読み物プラス

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プロジェクトは「夢」からはじまった
2011.02.28
読み物プラス <学び!トピックス Vol.26>
プロジェクトは「夢」からはじまった
美術家 高橋睦治

 私の海外での3つのプロジェクト(ピラミッド・ピナクルズ・ピサ)はPyramid・Pinnacles・PisaとPが3つ偶然重なったことで3P-PROJECTとして進めてきました。今回は前回掲載のトピックスVol.25「イメージ・あれ-これ」の中で「夢」からヒントを得て実現したピラミッドピナクルズのプロジェクトについて、綴(つづ)ってみたいと思います。
 その前に、私のイベントにおける「線」について。

「線」と「アート」

 地平線や水平線(ホリゾン)は地の彼方(かなた)や海の彼方に厳として天と地を分けています。「線」は又、実体ソノモノでないモノとモノとの間に現れることもあるでしょう。私は、空き地に、建造物に、外壁に、階段に、画廊に、シャッターに、池に、舗道に、私の赴くところに「線」を引いてきました。「線」からは所有・分割・時には立法の世界にも波及し、また「線」のおかれる状況によって、分離・接続・記号・感応・領域・占有・長さなどの概念が浮上してくるのを感じました。私のアートは、「線」を引くことによって、あらたな空間を演出する「補助線・ad-joint line」のようなものかも知れません。

1.ピラミッドへの線
 (1991年・ギザ市、第2カフラー王ピラミッド・エジプト)

ライン(白)はスコッチレーン、住友3M(ロール状の合金/幅60cm/粒状の反射材が塗布されたもの)

ライン(白)はスコッチレーン、住友3M(ロール状の合金/幅60cm/粒状の反射材が塗布されたもの)

 エジプトには、ピラミッドをはじめ、多くの古代遺跡(遺構)があり、数千年の歴史の時空間を超えて今も厳然として在ることに大変な感動を覚えます。ピラミッドは多くの謎解きと、神話世界を我々に与えつづけていますが、その形体が四角錐というミニマルでシンプルなところに私は関心をいだきます。太陽の陽射しの変化にともない現れるシルエットや稜線はピラミッドの形体や存在感をより強く、浮き彫りにし、私のコンセプトに刺激を与えるところです。そこでギザの第2ピラミッド(カフラー王)のー稜線(南西)に向けて砂漠から2kmのラインを引き、その線が天空へ至るという構想のプロジェクトを実施し、その記録をご紹介します。

「ドキュメント・メモ」から抜粋

 ナイル川の豊かな水域のオアシス。その中心都市カイロ。けん騒なハイスピード車の群れが流れ、その道の端には、馬車もロバもリズミックに歩く。これらの音の間にまにアラビックな音楽と、のびやかなるコーランが聴えてくる。この都市は、歴史の土がそのまま舞い上がり、時空間を超え、再び舞い降りてやがて人々だけが入れ替わっているような舞台に思えた。まさに混とん(カオス)の都市、カイロ。

1991年、夏
 カイロ市のナイル川の中洲にあるザマレック地区のー角のビル。早稲田ハウス(早稲田大学古代エジプト調査宿舎)のもとで我々スタッフー同はイベント開始を目前にしてしている。
だが、イベントにおける許可は大旨出ているものの、正式(最終)手続きのためにこの開始が予想に反して大幅に遅れている。このプロジェクトが考古省、情報省、観光省の3つの行政機関が絡んでいる事と、エジプト時間という事らしい。
 この間にスタッフ数人が、ピラミッドライン方向(南西)への地形、地質、障害物の確認チェックのためギザ市の現場に向かった。(7月21日~8月2日:現地準備期間)

測量ポイント割り出し

測量ポイント割り出し

 8月3日、ギザ市当局の砂漠にピンを打ち込むことは「発掘するのではないか」という見解や解釈に立ってきたため、「ラインを固定するのみ」と伝える。そのため、長官の計らいで考古省役人をピラミッドエリアの当局まで遣わし、そしてOKとなる。
 監督官立ち会いのもとで、作業を開始。「1991年8月3日、古代と現代を結ぶ線、ここにピラミッドへの線を開始いたします」と入魂の宣誓をする。測量によってライン設置方向のポイントが設定され、その直線上に基準点が打たれた。これらの基準点が砂漠に向かって、100m、…200m、…と伸びてゆく。炎天下で白熱の太陽が汗をも吸いとる。

