学び!と歴史
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承前
この句は、若き日の正岡子規の師にして、子規に学ぶことで俳人となった内藤鳴雪のものです。ここには明治天皇と共に生きた人びとの心の原風景が描かれています。「一系の天子」という原像を法的に確定させたのは大日本帝国憲法であり、その枠組みを内的に規定したのが皇室典範です。まさに大日本帝国憲法が創出した天皇を法的に封印した天皇制という枠組みは、一夫一妻多妾を前提とした嫡子を第一義となし、やむを得ない場合は庶子による男系皇統の維持を前提にすることで、「万世一系」の皇統という言説を創出したものにほかなりません。ここに天皇という存在は、世界に比類なき「一系の天子」という皇統神話を説き語ることで、国民の心に植え込まれ、皮膚感覚となり、日本国民の心を呪縛したといえましょう。
明治の新政府は、圧倒的な文明の力を誇示する欧米列強に対峙すべく、列強をささえる内的規範であるキリスト教に代替しうる精神の器たるものとして「万世一系」の天皇を位置づけ、国民精神の原器となし、ここに国のかたちである国体の原義を読み取ろうとしたのです。学校教育は「天皇の国」の在り方を多様に問いかけました。
教科書に見る国の容
明治33年(1900)の金港版『尋常国語読本』(坪内逍遥)は、日清戦争に勝利し、アジアの覇者たる場を確立した日本の雄姿を神武天皇による国家の創成から、「天子様の御血筋が幾年も一筋で、限りなく続く」「万世一系」の国柄を、「紀元節」「天長節」「日の丸」として語りかけています。そこには、欧米列強に対峙しうる国家の容をして、直截に小学児童の脳髄に埋め込もうとの熱い思いが読み取れます。
「紀元節」は、神武天皇が橿原宮で即位した日、日本書紀が「辛酉年春正月(かのととりのとしはるむつき)」と記している日、「是の歳を天皇の元年」とした日をして、「万国歴」として受容した西暦の2月11日に当たるとみなし、「紀元節」として国家祝祭日としたものです。日本の紀元、「皇紀」は、この年に始まりとしたもので、元号とともに「西暦」と併用されることとなります。「紀元節」は、「天子様の御血筋が幾年も一筋で、限りなく続くのは、何よりめでたい」となし、「万世一系」の皇統の国であることを寿ぎます。
此の日は、古き昔、神武天皇と申す天子様が、あちらこちらの悪者をお退治あそばして、始めて天子様に御なりなされた日であります。神武天皇様は、我が国第一代の天子様で、今の天子様は百二十二代目の御孫でございます。我が国のよーに、天子様の御血筋が幾年も一筋で、限りなく続くのは、何よりめでたいことであります。
明治天皇は、神武天皇の「御血筋」を万代にわたり受け継いできた存在として、その誕生日を天皇の下に天地が永久に変わることのないようにとの思いをこめて「天長節」と命名、国家の祝日としました。その日は、各家で家長の下に、「一家一族」が集い、祝う集い日とみなされたのです。
この家の床の間には、今上天皇陛下と書いてある掛物をかけ、その脇の花いけには美しい菊の花をさしてあります。一家の者どもはみな床の間の前にかしこまり、主人は少し進み出て、丁寧におじぎをして居ます。これは、今日は天長節といって、いまの天子様のお生まれあそばした日であるから、一家こぞってお祝いを申上げて居るのであります。これから親子もろともに天長節の歌を歌い、それからまた親類、友達を招いて、この日を楽しく暮らすでありましょう。
今日の よき日は、大君の、生まれ たまひし、よき日なり。
今日の よき日は、御光の、さし出 たまひし、よき日なり。
光 あまねき、君が代を、祝へ もろびと、もろともに。
めぐみ あまねき、君が代を、祝へ もろびと、もろともに。
この小学唱歌は、祝典歌であり、キリスト教会の讃美歌のリズムです。「今日の よき日は、大君の、生まれ たまひし」は、「今日の よき日は、エス様の、生まれ たまひし、よきひなり」、とすればクリスマス賛歌ともなります。まさに日本は、天皇を国の要となす国民国家を造形すべく、文明国の枠組みを機能合理主義ともいえる方策で換骨奪胎し、1930年代に「天皇制国家」といわれることとなる日本型の立憲国家の確立が目指されたのです。
なお、天長節なる名称は、「天長地久」よりきたもので、皇后の誕生日は「地久節」です。後に女権確立をめざす婦人運動は、天長節にならぶものとして、「地久節」を国家の祝日に制定することを目指す運動を展開します。ここに「地久節」は、国家祝祭日に制定されることはありませんでしたが、女学校では「祝日」として祝典を営むようになります。この一事には、日本における夫人の地位向上をめざす婦人運動にしても、「天皇制」的枠組みに強くとらわれていたことが読み取れます。
「日の丸」の下に
日本は、日清戦争の勝利により、このような万世一系の国が世界に雄飛する思いを「日の丸」に託して小学児童の心に問いかけたのです。「日の丸」に託された世界は、「紀元節」「天長節」が描き出した世界の在り方をして、万国に比べようなき唯一の国であると問い語りかけています。
そもそも日の丸の旗は、世界をてらして居る、日にかたどって作ったもので、甚だあざやかで、そのうえ、まことに勇ましく見えます。外の国々の旗には、鷲という鳥や獅子という獣などをつけたのもありますが、あざやかで勇ましいのは、我が国の旗に及ばないよーです。
「日の丸」は、「日輪の国」日本、世界を照らす太陽の下にある国家を顕すもので、他国の旗などと比べようのないほどに、「あざやかで勇ましいのは、我が国の旗」だとなし、世界雄飛への使命が託されているのだと。いわば「皇国」、「一系の天子」の統べる国日本という言説は、大日本帝国憲法の下にある国家像を顕現するもので、世界雄飛への使命をして、「日の丸」に込められた思いとして語りかけています。まさに「皇国」、「一系の天子」が統べる国日本の雄姿は、大日本帝国憲法の下にある国家の存在をして、日清戦争から日露戦争を経るなかで日本人の心身に埋め込まれ、日本人の国民精神を呪縛していきます。その心を具象した景観こそは富士山の「雄姿」に引き寄せて己が心を語る作法を生み育てたのだといえましょう。