ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.12 > p21〜p24

海外の情報教育の現場から
東南アジア諸国の高等教育機関におけるIT教育環境の実情
慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部講師 渡部 陽仁
1.はじめに

 私の本務は,インターネットに関する通信工学を専攻している,大学院修士課程の学生である。衛星通信を利用した国際広域インターネット網の構築に従事している。

  2年前,東南アジア諸国でIT教育支援活動をしているNPOから,技術協力の依頼がきた。「高等教育機関(大学・大学院・研究所など)におけるIT教育を推進するために,各機関をインターネットに接続したいが,各国内の通信インフラが貧弱なために接続できない。そこで,衛星通信を使いたい。衛星通信ならば,アンテナさえあれば,地上の通信インフラの整備状況に関係なくインターネットに接続できる。」と言うのである。

  以来,私は,そのNPOに協力し,東南アジア諸国の高等教育機関への衛星通信設備の導入と,インターネットの引き込み作業をしている。作業の過程で,何度も現地へ足を運んだ。そして,各国の通信インフラ,教育用コンピュータ機器の整備状況など,IT教育を取り巻く環境を見てきた。

  シンガポール,香港といった先進国を除き,東南アジア諸国の教育機関におけるIT環境の整備は,日本や欧米とは比べものにならないほど遅れている。

  今回は,発展途上国でのIT教育環境構築の難しさについて,私の東南アジア諸国での経験を交えながら述べる。なお,今回紹介するのは,高等教育機関の実情であり,初等中等教育機関の実情ではない。本誌の趣旨からは若干外れているかもしれないが,ご了承いただきたい。

2.コンピュータ導入に関する問題
 IT教育には,コンピュータが必須である。コンピュータなしでは,IT教育は成り立たない。学校に教育用のコンピュータがあることが,IT教育の前提となる。

  日本であれば,コンピュータを導入するのは簡単である。適当なパソコンを購入して,箱から取り出して設置し,電源に接続するだけでよい。何も難しいことを考える必要はない。

  ところが,発展途上国の学校にとって,コンピュータを導入することは,大変な作業である。以下,コンピュータ導入の際の問題について述べる。

(1)価格の問題
  まず,価格の問題がある。発展途上国では,コンピュータはとても高価な品である。国によって物価水準が異なるが,普通のパソコンでも,庶民の平均月収の数倍から数十倍の値段である。サーバ用コンピュータとなれば,もっと高い。

  このような高価な機器を,自前の予算で購入できる学校は,ほとんどない。政府からの補助金や,先進国からの援助が頼りである。このような補助金を簡単に獲得できるわけがなく,コンピュータ導入が決定してから実際に設置されるまで,長い年月がかかる。また,導入される台数も,利用者数に対して十分な数とは言えない。

  例えば,インドネシアのハサヌディン大学(Ha-sanuddin University,インドネシア東部地域では最も有名な国立大学。日本で言えば,京都大学のような存在)では,4万人の学生と教職員に対して,学内に設置されているパソコンは,わずか200台である。コンピュータ室の前には,常に学生の長い行列ができる。電子メールを使うために,長時間並ぶのである。

(2)電源の問題
 次に,電源の問題がある。当然のことながら,コンピュータは電気なしでは作動しない。コンピュータに電力を供給するのに,日本では,コンセントにプラグを差し込むだけでよい。

  ところが,発展途上国で,コンピュータを直接コンセントに接続するのは,非常に危険である。まず,電圧が安定していない。時々,激しく電圧が変動し,コンピュータの動作がおかしくなる。最も恐いのは,落雷である。落雷時に,電圧が急激に上昇し,コンピュータが故障することが頻繁に起こる。日本でも落雷時にコンピュータが故障することがあるが,頻繁に起こることではない。

  また,停電も日常茶飯事である。停電は落雷ほど恐くないが,コンピュータを傷める原因の一つである。

  これら電圧変化や停電による事故を防ぐためには,無停電電源装置(UPS)を導入する必要がある。日本では,UPSを一般のパソコンに取り付けることは,あまりない。重要なサーバ類にだけ使用するのが一般的である。しかし,電力事情が著しく悪い発展途上国では,パソコン1台1台にUPSを取り付ける必要がある。

  東南アジアの発展途上国では,たいてい,どこの大学を訪問しても,全てのパソコンに小型UPSが取り付けてある。UPSを購入する予算が無い大学では,天候が悪くなると,落雷事故を防ぐためにコンピュータの利用を直ちに中止し,コンセントからプラグを抜いている。

  UPSの関係で,私が最も驚いたのは,ベトナムのIOIT(Institute of Information Technology,首都ハノイにある国立研究所)のUPSである。1台1台にUPSを付けなくてもいいように,この研究所には,コンピュータ室全体を長時間バックアップできるUPSがあるのだが,驚いたことに部屋1つ分の大きさなのである。「UPS室」というものがあり,そこには,部屋いっぱいに自動車のバッテリーのような蓄電池が詰まっている。サーバとクライアント,全てのコンピュータを8時間にわたって稼働させることができる。
3.ネットワーク導入に関する問題
 IT教育にコンピュータは必須であるが,ネットワークは必ずしも必要ではない。しかし,ネットワーク,特にインターネットを用いることによって,コンピュータの用途が飛躍的に広がる。コンピュータを,コミュニケーションや情報収集の道具として使えるようになる。インターネットの導入は,その教育機関で行われている全ての教育・研究に,大きな恩恵をもたらす。

  東南アジア諸国の政府は,このことをよく理解しており,教育機関へのインターネット導入に積極的である。しかし,政府が積極的に後押ししているわりには,導入がなかなか進まない。以下,インターネット導入の際の問題について述べる。