ラインベース固定作業

ラインベース固定作業

 8月5日、朝5時起床。今日はライン設置の第1日目、朝6時出発。外はまだ薄暗い。カイロのWASEDA-ハウスからギザのピラミッドエリアまで車で約30分、明かりがともる町並みを疾走した。朝もやに包まれたピラミッドは、山水画のごとく、上部のみが悠然と空に突き出ている。ライン設置スタート地点(ピラミッドから2km)に到着して、驚いたことに前日の基準点のピンが消失していた。ラクダ隊(ベドウィン族の末裔)にとってピンは物珍しかったらしい。スタッフー同、気を取り戻して作業は続けられた…。現場からの帰り際、数10m先で竜巻が発生し、どこに潜んでいたのか知らないゴミを舞い上げ、すぐさまラインのー部も宙に浮いた。さあ、修理だ!補強だ!。自然現象に予想外の展開となる。

 8月6日、ラインは安全であった。現地人のラインの見張り番を二人つけ、番人のためのテントを張った。ラインは基準点をてがかりに次第に伸びて、着実にピラミッドに近づいている。ストレートに伸びたラインの白さもー段と冴えてきた。釘やピンやアルミベースの固定の効かない岩盤地帯にさしかかり、対応策に思案をめぐらす。スタッフー同炎天下のもとでは戦いの顔でもあった。ちょっとでも静止しようものなら、たちまちハエの標的となる。水分を求めて、抜け目なく人の目、鼻、口へとまとわりつく。ライン線上にかかる石や障害物を除去する作業も同時進行となる。思わず、幾分軽い石をつかんだかと思うと、それはラクダの糞(ふん)であった。灼熱の下では糞も石も等価値なのだ。

 8月7日、ピラミッドの足元まであと770mと迫った。急斜面にさしかかる強風地帯である。斜(のり)面の地表の向こうには悠然と第二ピラミッドが構えている。

夕日の中での作業

夕日の中での作業

 8月8日、あと540mと迫った。日中の気温は40度を超えている。作業開始から、情報省と考古省のインスペクター(政府役人)の監視のもとで、連日我々の作業が進められている。古代遺跡内のため、損傷のないようにアドバイスを兼ねながら立ち会っている。
 我々のアートイベントとは何なのか?といっていた情報省のインスペクターは、しだいに引かれてゆく線を遠く、近くを見ながら、「とてもすてきな線!」と言い出した。
 しかし、ピラミッドに近づくにつれ、固定用具(クギ、ピン、)や石の移動などの制限指示が多くなってきた。(世界遺産での現場であるゆえ)

ピラミッドへの線

ピラミッドへの線

 8月9日、ラインはピラミッドの南西りょう線の足元まで270mと迫った。考古省のインスペクターは、私にラムセス2世(新王国時代19王朝、強大な力でヒッタイト軍と戦い、世界初の国際的和平条約を結ぶ)の手づくり木製模型をプレゼントしてくれた。激励の意味深長なプレゼントで感激した。遠くにラクダがラインをまたいだ。ー瞬立ち止まってからの精いっぱいのステップであった。(砂漠でのラインは駱駝にとって、突如あらわれた見慣れないもの?)

 8月10日、あと150mに迫った。スタッフー同、再び緊張がみなぎった。ゴール手前30m地点は崖状の地形となるため、板を渡し、そこにロール(線)を張ってゆく作業となる。クギ、ピン、は一切使用できないためである。ふり返った砂漠の風景にー条の線が垂直に立った不動の構造に見えて、地を二分しているかのようでもあった。残すところ10数メートルとなり、最後の接続地点(稜線下)にはカフラ王の上部の化粧石と思われる落下石をフラットに敷きつめた。

