学び!と共生社会

学び!と共生社会

『バスが来ましたよ』から学ぶ
2023.06.26
学び!と共生社会 <Vol.41>
『バスが来ましたよ』から学ぶ
大内 進(おおうち・すすむ)

はじめに

 『バスが来ましたよ』という絵本をご存じでしょうか。この本は、小学生が代を重ねながら10年以上、視覚に障害がある人のバス通勤をサポートし続けたという実話を元にした内容になっています。2022年に発刊されていますが、今年の1月に行われた全国の書店の店員を対象にしたアンケートで「おすすめしたい絵本」の10位に選ばれ、最近また、新聞やテレビで取り上げられることが増えてきています。
 障害がある人へのサポートが学校や保護者からの直接的影響ではなく、自然発生的に始まり、それが長年にわたって子どもたちの間で引き継がれていったというほのぼのとした実話が感動を呼んでいるようです。
 中央教育審議会初等中等教育分科会の特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告の中に、特別支援教育の推進についての基本的考え方の一つとして次のようなことが記されています(*1)

 「特別支援教育に関連して、障害者理解を推進することにより、周囲の人々が、障害のある人や子どもと共に学び合い生きる中、公平性を確保しつつ社会の構成員としての基礎を作っていくことが重要である。次代を担う子どもに対し、学校において、これを率先して進めていくことは、インクルーシブな社会の構築につながる。これは、社会の成熟度の指標の一つとなるものである。」

 「社会の成熟」ということを考える上で、この実話は重要な話題を提供してくれていますので、今回はこのことを取り上げることにしました。

『バスが来ましたよ』

 この絵本には、進行性の眼病で視力を失った人が、10年以上同じ時間帯に同じバスで通学する小学生に支えられて通勤を続けたという逸話が紹介されています。
 中途で視覚障害者になると、さまざまな不自由に見舞われます。その中でも、日常生活に必要な活動をスムーズにこなすこと(日常生活動作)、文字などの視覚情報をやり取りすること(文書処理)とともに、安全に能率よく移動すること(歩行)が、視覚障害における「3大不自由」といわれています。職場で仕事をすることが可能であっても、そのために大変な思いをして朝夕の通勤をしなければならないということになります。
 「バスが来ましたよ」と一人の女児に声をかけられたことをきっかけに始まったサポートは、声かけだけにとどまらず、乗車時の誘導、座席の確保に及びます。心理的にも肉体的にも通勤時の大きな負担軽減になったに違いありません。
 サポートは、その児童が卒業した後も妹や友達に引き継がれ10年以上続けられました。引継ぎも、子どもたちによって自発的に行われ、いつも支援している児童が休みの時は、別の児童が対応するようになっていたということです。
 サポートを受けていたご本人である和歌山市職員だった山﨑浩敬さんは、そのことをエッセイにして「小さな助け合い」をテーマにした全国信用組合中央協会主催の作文コンクールに応募されました。作品は最高賞「しんくみ大賞」を受賞(*2)。それが新聞やテレビで取り上げられ、広く知られることになったのです(*3)。2022年1月のことでした。このニュースがきっかけとなって、『バスが来ましたよ』(*4)という絵本がまとめられ、心温まる話としてさらに多くの人の共感を得るところとなったのです。
 思いやりの気持ちを形にして示し、それを継承してきた子どもたちの優しさ、そしてその親切を受け止め子どもたちと繋がり続けることができた山﨑さんの幸せな気持ちが、この絵本からは伝わってきます。
 そして、この話には後日談があります。山﨑さんは、定年退職した後も和歌山市の職員として勤務され、小学生との交流が続いていました。ところが、別の病によって通勤が途絶えてしまったのです。最近、そのことがマスコミで取り上げられ、また広く話題になっているということになります(*5)

