学び!と美術

学び!と美術

フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性
2016.03.10
学び!と美術 <Vol.43>
フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 今回は、筆者が協力することになったNPO法人「ソルト・パヤタス」(※1)が取り組む「貧困地域における鑑賞教育を通した能力開発」について報告します。第1回は現地の状況や活動内容の概要です(※2)。

1.「ソルト・パヤタス」とは

写真1

 「ソルト・パヤタス」は、1995年からフィリピンのパヤタス地区やカシグラハン地区など、貧困地域で教育支援を続けるNPO法人(事務局長:小川恵美子さん〔写真1〕)です。主な支援活動は次の3つです。
 (1)奨学金や学用品配布などの就学支援
 (2)ライフスキルやコミュニケーション力など子どもの能力を高める事業
 (3)商品開発や販売による女性への収入向上支援
 これまでに、高層化したゴミ山の崩落事故(※3)や大規模洪水(※4)で支援を行うなど20年にわたる活動の歴史があります。注目されるのは、2012年から「ソルト・パヤタス」の収入向上支援の受益者だった母親たちが刺繍製品の製作所を引き継ぎ、NPO法人「LIKHA」として自立したことです。2016年からは「ソルト・パヤタス」が支援していた地元の子ども図書館の経営も引き継ぎ、名実ともに、地域の教育支援を担うNPOとなります。今後、「ソルト・パヤタス」は、活動の拠点をパヤタス地区からカシグラハン地区の「チルドレン・エンパワメント・センター」に移し、そこで図書館やワークショップを行う計画です。

2.パヤタス地区の現状

 パヤタス地区のゴミ山は公的な廃棄処分場です。皮肉にもゴミ焼却によるダイオキシンやCO2の発生を防ぐ「大気浄化法」を契機に高層化、巨大化しました〔写真2〕。そこを囲むように床面積20m2程度の簡素な家々が、格子のような細い道に沿って幾重にも並んでいます〔写真3〕(※5)。人口は11万人(※6)。大人や青年のほとんどは建設作業員やジープニー(※7)、トライシクル(※8)等の運転手、スカベンジャーなど限られた仕事にしかつけません。スカベンジャーとは、ゴミ山から再利用できるものを回収して業者に売り、生計を立てている人々です(※9)。パヤタス地区の15%から30%がスカベンジャーと言われています。貧困から学校をドロップアウトする学童も多く、奨学金などを通して、まず子どもたちを学校に行かせることが最優先でした。
 しかし、訪問で実感するのは、ゴミ山が「産業」だということです。パヤタス地区の居住区域に至る道では、1日500台以上と言われるトラックが行きかいます。道沿いには道具屋、中間業者、運搬トラック関連工場などが延々と並んでいます。構造化された「産業」が相手ですから支援は単純ではありません。学費や学用品などを提供すれば終わる話ではなく、子ども自身のライフスキルの向上やパヤタス地区の家族、コミュニティそのものに働きかける必要があるのです。

写真2

写真3

3.カシグラハン地区の子どもたち

 建築中の「チルドレン・エンパワメント・センター」ができるカシグラハン地区は、パヤタス地区のゴミ山崩壊の被災家族が移り住んだ地域です。マニラなど都市部から立ち退きさせられた家族も住み込んでおり、ここ2年で爆発的に人口が増えています。「ソルト・パヤタス」が活動する地域は4万人、パヤタス地区と同様の貧困地域です。「チルドレン・エンパワメント・センター」が完成したら近接する公立小学校と連携しながら支援事業を進める予定です(※10)。
 今回の調査では小学校4年生の図画工作の時間を視察しました(※11)。図画工作は「MAPEH(※12)」という時間の中で週一回ほど実施されます(※13)。訪問当日は音楽の日だったので、急遽4年生だけに図画工作を実施してもらいました(※14)。A4用紙に「線の表現を工夫しながら行きたい場所の絵を描く」という内容でした。海、都会、パリなど思い思いに描いていましたが、ふと見ると描き始めない子どもが10人以上います。その理由は鉛筆がないからです。その子たちは多めに持っている子どもから鉛筆、消しゴム、クレヨンなどを借りながら描いていました。ただ、スムーズに描き進められなくても、子どもたちが絵を描くことが大好きであることは伝わってきました〔写真4〕。
 その姿に筆者は前日のカシグラハン地区で子どもたちの遊ぶ様子を思い出しました〔写真5〕。彼らは、食事用の燃料に使った小さな炭の残りを葉で包み、それを使って地面に絵や文字を描いていました。子どもたちは目の前にあるもの、使えるものを使って最大限に遊ぶのです。事務局長の小川さんは「子どもたちはあるものを使って遊ぶ天才だ」と話していました。子どものつくる行為に国境はありません。子どもたちは材料や道具を使いながら、何かを創り出し、能力を高めているのです。

