ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.11 > p22

コンピュータ教育のバグ
祭りのあとで
−コンピュータ教育の終着駅−
 学校の様子なり,授業の内容なり,生徒の活動なり,教師の実態なりが広く世間に報道されたり公開されたりする場合,その内容は大きく2種類で,その中間はあまり存在しない。一つは,何かとてもすばらしい活動が実践されましたというもの。そしてもう一つは,何かとてもよくないことが起こった場合。いずれの場合も,何かしら特別の出来事として知らしめられる。しかし,学校のみならず,私たちの日常生活では,特別の出来事が起こらない日々がほとんどなわけで…。
とりあえず,日々の実習を大切に
 学校における授業というものは,多くの場合,1年間の授業週数に1週あたりの時間数を乗じた年間の予定授業時数をもとに計画されて,実践されている。そして,年間でどのような知識や技能を習得させるかという目標も,これに基づいて設定されている。これは,授業に限ったことではない。学校の行事予定にしても,年度始めにはきっちり出来上がっていて,これに従って日々が消化されていくのである。文化祭や遠足といったイベントも随所にちりばめられるが,大半は授業計画に基づいた日々の授業が,学校では繰り返し行われている。そして,コンピュータ教育では,日々繰り返しの授業の中で,コンピュータを利用するテクニックの向上を目指していくといったところであろうか。1年間でコンピュータを使ってあんなこと,こんなことが出来るようにしたいというのが目標となる。
 となると,とりあえずのところは,コツコツと実習を繰り返し行って,コンピュータへの入力を中心とした操作スキルの向上に努めるということになってくる。コンピュータを使えるようになることは,意味のあることである。ということは,とりあえずは,こういう日々の繰り返しで,成果があがるといえるであろう。
 しかし,コンピュータ教育の目的が,単にコンピュータに上手に入力できるようになりましたということだけでいいのだろうか。情報活用能力なんていう流行の言葉は,これ以外のニュアンスも含んでいるようである。
イベント実施型の実習をしてみたら
 では,単なる入力の繰り返しだけでなく,いろいろなソフトウェアを活用し,ネットワークを駆使した実習を行うとすればどうなるだろうか。次の段階として,プレゼンテーションや,インターネットのページ作成や,ミーテイングなどのイベント的な要素をもつものが考えられる。情報発信能力を培うという意味からも,最近こういう実践がどんどん行われているようである。コンピュータを駆使して,情報の収集から発信,加工までを一つの流れとして行っていくのは,ある意味でコンピュータ教育の究極のパターンとも言えるほどの,大変有意義な実践といえるであろう。
 ただし,ここで気をつけなければならないのは,こういうイベントを行った後の処理であろう。お祭り騒ぎの後で,何が得られたかが認識できなければならない。学習の成果を生徒が自らふりかえり,認識して,評価できるところまで,きちんと計画が立てられているかがポイントである。イベントの実施だけを終着駅のように考えて,きちんと振り返るだけの余裕も時間もないようでは,せっかくの実践が,ただの打ち上げ花火で終わってしまう。気が付いたらもう終わっていたでは,あとの祭りである。
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