私にとってのデジャヴュ体験だった『バスが来ましたよ』

 この話を知った時、私は、海外在住で視覚に障害があるAさんから6年前に伺っていた体験談を思い出しました。
 Aさんは、日本企業の海外支社に勤務されています。Aさんは、目が不自由になってからも自宅から大都市の街中にある勤務先までバス通勤をしていました。毎日、同じ時間帯に乗っているうちに、いつも同じバスに乗り合わせていた乗客の一人が、下車してから会社のある建物までガイドをしてくれるようになったそうです。そして、その輪が自然に広がっていき、いつのまにかAさんをガイドするチームができ上がり、毎朝、そのチームの都合のつく人がサポートしてくれるようになりました。おかげで、通勤の苦労が軽減されたとおっしゃっていました。お話を伺った時に、こういうことが自然にできていく、人々の優しさに感銘を受けました。
 また、Aさんは、視覚が活用しにくくなり、見えていた時と全く同じように業務を遂行することが困難になってしまいました。効率性を最優先に考える日本人スタッフの部署にいたAさんは、次第に追い詰められていくという経験をされたそうです。ところが、上司の計らいもあって、現地のスタッフが中心の部署に異動したら、空気は一変。おおらかな環境になって、それまでの息苦しさはなくなり、心理面でも落ち着き、周囲のスタッフの支援を受けながら安心して業務をこなせるようになったということです。この話を伺った時、「社会の成熟度」の違いについて考えさせられたものです。

この話をどう受け止め、どう生かしていくか

 私の幼いころから「小さな親切運動」が盛んに啓発されていました。これは東京大学の総長だった茅誠司氏の卒業式の告辞がきっかけとなって始まったものでした(*6)
 「小さな親切」は現在でも続いていて、意義深い活動だと認識していますが、それが運動として展開されなければ根付かない状況にあるのであれば、インクルーシブ社会の構築という観点からすると、社会はまだ未成熟ということになります。
 『バスが来ましたよ』が共感を呼んでいるのは、障害者のバス乗車をサポートするという「小さな親切」が自発的に、しかも長年にわたって引き継がれてきたというところにあるとするならば、「社会の成熟」が進んできているととらえてよいのかもしれません。
 茅誠司氏は、「小さな親切」は Co-operative する現象であると解釈しており、何かのきっかけがあって小さな雪がころがり出すと、それが次第に発達して「なだれ」となるように、「小さな親切」をきっかけとして、これが社会の隅々までもなにげなく、またまんべんなく行われるようになることを希望してやまないと、卒業式の告辞で述べています。
 この『バスが来ましたよ』の話題は、学校教育における「道徳科」や「障害者理解促進」の活動における格好の材料ともなりうるのですが、茅氏のいうように広がっていくには、その扱い方が問われているように思います。
 立命館大学大学院教授の荒木寿友氏は、メッセージ性の強い教材を道徳科の授業として展開する場合、次のような学習活動を含む必要があると主張されています(*7)

  1. 自己を見つめる(自己内対話)
  2. 多面的・多角的に物事を考える(多様性の確保)
  3. 自分の生き方(人間としての生き方)について考える(将来への展望)

 『バスが来ましたよ』の話は未来に希望を感じさせてくれるエピソードに違いありません。単に障害者理解の「いい話」「感動的な話」として紹介するだけでは、子どもたちに一時的な高まりを生じさせても、「社会の成熟」につながるものにはなっていかない可能性が高いと思われます。自分事として受け止めさせるためには、学校教育の中でも丁寧に活用していくことが期待されます。

*1:特別支援教育の在り方に関する特別委員会報告「1.共生社会の形成に向けて」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1325884.htm
*2:第11回 小さな助け合いの物語賞 受賞作品「あたたかな小さい手のリレー」
https://www.shinyokumiai.or.jp/overview/about/writing11/000635.html
*3:例えば、読売新聞記事「始まりは女児の声『バス来ましたよ』…失明男性通勤をサポート、バトンは10年以上に」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210126-OYT1T50099/
*4:絵本『バスが来ましたよ』
文:由美村嬉々、絵:松本春野、発行:アリス館、2022年6月刊。
https://www.alicekan.com/books/4024/
*5:NHK「サヨナラバス 小さい手のリレーの続きは…」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230323/k10014010231000.html
*6:「小さな親切」運動本部「卒業式告辞が、運動スタートのきっかけとなりました」
http://www.kindness.jp/wp-content/uploads/2017/04/%E5%8D%92%E6%A5%AD%E5%BC%8F%E5%91%8A%E8%BE%9E.pdf
*7:荒木寿友「道徳授業づくり実践講座(3)メッセージ性の強い教材をどう扱う?」
https://www.meijitosho.co.jp/sp/eduzine/q4um/?id=20180723