学び!と美術

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「現場の感覚」~オランダ美術館員の一言~
2016.10.11
学び!と美術 <Vol.50>
「現場の感覚」~オランダ美術館員の一言~
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 「現場」という言葉があります。「今、物事が行われているところ」「実際に事が起こった場所」「管理部門に対する実務部門」「組織や制度に頼らない個々人の仕事」などの意味です(※1)。もちろん管理部門も立派な「現場」ですし、「現場」が成立するためには組織や制度も必要です。「現場」だけが単独に成立するわけではありません。でも「現場」という言葉には独特の、やはり「現場」的としか言いようがないニュアンスがあります。
 例えば、ある問題に対して、人は自分の経験と目の前の状況から、その都度解決方法を考え、道具を探し、答えを導き出しています。先生であれば、直前の子どもの発言や行動などを手掛かりに、直感的に「何を話すか」「どう動くか」判断しながら事に当たっています。常に事は「現場」で起きていて、それを解決しているのは「現場」にいる人間です。それは当事者にとっては正直な感覚でしょう。刑事ドラマの名セリフ「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」はこれを鋭く指摘した言葉だと思います(笑)。
 さて、先月のオランダ調査で強く感じたのも、この「現場」の感覚でした。
 色々な国で美術館の教育普及活動を調査してきましたが、話題は概ね共通しています。それは「来館者に何らかの変化を及ぼしていなければ、美術館の存在意義はない」ということです。「展覧会がどれだけ市民に役立ったのか」、「教育活動で人々の生きるスキルにどう貢献したのか」などが問われるのです。活動の対象が子どもであれば「ナショナルカリキュラム(学習指導要領)をどう踏まえているのか」「子どもの何を育てたのか」などが求められます。近年は明確なエビデンスを求めて調査や統計分析も行われています。
 オランダの調査でも、この観点から「教育活動の目的をどのように考えているか」と学芸員やエデュケーターに質問しました。美術館の特徴に応じた相違はあったものの、ほぼ上記の文脈にそった答えが戻ってきました。例えば「ゴッホから作品の見方を学んでほしい」「オランダの歴史を伝えたい」「創造的な態度で世界に立ち向えるようにしたい」などです。
 しかし、ユトレヒト中央博物館のベロニカの答えは少し違っていました。それは、最も印象的で「現場」的な答えでした。
 「美術館の教育普及活動の目的は?」
 「私の企画した教育活動でおじいちゃんと子どもが笑っていることです」
 あまりにも素朴な答えだったので、私は次のように続けました。
 「人々が『あらかじめ祖父である、孫である』ということではなく、教育普及活動を通して『祖父である、孫であるということが達成される』という意味ですか?」
 それに対してベロニカはこう返しました。
 「いや、おじいちゃんの笑顔がうれしいのです」
 私は、役目とはいえ、少々恥ずかしい気持ちになりました。教育活動を進める上では明確な目標が必要です。美術館と学校が連携するためには、お互いの考え方を共有し、「何が向上したのか」というエビデンスを示さなければいけません。でも、結局のところ「現場」の人間が大切にしているのは、その都度生み出される参加者の「笑顔」なのです。それが教育活動の成果であり、当事者にとって一番の喜びなのです。
 ベロニカの答えは「目的や理屈で物事を見過ぎてはいけない」「『現場の感覚』を忘れてはいけない」という警句に聞こえました。何か事に当たっていると、つい忘れがちになる「そこにいる人々の喜び」。これを大切にしたいと思った次第です。

 

※1:「現場」という言い方を嫌う教育委員会もあるので注意する必要がありますが、私は好きな言葉です(^^)