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学習者情報端末は教具なのか文具なのか
2016.03.25
読み物プラス <Vol.24>
学習者情報端末は教具なのか文具なのか
【特集】ICT教育 NEXT 07
国際大学GLOCOM准教授・主幹研究員 豊福晋平

 2005年に発表されたOLPC(One Laptop per Child)は、学習者1人1台の情報端末整備によって途上国に教育機会を提供しようとする画期的プロジェクトとして注目されたが、その後動きは先進国にも広まり、OECD諸国では1:1(one to one)イニシャティブとして主要な教育政策となった。
 我が国でも、ここ数年は学習者に1人1台タブレット等の情報端末を割り当て、持続的に運用する事例が報じられるようになったが、授業に限らず自宅でも使う学習者情報端末をどう管理・監督すべきかについて、日本の学校はまだはっきりとした答えを持っていない。
 大雑把に課題を切り出すとすれば、教員都合の延長として「教具」と考えるのか、それとも、学習者に寄り添った「文具」として捉えるべきか。

 日本の学校は一斉授業が基本だ。我が国では明治40年頃にそのスタイルが確立した(児美川,1992 ※1) 。当時メディアや資源の乏しい状況でも、多人数に効率良く知識伝達を行える「一斉教授」と、場面に秩序をもたらす「一斉行動」を特徴とする。教員は知識を導くゲートキーパーとして、巧みに問答を繰り返しながら教育目標に達することが期待されてきた。
 我が国では過去20数年にわたって、おもに一斉授業のICT活用を追求してきたが、一斉授業で学習者側端末を「教具」として扱わせる事には矛盾が生じる。教員が授業場面を制するのだから、学習者端末も教員の意図通り操作させたいが、学習者端末はどんな情報でも入手可能なので、野放しにすれば授業の秩序を壊しかねない。
 この矛盾の解消のために、学習者端末は授業の大半をロックダウンされ、学習者が使える時間はわずか数分、全員が同時に情報を与えられ、単純な操作のみ許される、という奇妙な活用スタイルが定着した。それでも、授業を制御する教員側の負荷は高く、想定外のトラブルリスクには弱い。端末利用時間が限られるため十分な効果も得られず、学習者側の操作スキルも身に付かない。つまり、教員主導の「教具」という発想は、本来自在に使えるはずの学習者端末をわざわざ不便で虚ろな道具に仕立ててしまう。

 一方、ICTを上手に活用する海外の学校事例をみると、通常の講義形式の授業もあるが、講義・指示の時間を短くして、学習者端末を用いたレポート課題に比較的長い時間が割り振られる事が多い。それぞれがネットや書籍資料を参考にした課題や討議に取り組む。教員はファシリテート、個別アドバイスやフォロアップを行う役割として活動を支援する。いわゆる学習者主体の学習(Learner-Centered Learning)である。
 学習者は自己調整学習をルールとして身に付け、課題に対する見通しや段取りを持ち、知的な生産活動に臨みやすい態勢が出来ている。日常的にICTを利用するので、教室で割り当てられた機種が異なっていても誰も気にしない。
 学校を俯瞰すれば授業の外側も含めた情報化がなされている。デジタルサイネージは、今日の行事予定や学校ブログの最新トピックを伝え、連絡や通知は、メールやクラウドサービスを介して行われる。私物端末の学校持ち込みも規制されない。校内共有端末でも私物端末でも家庭用PCでも、場所を問わず学習者が活動継続できるので、授業内容を持ち帰る事も、授業にアイデアを持ち込む事も自在である。つまり、学習者中心の「文具」発想とは、学習者の知的作業環境を拡張するものである。

 このように、見かけは同じような学習者端末でも、教具か文具かの見立てによって使い方には大きな違いとなって現れる。その仕様決定にあたっては、学校側の教育観そのものがシビアに問われる事になるだろう。情報端末1人1台時代の到来にあたっては、この課題を正面から見据え、賢明な選択に期待したいところだ。

ペアワークによる調べ学習とレポートまとめ
スウェーデン・ストックホルム郊外ソレントゥナの小学校にて

倫理社会のテーマについてプレゼンテーションをグループ共有作成する
フィンランド・ヘルシンキ郊外カウニアイネンの中学校にて

 

豊福 晋平(とよふく しんぺい)
国際大学GLOCOM主幹研究員。1995年より国際大学GLOCOMに勤務、専門は学校教育心理学・教育工学・学校経営。教育と情報化に関するテーマに取り組む。

※1:児美川佳代子(1992),近代イギリス大衆学校における一斉教授の成立について,東京大学教育学部紀要 第32巻pp.43-52