学び!と人権

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外国人の人権と教育(その1) 「外国人」って誰?
2022.09.05
学び!と人権 <Vol.16>
外国人の人権と教育(その1) 「外国人」って誰?
森 実(もり・みのる)

①子どもの頃をふりかえって

 わたしが生まれ育った地域には、いろいろな人たちが住んでいました。大阪と神戸の間、阪神間の下町です。工場がたくさんあり、そこで働く人たちのなかには、さまざまな地方から阪神間にやってきた人たちがいました。
 たとえば、奄美大島から来た人たちが、近くの広場で毎週日曜日に運動会を開いていました。その運動会は、お互いを支え合い、相談に乗るコミュニティづくりの場だったのでしょう。わたしは、その運動会で流れる奄美大島の音楽を小さい頃から聴いて育ちました。それから40年以上たって初めて実際に奄美大島を訪れましたが、空港で流れていた曲は、わたしが幼い頃に毎週聴いていた曲で、懐かしく感じました。
 九州の炭鉱地域からやってきていた人たちもいました。1950年代終わりころから炭鉱が閉山に追い込まれ、炭鉱で働いていた人たちが九州を離れていきました。そのなかに、阪神間にやってきた人たちもいました。わたしの近隣では文化住宅に住むようになった人が多かったように思います。
 わたしの両親は、兵庫県の北部にある農村地域から阪神間にやってきました。第二次世界大戦が始まる前に結婚して移住し、阪神間に住むようになりました。わたしは両親のことを「国内移民労働者」だと思っています。さしずめわたしは「国内移民労働者二世」ですね。「移住」と「移民」の使い分けにはいろいろな意見があります 。ここでも「移住労働者」と言ってもよいかもしれませんが、問題を国内外でつなぎたくて「国内移民労働者」と称しています。兵庫県の北の方のことばは、阪神間のいわゆる大阪弁とは大きく異なります。幼かったわたしには、田舎からおじさんが来たときに両親と話しているやりとりはほとんど理解できませんでした。
 そういう近所のいろいろな人たちのなかに、朝鮮半島から来た人たちもいました。でも、上にあげた人たちに比べると、だれが朝鮮半島から来た人なのかはあまりわかりませんでした。ときおり「○○さんは朝鮮人だ」といったうわさがまわりから流れてくることはありました。高校生になった1970年ごろ、「わたしは在日だ」とはっきり主張する生徒たちが出てきました。同じクラブには、何人も在日の生徒がおり、本名(民族名) でなく通名(日本風の通称名)で過ごしている人が多かったものの、在日であることを隠しているわけではありませんでした。けれども全体としては、「誰が在日なのか」ということは、はっきりわからないままだったと言わなければならないと思います。いまを去ること数年前に、高校のころの同窓会が開かれましたが、そのときに初めて、「自分は在日だ」と言った人がいました。40年ぶりの出会い直しで、嬉しい再会でした。
 わたしが生まれたのは1955年です。第二次世界大戦が終わって10年たち、「もはや戦後ではない」と言われたころです。在日韓国・朝鮮人の一世が日本にやってきたのは、その10から20年ほど前、つまり1935年から1945年ぐらいが多い といえます。言い換えれば、わたしが同級生として出会った在日の人たちの親の多くは、同級生たちが生まれる10から20年ほど前に日本に来ていたことになります。同級生の親たちのほとんどは在日一世で、大阪弁は得意でなかったでしょうが、在日二世の同級生たちが話している日本語を聞いていて、違和感を抱くことはまったくありませんでした。その同級生たちは、大阪弁ネイティブだったということです。考えてみれば、わたし自身も、親は大阪弁ネイティブではありませんでしたが、わたし自身は大阪弁ネイティブでした。
 わたしの場合は以上の通りなのですが、こんな風にふりかえってみるだけでも、いまの日本の「外国人」をめぐる状況を考える手がかりが得られそうに思います。朝鮮半島などの旧植民地以外から来ている人たちも増えました。最近増えた外国にルーツをもつ人たちの場合も、すでに日本に来てから10から20年ほどたっているという人は少なくないと思います。わたしが子どもの頃に感じたような事柄をいま経験している子どもたちもいるように思えます。
 以上のように、わたしの体験をていねいめに書いたのは、読者の皆さんにも、「外国人」に関わる出会いや経験を思い起こしていただきたいからです。いろいろな人がいることと思います。思い出しても「外国人」はいなかったという人、「外国人」集住地域で育ったという人、自分自身が「外国人」だという人など、同じ校内の教職員の間で経験を交流するだけでも、いろいろなことが浮かび上がるのではないでしょうか。

②「外国人」と「日本人」

 さて、ここまでのところでは「外国人」とカギカッコをつけて記してきました。では、何をもって「外国人」と呼ぶのでしょうか。たとえば、上に出ているわたしの在日韓国・朝鮮人の同級生たちはどうだったでしょう。済州島を含む朝鮮半島にルーツをもっているということはほぼ間違いがないのかもしれません。けれども、日本国籍をもっていた(いる)人がどれだけいたかはわかりません。一方で、奄美大島から来ている人たちは、おそらく日本国籍をもっていたと思われますが、文化的に言えば阪神間とはかなり異なると思います。関西地方で暮らしていて、差別にあった人もいることと思います。
 ざっと考えてみて、わたしたちが誰かを「日本人」や「外国人」と見なすとき、それはどういう特徴にもとづくのでしょうか。一般的にいわれるところでは、次のようになると思われます。

  • 日本国籍をもっているかどうか
  • いわゆるルーツがどこにあるのか
  • 本人の外見や名前などの特徴が「日本的」か
  • 本人が自分を何人と考えているか

