学び!と人権

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外国人の人権と教育(その3) ゼノフォビアとしての外国人差別
2022.11.07
学び!と人権 <Vol.18>
外国人の人権と教育(その3) ゼノフォビアとしての外国人差別
森 実(もり・みのる)

①ゼノフォビアとは?

 「外国人差別」というときに「日本国籍を持たないことによる差別」と「国籍に関係なく海外ルーツの人だということに関わる差別」があると述べました。そして、前回には「日本国籍をもたないことによる差別」を取り上げました。今回は、国籍に関係なく「海外ルーツの人だということに関わる差別」を取り上げます。このような意味での外国人差別を英語圏ではゼノフォビア(Xenophobia)と呼びます。人種差別の一つであるといえるでしょう。ヨーロッパではゼノフォビアの広がりが大きな問題となってきました。いわゆる右翼政党の台頭などです。
 羽場久美子 さんによると、ヨーロッパでのゼノフォビアの広がりには社会的背景があります。ヨーロッパ各国にはEU内外からの移民が増えてきました。当初は低賃金の肉体労働につくことが多かったのですが、次第にホワイトカラーの仕事や専門職に就く人たちも増えてきました。肉体労働だけが多かった時期にはまだゼノフォビアは限定的でした。ところが、ホワイトカラーや専門職につく外国人が増えるもとで、ゼノフォビアが広がってきたのだといいます。
 ゼノフォビアが広がる原因は、海外からの労働者により自分たちの仕事や生活が脅かされていると感じるところにあります。外国から来た人たちの仕事が肉体労働中心であれば,国内の技能労働者の階層にとっては脅威となりますが、事務職や専門職に就いている中産階級の人たちはむしろ生活を助けてもらっているという思いを持ちやすかったかもしれません。ところが、ホワイトカラーや専門職にも外国から来た人たちが就くようになると、中産階級の人たちにとっても脅威となるというのです。これが、ヨーロッパでゼノフォビアが広がり、右翼政党が得票率を伸ばしている背景だと羽場さんは言います。
 ゼノフォビアの端的な行動は外国人の殺害や傷害です。しかし、その土台には、人種差別についての「憎悪のピラミッド」で言われる「先入観による行為」 があります。わたしたちはみな先入観をもっており、知らず知らずのうちにそれを「意図せぬ差別言動」として表現し、人を傷つけます。「意図せぬ差別言動」に関わって、マイクロアグレッションやアンコンシャスバイアスといった概念が紹介されていますが、これらの概念はこの「先入観による行為」に焦点を合わせています。この土台の段階で的確に対処することにより、ゼノフォビアや人種差別がエスカレートすることを妨げます。ピラミッドの上の方まで行為が激化してから取り組むのは困難です。それよりも「先入観による行為」により「意図せぬ差別言動」が発生している状態で働きかける方がまだ容易だといえます。
 日本ではどうでしょうか。日本の外国人受け入れ政策で繰り返し語られてきたのは、「これは移民ではない」ということでした。移住労働者なら、数年働けば帰国するという前提で対応できます。低賃金でも不満は顕在化しにくく、外国人差別があっても訴えにくく、日本語の保障などもとりあえずでよいことになります。社会的・政治的発言が制約されていても、やむを得ないと感じやすいといえます。その典型的な政策が技能実習生でした。現に技能実習生や日本語留学生が学ぶ日本語学校では、授業の成り立っていないところも少なからずあるといわれます。ところが、移民なら、その人たちは生涯にわたって日本で暮らす事を前提としなければなりません。仕事を持ち、日本で住居を構え、家族を呼び寄せて、日本で子どもを育てます。こうなれば、日本社会への発言権の保障を求める構えが生まれやすいでしょう。日本語を学ぶというのはそういう人たちにとって様々な問題を解決する入り口にはなりますが、彼らにとって本当の課題はそのさらに奥に控えています。就労・住居・福祉・教育・アイデンティティ・選挙権などです。そこまで考えた政策はどれほど練られているのでしょう。