 午後1時37分、ゴールのラインがピラミッドの南西稜線の足元にようやく到達した。スタッフー同、力を出し切った後の真空状態がー瞬、支配した。インスペクターたちは、土手から手を振ってくれて、またタイミング良く、この現場に今回のイベントの許可における政府交渉を含めて、全面的に協力をいただいた考古学者の吉村作治先生がわざわざ日本から駆けつけてくれました。私は関係者の皆さんに向かって感謝の意を表し、スタッフそれぞれの役割の結実がー条の線となったことをかみしめた。

 8月11日、空から見たギザのピラミッド。そこに第2ピラミッドの足元に接続された白線を確認できた。この線が天空に誘う道になることを願った。旋回するセスナ機の振動は、次第に私の感激の鼓動に変わっていくのを感じた。眼下に拡がるギザ市も美しき褐色のカオスの世界に見えた。

上空からの線

上空からの線

2.ピナクルズ(枯山水)プロジェクト イン オーストラリア
 (1995年・ナンブング国立公園・西オーストラリア)

 1995年8月、西オーストラリアのインド洋に隣接したナンブング国立公園内の砂漠地帯に、今から約8万年前に創成されたといわれるその砂漠に突出している奇岩群(ピナクルズ)があります。これらの岩を取り囲むように砂紋(サークルライン)を描くというものです。日本の伝統美学のーつである「枯山水」的世界をアートで表現するものであります。
 夜は人工照明によって、砂紋と岩を照らし、南十字星をはじめ天空の星座群と融合させ、更に水の音(水琴窟)を流して特異な幻想空間を砂漠に演出するというものです。
 国土保全庁(CALM)の許可のもとに、いよいよ開始されることになりました。

「ドキュメント・メモ」から抜粋

資材搬送

資材搬送

 8月7日、我々スタッフー行は成田を離陸、オーストラリアの州都(パース)へ向かった。
 翌日8月8日はピナクルズへの移動日である。まず、PICA(現代美術館)、CALM、日本国総領事へ挨拶と資材の調達のため二手に分かれて街中を駆け巡る。レンタカー3台のうち2台は発電機搭載のトレーラ車で雨の中の出発となった。次第に雨、風強く、時折すれ違う大型ロードトレイン車の風圧と強烈なしぶきを受けながら、深遠な大陸の闇(やみ)の世界へ突き進んだ。不安なスタッフの気持ちをよそに、ワイパーだけが左右に踊りつづけた。道中、ー瞬、月が垣間見えた。ピナクルズへの基点となるサーバンティスへ着いたのは夜9時を過ぎていた。

CALM(国土保全庁事務所)のホッキー氏と打ち合わせ

CALM(国土保全庁事務所)のホッキー氏と打ち合わせ

 8月9日、現地CALMのレンジャー事務所へスタッフー同、挨拶と打ち合わせのため立ち寄り、その後イベントエリアを確認をする。レンジャー・トップのホッキー氏が「砂の移動があって…」と告げた。確かに二年前の下見調査時と岩の雰囲気から砂の状態が違っているのが分かった。(自然は刻々と変化し、風雨のまえに砂の移動で砂漠も生きていると感じた。)

砂紋引きテスト/プロジェクトスタッフ一同

砂紋引きテスト/プロジェクトスタッフ一同

 8月10日、イベントエリアにテント設営。「ここは水惑星地球の天与の枯山水ピナクルズエリア。長い間の流動の果て、本体に復したかのようなピナクルズの沈黙の岩に生命の鼓動を呼び起こしたい。そしてわれわれはこの大自然の中でわずかに手を加えることによって宇宙生命の根源との対話を試みたい」との宣言で、CALMスタッフ立ち会いのもとでセレモニーを開始。この儀式の間、なぜか大雨であった。「枯山水」なのによくも「水」に縁があるものだ。岩の選定に、ネーミングを(岩の特徴をスタッフ同士の共通のサインとして)する。

 8月11日、砂紋を引く作業で、雨による水分多く含み過ぎた砂質は砂ダマの斑点が表出し、きれいな砂紋が引けないエリアがあった。そのため、スタッフー同「対応策」のミーティングが夜遅くまで続いた。ABC-TV局とチャンネル10TV局取材入る。夜間照明、光のレイアウト、砂中に埋め込む水琴窟の音響などをテストする。

