいのです。前回の連載で書いた、プライバシー権についての考え方を思い出してください。プライバシー権とは、自分に関する情報は自分でコントロールできるという権利でした。重要なのは、この点です。子どもたちが自分に関する情報を自分でコントロールできるということです。子どもたちは書いても書かなくても良いのです。書いてみようかと思ったときに書ける状態をつくっておくことが大切です。書いてみて先生からすてきな返事が来たら、ちょっとうれしいかもしれません。それで「また書いてみよう」となるかもしれないのです。現代的プライバシー権は、そういうときに書きたければ書く、書きたくなければ書くのをやめるという判断をできなければ行使できません。
 教員によっては、子どもたちが書いた内容をクラス通信に掲載したりします。他の子どもから内容を受けとめたメッセージが返ってくればさらにうれしいでしょう。このときにも、本人に一つひとつ確かめて掲載を決定しなければなりません。もっとも、毎回確認は大変なので、年度の初めに「このノートに書いたことは学級通信に載ると思っていてください。それは困るというときには、『これは載せないで』と書いてください」と子どもたちに伝えておくことで子どもたちは安心して書きやすくなります。学校だけでは見えなかった暮らしが子ども同士で交流されるようになれば、子ども同士はつながりやすくなります。
 子どもにとって、ときには期待したような答えが返ってこないこともあるでしょう。誤解されてつらい思いをすることもあるかもしれません。でもそれが学級内なら、教員がある程度フォローしたりカバーしたりすることができます。SNSで誰かまったくわからない人から攻撃されるのとは異なります。いわば、守られた空間でやりとりしているのです。だから、そういう思いがけないことによる傷は最小限にとどめることができます。
 こういう活動を重ねることによって、子どもたちには自分で自分の情報をコントロールする力が育っていきます。少し自己開示をしたら、それを受けとめてさらに深いメッセージが返ってきた。そうすれば、またその人に自己開示をしてみたいと思うのではないでしょうか。どういうときに自分の情報を開示すれば良いのか、どういうときにはしない方がよいのか。そういう判断力が育つのです。これはプライバシー権を行使するための力を子どもたちに育む実践だということができます。いわば情報教育の最前線です。
 このことは、生活ノートであれ、SNSであれ基本的に同じです。生活ノートで判断できるようになった子どもたちなら、SNSでも判断できるようになりやすいはずです。自己開示の楽しみと気まずさを味わった人なら、SNSでも気をつけながら、必要に応じて自己開示するというスキルを身につけやすいはずです。逆に、ふだんは自己開示などぜんぜんする機会がないという人が、「匿名だから」とネット上で弱みをさらし、限度なく自己開示をする。そのあげくに誰かから攻撃される。そういう危険を避けやすくなります。

②班活動を組み立てる

 日本の学校では、班活動はきわめてありふれた存在になっています。最近でも、学生たちに「小中高校で班活動を経験したことがある人は手を挙げてください」といえば、ほとんどの学生が手を挙げます。
 ところが、その班活動のなかみを聞いていくと、さまざまに分かれます。
 ひとつは、掃除当番や給食当番などを決めるための班です。ほとんどの学生たちはそういう班を経験しています。ここであまり説明の必要もないでしょう。
 もうひとつは、子どもたちからやりたいことを出して、それをもとにグループ分けしていくという班です。こちらは、班活動というよりも「係活動」という言葉で知られているかもしれません。たとえば、園田雅春さんは、現役の小学校教員だったころに、子どもたちの要望に基づいて動物園・農協・銀行・新聞社などからなる係をつくって、学級活動を展開していました。こういう班活動を経験している学生は減ってきており、最近では10人に1人ぐらいです。そういう経験をした学生は、だいたい生き生きとそのときの経験を語ります。
 さらにもうひとつの班活動があります。それは、生活班と呼ばれます。子どもたちは、朝登校してから下校するまでをだいたいこの班で過ごします。授業中はこの班で授業に臨み、休憩時間にはこの班で遊びます。この班では生活ノートを回して、子どもたちが互いの暮らしを書いたりします。堅苦しいと思う人もいるかもしれませんね。でも、この活動を重ねることによって、子どもたちが劇的に変わることがあります。同じ班のメンバーの暮らしや思いに触れて、自分の見方が間違っていたことに気づき、その子を応援したり、実情をわかりつつ叱咤激励したりするようになるのです。こういう班活動を経験したことがある学生は2割ぐらいでしょうか。
 同和教育で推奨されるのは、この二つめか三つめの班活動です。あるいは二つめと三つめを組み合わせた班活動という方がわかりやすいかもしれません。
 重要なのは、子どもたちがお互いの生活を知るようになり、そこから相手に対する見方を変え、より深い関係が生まれるように働きかけることです。こんな実践例があります。ある教員から聞いた話です。クラスで目標を定めます。たとえば、「忘れ物ゼロをめざす」などです。このような「全員が……」という目標設定をすると、少なくともはじめはヤル気になることが多いものです。ところが、やり始めると決まった子が宿題をしてこなかったり、忘れ物をしてきたりすることがわかってきます。「あいつがいるせいで……」という気分が出てくる。ここが分かれ目です。放っておけば、その子を非難する声が上がるばかりになるかもしれません。クラス活動の目標は、非難することではありません。すべての子どもが忘れ物をしない状態を作ることです。そのための作戦を立てるよう、子どもたちに働きかけます。たとえば、電話をかけて忘れ物がないかチェックする。それでも忘れ物をしてきたら、登校前にその子の家に行ってチェックする。必要ならば、その子の家に上がり込んで忘れ物がないように一緒に準備します。そういう活動をするようになると、その子の暮らしが見えてきます。なぜ忘れ物をするのかもわかるでしょう。暮らしがわかってくれば、まわりの子どもたちはその子を応援したり、叱咤激励したりしたくなります。ここからも詳しく書けばおもしろい取り組みがいろいろと出てくるのですが、紙幅の関係もあり、ここまでとさせていただきます。

③協働を位置づけた授業

 授業のなかでも仲間づくりが重要となります。近年では文部科学省も「主体的、対話的で深い学習」などと言うようになっています。一人学習、二人学習、グループ学習、全体学習などを組み合わせることの大切さもよく語られます。子ども同士の協力を育むうえで同和教育が重視するのは、どのような子どもを中心に据えて授業を展開するのかという点です。社会的に不利な立場にある子ども、学習面で困難を抱えている子、対人関係が得意ではない子など、さまざまな観点で弱い立場にある子どもたちに焦点を合わせて授業を組み立てるのです。このことは、その子たちが落ちこぼれないようにするためだけではありません。おもな目的は、その子たちのつまずきや問題意識を学級全体で共有することによって、他の子どもたちの問題意識やスキルが高まるようになることです。

[2]次回へ

 思ったよりも長くなってしまいました。まだまだ仲間づくりをめぐって書きたいこともあるのですが、そういうわけにもいきません。部落問題学習についてだけは書いておきたいのです。そこで、次回ではもう1回部落差別をテーマとして、今度は部落問題学習について述べることにします。