 さまざまな事例を通してこうした問題を考えることができます。いや、考えなければならなくなっています。たとえば、大坂なおみ選手が2018年の全米オープンで優勝したことをめぐる国内の反応 です。ある人がSNSで「大坂選手を日本人の誇りだとして賞賛する声がある一方で、外国にルーツをもつ人々が、ふだん差別を受けることがあるのに、都合のよいときだけ賞賛されるというのはいかがなものか」という声をあげました。それに対して、数多くのバッシングメッセージがその人宛に送られました。それに対するリプライもあり、とても参考になります。ふだんは繰り返し差別される一方、マジョリティにとって都合がよいときだけ賞賛される、というのは、他でもよくあることではないでしょうか。

③「人種差別」と「外国人差別」

 そのような点を考えるためにも、整理しておいた方がよいことがらがあります。それは「人種差別」と「外国人差別」の異同です。
 人類はもともと一つの種ですから、人類をさらに区分けした「人種」(race)は科学的な概念としてはありえません。人種というのは、生物学的な「種」(species)ではなく、社会的につくられた概念なのです。なお、ここでいう生物学的な意味での「種」とは、「自然条件下でAという個体とBという個体が繁殖でき、さらにその子供も繁殖可能であれば同種とみなす 」、つまり交配によって子どもが生まれ、その子どもが交配してさらに子どもができたとすれば同一の種だということです。生物学的な「種」という概念をめぐってはいろいろな議論がその後もありますが、とりあえずこれだけですませてもかまわないかと思います。
 ナチスによるユダヤ人迫害は、「ユダヤ人種に対する攻撃」として進められ、それがナチスの海外侵略へと結びつきました。ドイツなどでは19世紀にはユダヤ教信者とキリスト教信者の間での結婚も広がり、ユダヤ人差別というのはかなり緩んでいました。ところが19世紀末から20世紀初頭にヒューストン・スチュアート・チェンバレン などによって再構築されて「アーリア人種の優越性」主張と表裏の人種差別として広がっていったのです。人種差別と外国侵略は一体でした。そのため、第二次世界大戦後になると、ユネスコによって「人種」概念が再検討され、「人種」とは「社会的につくられた神話である」(1950年) とされました。そのような考え方を土台に人種差別撤廃条約が策定され、1965年に国連総会で採択されました。ナチス時代のヨーロッパにおけるユダヤ人は、皮膚の色でいえばいわゆる「白人」が多いのであり、「人種」と「皮膚の色」は別のものだということがわかります。
 「人種」(race)は存在しないが、人種差別(racial discrimination or racism)は存在する。これが人種差別撤廃条約の基本的立場だといえるでしょう。しかも、同条約が対象とする差別は、「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先」(第1条)であると定めています。ここでも、「人種」と「皮膚の色」は別なものとして捉えられています。また、「世系」という概念が位置づけられていることも重要です。「世系」とは、血統や血筋に関わる問題という枠組みをさします。これにしたがえば、日本の部落差別も「世系」という枠組みでとらえることができ、人種差別撤廃条約の対象となります。国連は一貫してそのような立場に立っていま す。ところが日本政府は、「部落差別は人種差別ではない」という立場を取っており、人種差別撤廃条約に関わる議論に部落差別を含めないという姿勢を続けています。それに対して、国連は、再三にわたって変更を求めています。
 これに対して「外国人差別」には「人種差別」と異なる面があります。問題を狭く「国籍による差別」と捉えれば、日本国籍をもたないことによる不利益に限定されるでしょう。現在の日本でいえば、参政権がないなどです。この点でいえば、日本も批准している国際人権規約は「内外人平等」の原則、つまり住んでいる国の国籍をもっているかどうかにかかわらず、人権は同じように保障されてしかるべきだという原則に基づいていますから、法的に外国籍の人が差別されているとすれば、それは大きな問題です。
 ただ、「外国人差別」には、もっと広い意味があります。「外国人差別」と訳される英語のことばはxenophobia(ゼノフォビア)ですが、これは「外国籍をもつ人への差別」ではなく、「外国人や異民族と見られる人に対する差別」です。日本における外国人差別にもこのような面が色濃くあります。大坂なおみ選手への反応などにもこういう面が強くあるといえるでしょう。そうだとすれば、これは人種差別とほとんどイコールになります。
 このような捉え方に基づいて、次回は、主として「国籍による差別」を中心に見ていき、次々回で「人種差別」を中心に見ていくことにします。

2021年7月13日にイングランド北西部のマンチェスターで、イングランドのサッカー選手・マーカス・ラッシュフォードの壁画の前で人種差別に抗議する人たち。この前日の7月12日、サッカーのイングランドチームが、 UEFAユーロ2020決勝で敗れ、壁画が破壊された。

【参考・引用文献】
・Shigeru Kojima氏「移民と移住者」(2017.8.8 Discover Nikkei)
・「在日コリアン」(ふらっと相談室 ウェブサイト人権情報ネットワーク)
・「在日韓国人・朝鮮人人数の長期推移」(ウェブサイト社会実情データ図録)
・Motoko Rich氏「大坂なおみ優勝で「日本人」の定義は変わるか 同質性へのこだわりもいずれなくなる?」(The New York Times 東洋経済オンライン)
・「種の概念」(京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所ウェブサイト)
・高橋健司氏「世界史教育における「人種」概念の再考ー構築主義の視点からー」(2005.3.5)
・「暴露された人種差別の誤謬:ユネスコが世界の科学者による宣言を発表」(1950年 ユネスコデジタルライブラリ)
・「人種差別撤廃委員会 日本の第10回・第11回定期報告に関する総括所見」(2018.8.30)