(1)地上の通信インフラの問題
 通常,教育機関がインターネットに接続するときには,インターネットサービスプロバイダ(ISP)を通す。教育機関から最寄りのISPまで,地上の通信回線を用いて接続するのだが,発展途上国では高速デジタル回線網の整備が遅れている。そのため,ISPに十分な通信速度で接続できない。教育機関とISPの接続に利用できる最高速の回線は,ほとんどの場合,128kbpsのISDNである。

  規模が小さい,高等学校のような教育機関であれば,128kbpsでも十分である。しかし,大学のような大規模教育機関にとって,128kbpsは不十分である。

  前述のハサヌディン大学では,4万人在籍者がいるキャンパスに,64kbpsのインターネットの回線しか来ていない。そのため,回線は常に大混雑である。電子メールの交換だけは,文字情報だけでデータ量が小さいため,なんとか可能である。しかし,データ量が大きいWWWの閲覧は,事実上不可能である。電子メールしか利用できないようでは,インターネットがもたらす恩恵を享受できているとは言えない。

(2)ISP内の通信品質の問題
インターネットに接続するということは,ISPを経由して,さらにその先にあるネットワークと情報の交換をするということである。いくらISPまでの通信速度が速くても,その先が遅くては意味がない。発展途上国では,ISPまでの回線が高速でも,その先のISP内の通信品質が悪いために,せっかくの高速回線が無駄になるということがよく起こる。

  マレーシア,クアラルンプール郊外のある大学では,IT関連の授業にインターネットを活用しようと,奮発して256kbpsの高速回線を用意し,ISPと接続した。ところが,接続先のISP内の通信品質が劣悪で,インターネットとの間の実効通信速度は32kbps程度であった。この大学は,インターネットに高速回線で接続し,世界中のオンライン大学(先進国の大学の中には,自分の大学の授業を,動画データとして一般公開しているところがある。ここでは,これをオンライン大学と呼ぶことにする)から,有用な授業をダウンロードして,IT教育に役立てるつもりでいた。しかし,実効速度があまりに遅く,目論見が外れてしまった。

  右の写真は,オンライン大学の授業を受講している様子である。実は,生徒が見ている動画データは,提供元大学に依頼してCDに収録,郵送してもらったものである。ISPの品質が悪くなければ,わざわざ郵送してもらう必要もないし,この授業以外にもオンデマンドで様々な授業が受講できるのに,実に残念である。

オンライン大学の授業の様子
▲オンライン大学の授業の様子
4.IT環境を支える人材の問題
 コンピュータを導入し,インターネットに接続したら,それを保守管理する人材が必要になる。ところが,発展途上国では,IT教育環境を保守管理できる人材が不足している。

  在籍者数が数万人という大規模な大学でも,IT関連の技術スタッフが1人しかいない,というところが多い。この人は,たった1人で,キャンパス内全てのコンピュータの保守を行うのである。ソフトウェアのインストール,簡単なハードウェアの修理,サーバ管理,LANの敷設など,コンピュータとネットワークに関わる仕事を全てこなす。

  当然,トラブルへの対処は遅れがちとなる。コンピュータの故障やLANの断線を修理するのに,数ヶ月間待たされることもある。また,メールサーバやWWWサーバが故障しても,数週間直らない,という事態も起こる。これでは,せっかくIT教育環境を構築しても,使い物にならない。

  IT部門の人材が不足しているのは,発展途上国の自国内で,IT関連のスキルを習得することができないからである。IT関連の高度な技術を身につけるには,先進国の大学に留学しなくてはならない。そして,留学を終えた技術者は,賃金の安い自国へ戻ることなく,そのまま先進国に留まるのである。

  発展途上国の政府も,この問題を重要視しており,自国内でのIT人材育成環境の整備を急いでいる。マレーシアは,1996年から,IT関連の人材を育成する環境作りのため,首都クアラルンプール周辺の通信インフラを大幅に増強した。そして,いくつかの大学に情報工学科を設置した。先進国の大学と同水準の高速LANを学内に張り巡らし,高速な回線でインターネットに接続した。クアラルンプール郊外に作られたマルチメディア大学(Multimedia University, http://www.mmu.edu.my/)がよい例である。先進国の大学と比較しても,遜色のない環境の中で,充実した教授陣によってIT技術の教育が行われている。
5.政府による情報統制の問題

 ミャンマーのような国では,一般国民が自由に外国の情報に触れることを規制している。特にインターネットに関する規制は厳しく,ミャンマー国民でインターネットへの接続が許されているのは,一部の限られた人々だけである。

  先日,ミャンマーの教育大臣に会って,話をする機会があった。ミャンマー政府は,インターネットが教育分野に大きな恩恵をもたらすことを,よく知っていた。しかし,その一方で,国民にインターネットを開放することに対する強い危機感も持っている。

  このように情報統制が厳しい国でIT教育環境を構築することには,大変な困難を伴う。

6.おわりに

 以上,東南アジアの発展途上国において,IT教育環境を構築する際に障害となっている問題点を述べた。電力インフラの問題,通信インフラの問題,IT人材育成の問題など,解決すべき問題は多い。そして,どれも短時間で解決できるものではない。

  日本がインターネットにつながってから約15年が経過した。我々は時間をかけて通信インフラを整備し,IT人材を育成してきた。そして,やっと初等中等教育機関における情報教育について議論される時代になった。

  今度は,発展途上国の番である。発展途上国の初等中等教育機関において,情報教育に関する議論が行われるようになるのは,はたして何年後だろうか。

  また,その時には,現在の日本における情報教育の取り組みが,つまり,我々情報担当教員の取り組みが,先行事例として参考にされるだろう。はたして,成功事例として参考にされるのか,その逆か…。どうなるか楽しみである。

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