食品加工工場で働くベトナム人技能実習生

 日本では、高齢化が進み、2060年になると高齢者率が40%に達する という政府の見積もりがあります。その間、出生者数は減少するとみられており、結果として生産年齢(15~64歳)の人たちが占める比率は下がることになります。そうなると、海外からの人たちに頼らざるを得なくなります。今後とも外国人労働者の流入を受け入れ続けると2050年には人口の24.3%を占める可能性がある との意見があります。4人に1人が海外ルーツの人になったとき、今のわたしたちの意識や日本社会のあり方で問題なく社会が進んでいくのでしょうか。
 国際交流という観点から地域の日本語教育に取り組んでいる人に話を聞いていると、ときとして「外国からの人たちに早く自立してほしいという思いで、日本語学習支援活動に取り組んでいます」といった発言が出ます。でも、とりもなおさず日本社会こそが、外国からの人たちに依存しているのです。

②ゼノフォビアに関わる教育実践

 以上のようにゼノフォビアに関わる実態や構造を見れば、この問題に取り組むことが重要であると同時に急務であることが明らかだと思います。容易ではなくチャレンジングなことだといcう思いも共有できるのではないでしょうか。では何ができるでしょう。
 この問題だけではないのですが、こういう多様性尊重という問題に関連する教育は、次のような流れで組み立てることが大切だといえます。

自分が生きている価値の実感(自己についての肯定的態度)
お互いの間にある違いの自覚と尊重
人権侵害の歴史的・社会的背景と当事者の生き方の学習
様々な人権課題の解決に共通して必要な概念や枠組みに関する学習
(自尊感情・自己開示・偏見・悪循環・平等観・特権など)
具体的な場面での行動力の育成
人権が尊重される社会づくりにつながるような行動力の育成

 もちろん、いつもこの順番通りに進むわけではありませんが、基本的な流れとしてこの組み立てをイメージして取り組めば、子どもたちは自己を肯定することから出発して、互いの違いを認識し、さまざまな人権課題に共通する概念を習得したうえで、人権実現のためにどう行動すればよいのかを考え、そのための行動力を身につけやすくなります。(これは、文部科学省の「人権教育の指導方法等の在り方について【第3次とりまとめ】」(第Ⅱ章第2節(3))に出てくる内容でもあります。
 上の①から⑥のうち、小学校低学年では①や②が重視され、高学年になるにつれて③や④、中学校になれば⑤や⑥が重視されることが求められます。また、一つの学年で考えても、①や②は年度の初めから土台として積み重ねるべき事柄であり、そこへ後の③以下の学習が重ねられていくべきです。③や④の学習は、一見するとむずかしいと思われるかもしれませんが、それぞれの学年に応じた学び方があります。低い学年であれば、歴史や概念は簡単な枠組みで学ぶに止まるかもしれません。高い学年になればなるほど、歴史や概念は精緻におさえるべきです。
 さらに、この①から⑥の流れにあっては、身の回りで起こった問題にどう対応するかという行動力と、社会づくり全体をめざす行動力とを分けていることも見逃せません。従来から「学んだことが行動につながらない」と繰り返し嘆きの声が聞かれましたが、わたしたち自身が、どれほど具体的に行動力を育む学習内容や学習方法を編み出してきたかを問うべきです。
 こうした事柄は、多様性教育 として整理されており、具体的な学習方法についても発信されています。
 具体的な学習活動(アクティビティ)もたくさん提案されています。重要なのは、問われているのは日本社会の方であり、わたしたち一人ひとりであるという点です。

【参考・引用文献】
・羽場久美子氏(青山学院大学教授)「欧州の移民・難民とテロ問題 ―いま世界が真剣に向き合うとき―」(一般社団法人平和政策研究所ウェブサイト)
・金 友子氏「マイクロアグレッション概念の射程」(立命館大学生存学研究所ウェブサイト)
・内閣府「平成24年版 高齢社会白書」(内閣府ウェブサイト)
・吉岡 茂氏「外国人労働者受け入れの及ぼす日本の人口構造への影響」(立正大学地球環境科学部ウェブサイト)
・大阪多様性教育ネットワーク「多様性教育について」(同ネットワークウェブサイト)