学び!とPBL

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PBLで得た力③――新しい旅のために
2024.10.21
学び!とPBL <Vol.79>
PBLで得た力③――新しい旅のために
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

 様々なプロジェクトを経験し、今年福島大学を卒業し福島市役所で働く社会人の本多美久さんのインタビューの3回目となります。プロジェクト学習を通してどのような力が伸長するのか、考えてみたいと思います。

1.「きょうそうさんかくたんけんねっと」

三浦:本多さんが中心になって活動した国際プロジェクト「きょうそうさんかくたんけんねっと」 (*1)について教えてください。
本多:東日本大震災から10年となった令和3年、「地方創生イノベーションスクール」の終わり頃に、同スクールに関わっていた高校生や大学生で「10年目の節目」になるようなことはできないか、OECD側の方から提案されました。始めは、手伝いのようなことだったらやりたいと思っていましたが、気がついたら主要な役割を引き受けることになっていました。
三浦:OECDが本多さんの人間性や能力を高く評価したということでしょう。
本多:私は、教育や学校のあり方についてずっと問い続けていきたいと思っていました。福井や広島、東京などの仲間と、どんなプロジェクトにするのか、まず、ネーミングから入りました。競争ではなく共創、蹴落とす競争ではなく高め合う競争、傍観者ではなく当事者として「参画」する、「保護者と生徒と教師」、「企業と自治体と学校」のような三角関係を無限につくっていく、プロジェクトのトーンを真面目なだけではなく「ワクワクドキドキ」するような「探検」的要素を入れる、さらに、生徒や大人だけでなく子どもも入れるように平仮名にしていろいろな読み取りができるようにする、などから「きょうそうさんかくたんけんねっと」という名前に決まりました。

図1 きょうそうさんかくたんけんねっとのホームページ

2.「昭和・平成」型から「令和」型プロジェクトへ

 イベントの名前は「あれから。これから、」(*2)です。「あれから。」というのは、過去を大切にしつつ、区切りをつけるという意味合いがあり、東日本大震災だけでなく、これまでの教育や社会のあり方も含まれます。「これから、」というのは、これまでの学びを止めない、新しい旅のようなものを意味しています。
三浦:なるほど、そのような意味があったのですね。その前の「地方創生イノベーションスクール」「OECD東北スクール」は、それぞれの時代背景が大きく影響していて、いい意味でも悪い意味でも結果につながりました。具体的には、指導する側の大人に「昭和」の熱血的な感覚が残っていて、生徒に同じようなヒーロー像やヒロイン像を求めてしまう傾向がありました。そして、大きな結果を残す、そのためには個人的な能力に頼ってしまう、という問題があったと思います。言わば、「昭和・平成」型のプロジェクトから「令和」型のプロジェクトに変える転換点をつくろうとしていたのだと思います。
本多:個人の犠牲に頼らない、緩やかな組織にしないと組織が持たないという面もあります。全国に散らばっている「一緒に旅してくれる仲間」を集めて、「あれから。これから、」のワークショップを組み立てていきました。東北スクールの先輩方や被災地で活動している人たち、海外で同じような活動をしている高校生たちをつなごうとしました。このような活動をすることで意識も強くなったと思います。
 コロナ禍の中ですべてバーチャルでしたが、被災地の大熊町での実況映像などは衝撃を与え、「あれから。これから、」は成功したと思っています。

図2 「あれから。これから、」のホームページ

3.世界と日本、東京と地方……

三浦:その後のプロジェクトの活動はあまり見えませんでしたが、どうなっていたのですか。
本多:個人的な事情で参加できない期間があり、その後再び参加すると状況が一変していました。東京の大学の先生もメンバーだったのですが、国際的なプロジェクトは無理が多く、日本は日本のやり方でやりたいということになり、主要な方が離れてしまったことが一番大きかったと思います。また、地域の課題に根ざすと言いながら主要メンバーのほとんどは東京を拠点にしており、地方との間で不調和が生じたことも小さくありませんでした。
 加えると、コロナ禍で始まり比較的時間に余裕があったものが、学校が再開し時間がなくなったことも活動を困難にした原因です。いずれにしてもゴールが大きすぎて着地点が決められなかったことは反省点だと思います。
三浦:最終的にどのような形になったのですか。
本多:決して自然消滅したわけではありません。いろいろな問題はあったけれども、オンラインで知り合ったメンバーでグローバルな研究を続けていました。1年以上にわたって個人やグループで、関心のあることを調査しました。私はある先生とペアになって、卒論とも関連付けて「地域防災組織」の研究を行いました。このように自然体で学校や社会の問題について話せる場をつくれたことは大きな意味があったと思います。プロジェクトは予定どおり、3年で終了となりました。
三浦:本当に苦労したんだと思います。うまくいった部分もいかなかった部分も、これからプロジェクトを始めようとする人たちの参考になると思います。

図3 きょうそうさんかくたんけんねっとの活動

 本多さんは、今年(令和6年)元旦に発生した能登地震被災地の教育復興プロジェクトに参加しています。8月に第1回の能登スクール(*3)が開催され「令和版東北スクール」として始動しました。彼女はボランティア休暇を取って同スクールに参加し、状況を報告してくれました。中学2年生の時からしっかりした生徒だと思っていましたが、その彼女が9年を経て、他地域の子どもたちを守るとても頼り甲斐のある女性に成長していたことがとても感慨深く感じられました。一連のインタビューを通して、プロジェクトの中では感じられなかった意外な一面に気づかされました。

図4 令和6年8月の能登スクールの様子(左の写真の中央のTシャツは10年前のOECD東北スクールのもの)

*1:きょうそうさんかくたんけんねっと
https://www.edu-kstn.org/
*2:「あれから。これから、」
https://jupiter354.wixsite.com/website/kyososankaku
*3:国際共創プロジェクト「壁のないあそび場-bA-」 2024年8月能登スクール
https://gakugei-asobiba.org/2024notoschool