写真4

写真5

4.「ソルト・パヤタス」の可能性

 今回の調査から筆者の感じた「ソルト・パヤタス」の魅力は大きく三つです。
 一つは、地域の教育力やコミュニティの発展を目指していることです。「文房具や学校などが足りないから提供する」は大事なことですが、一過性に終わってしまうことが多いのも事実です(※15)。「ソルト・パヤタス」は、地域のコミュニティや人・モノ・コトなどの教育資源そのものに働きかけ、これを改善しようとしています。
 二つには、子どもの能力開発を目指していることです。「ソルト・パヤタス」のミッションは子どもが自分自身の能力を発見し、その向上を通して自信と希望を持ち、自己肯定感を高めることなどです。そこに美術教育や鑑賞教育は貢献できるだろうと思います。
 三つには、実践の成果を統計的調査で明らかにし、貧困地域の子どもたちの能力開発をモデル化したいという挑戦です(※16)。今回のプロジェクトには統計や経済学の研究者が関わっています(※17)。確実なエビデンスを示すことで、ただの美談や感動物語に終わらせない意志が感じられます。
 実践するのはまだ先の話ですが、探求的な鑑賞活動、論理的な思考力の育成、コミュニケーション力の向上など、鑑賞教育の知見が役立つかもしれません。一方で、貧困自体が近代化や学校化(※18)の産物だということに配慮する必要もあるでしょう。先進国の目指すリテラシーや鑑賞教育のノウハウをそのまま持ち込むことには慎重でありたいものです。教育を問い直す姿勢を持ちつつ、現実との折り合いをつけながら実践していくことが求められます(※19)。
 次回の報告は「チルドレン・エンパワメント・センター」完成後になりますが、授業の実際やワークショップについて報告したいと思います。

 

※1:詳細は http://www.saltpayatas.com/
※2:
※3:死者行方不明300名と言われ、「ソルト・パヤタス」の奨学生も死亡した悲惨な人災でした。
※4:被災総額8000億円にもなった2009年の台風16号でカシグラハン地区も2000世帯が水没しました。カシグラハン地区にあるソルトセンターも水没したのですが、「ソルト・パヤタス」は翌日から飲み水の支給や食料支援、学用品配布などを行いました。
※5:昭和のような風景につい懐かしさを感じてしまいます。しかし「昔の日本」ではありません。おそらく「昭和20年代~30年代の日本」と「現在の日本」が同時に成立しているのがフィリピンでしょう。
※6:正確な戸籍はないのですが2012年の推計です。現在は急増しています。
※7:小型貨物自動車を主に16人乗り程度に改造した乗り合いタクシー。
※8:小型オートバイを屋根付サイドカーに改造した3人乗り程度の三輪タクシー。
※9:スカベンジャーには差別的意味合いが含まれるので、ウェスト・ピッカー(Waste Picker)と言い換えることもある。
※10:母親や教員に対する研修も予定しています。
※11:1クラスの児童数は45~76人、各学年3~6クラス、全校児童1729人の学校でした。
※12:「Music」「Arts」「Physical Education」「Health」の頭文字をつなげています。
※13:週ではなく、一日で時間割が決められています。午前クラスは6:00~12:00、午後クラスは12:00~18:00、その間に「English」「Mathematics」「Science」「MAPEH」「Edukasyong Pantahanan at Pangkabuhayan (EPP)」「Araling Panlipunan」「Filipino」「Edukasyon sa Pagpapakatao (EsP)」などが行われます。
※14:クラスは学業成績のよい特別クラスとその他のクラスで分かれています。今回の実施は特別クラス(児童数54名)が対象でした。
※15:施設や機械、ノウハウなどを提供しても数年たったら「やってません、動きません」はよく聞く話です。2016年3月2日夜発生したマグニチュード(M)7.8の地震で、2004年のスマトラ沖地震・インド洋大津波の後に外国の支援を得て設置された津波早期警戒システムが作動しなかったことはその例の一つでしょう。破壊行為、保守のための資金不足などが原因で海面の高さの変化を観測するブイが機能しなかったと発表されています。
※16:JICAによって始まった地方行政と地域住民(=コミュニティ)による学校運営という支援モデル「みんなの学校プロジェクト」は有名です。 http://www.jica.go.jp/60th/africa/niger_01.html
※17:「ソルト・パヤタス」は開発経済学や教育経済学の分野の先生に協力を依頼中です。
※18:ここでは「学校化」は学校で証書や資格を得る事が富につながるという意味で使っている。
※19:現在建築中の「子ども支援センター」も4年後は地域に委ねられる予定です。