砂紋引き

砂紋引き

 8月12日、CALMのオフィスを借り、グラインダーで熊手(砂紋用3種)の修正作業をする。終日、砂ダマの水分を抜くため、大掛かりな「砂を耕す作業」となった。(この作業は予想を越えた労力で、中でも直径38m余の砂紋エリアではスタッフ総出となった。)「耕す」作業は文化とほど遠いけれど、英語で「カルチヤー」だから「文化を耕すことになるだろう」と、自分に言い聞かせた。計画したほとんどの砂紋が完成してオープニングを待つばかりであった。しかし、午後から夜にかけて大雨止まず、危険なためライトショー中止。すでに観客が遠路パース方面から来ていたので申し訳なくも、大変に困った。(野外イベントの天候の怖さである)

夢/現実-砂漠に現れる1

夢/現実-砂漠に現れる1

 8月13日、晴天。昨日の風雨で、砂紋をー部修正する。水分を少し含んだ砂紋は、逆に固定し、クリアーなサークルラインとなった。雨が敵になったり、味方になったり。一般見学者・在パース日本総領事・PICA関係者が見学にあらわれた。夜、幻想的な月が出た。

夢/現実-砂漠に現れる2

夢/現実-砂漠に現れる2

 8月14日、イベントエリアの砂紋のまわりをペティキュアをつけたー人の女性が踊っていた。これは驚くことに「かつて夢にあらわれ、ペティキュアをつけたファションモデルの光景」の再現のようであり、このような偶然が不思議でならない。在パース日本人会ー行、日本からのツアー見学者ー行到着。西陽を受けたエリアはー面、黄金色となる。夕日が美しくインド洋に沈む。夜は満点の星。幻想空間の中に、水の音が響いた。遠くに設置したランタンの灯りが地上の星に見えた。イベント最終日の夜であった。

昼/上空から

昼/上空から

 8月15日、岩、砂紋、エリアを平板測量で記録する。描いた砂紋は全て自然に復す。夜、スタッフー同とCALMレンジャーとその家族を招いて完成慰労パーティを開いた。スタッフー同と多くの関係者に感謝しながら深夜まで話の花が咲く。

夜/ライティング

夜/ライティング

 8月16日、ピナクルズと別れの日。CALMオフィスへスタッフー同、お礼の挨拶。機材のー部を寄贈する。思い想いを胸に現場に別れを告げ、帰途パースへ向かった。

砂漠(ピナクルズ)で考えたこと

[初めての砂漠]

 砂漠では 自分が動かないと何もはじまらない そして動いても まわりは何も変わらない

[砂]

 ピナクルズの夜は 砂ー面乾いた雪のようだ 見上げた空は 星の砂群

[存在]

 私は 今ここにいる 100年後はどこにいるのか 1000年後はどこにいるのか

[見えていたはずの]

 ある岩を中心に砂紋を描く この砂紋の中に気づかなかった岩に出会う 見えていたはずなのだが 見ていないことになる

[敵=味方]

 雨の中でオープンセレモニー 終了すると止む 作業が始まると 又雨 やがて雨の水分で砂紋が明確に 雨が敵になったり 味方になったり

[穴]

 砂漠にピンホール大の穴 でも深さが分からない

[無数]

 私はピナクルズエリアにおいて 多くの岩と出会った 数えきれない程 多くなるのを日本語で「数がない」=「無数」という文字になる

[無時間]

 私は このエリアで「無時間」を感じた 「永遠の今」 いつでも「今」という時間である

[砂文字]

 イベントエリア内で スタッフによって発見された文字 WE LIKE YOUR WORK

本の紹介

「無ソノ フシギ ナ シクミ」唐木田 又三 著

topics_vol25-08哲学や禅で言う「無」に当たる独特な発想で「この現実は、実は何もないのだ」という。著者の長年あたためてきた思考によりまとめ上げ、現実世界をあらためて認識させる衝撃的な本。

発行:工房カラキダ(長野市篠ノ井山布施6350)
TEL:026-229-2433
定価:3,000円