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ICT・EducationNo.24 > p1〜p5

論説
ネット社会におけるアイデンティティ
関西大学総合情報学部 菅 知之
1.ネット社会の形成
 インターネットの普及に伴ってネット社会とも云うべき,現実社会とは別の社会が形成されつつある。『ネット社会』は厳密な定義がなされている言葉ではないが,ここではインターネット,それに接続されたコンピュータ,およびその利用者で構成される社会と考えておく。

 この社会では電子メール,ホームページ,電子掲示板を利用するさまざまなコミュニケーション行動が行われている。それは単なる個人間の私的なコミュニケーションにとどまらず,不特定多数を対象とする情報発信や意見交換,さらには電子商取引のような経済活動も含んでおり,電子政府と呼ばれる中央官庁や地方自治体にも及んでいる。つまり現実社会の活動と類似した構造になっていて,ここでネット社会と呼ぶ所以である。

 ネット社会は現実社会と似てはいるが異なる性格を持っている。最大の特徴は非対面であって,すべてのコミュニケーションは電子的に送られる無機質なデジタル情報を介して行われることである。つまり送られてくるデジタル情報を通じてコミュニケーションの相手を判断するしかない社会であって,匿名社会ないし仮面社会なのである。

 もちろん全てのコミュニケーションが匿名で行われているわけではなく実名も使われているが,ネット社会は匿名コミュニケーションの場であると考えている人も多い。この点に関しては,その人のインターネットへの関わり方や期待によって異なる意識傾向を示すように思う。筆者は30年以上の企業勤務を経て現職に至ったが,企業人と学生との意識差に気が付いたのは迂闊ながら教員生活に入って2年目であった。

 企業では電子商取引のような経済活動の媒体としてインターネットを考えているので,そこでのコミュニケーションは当然現実社会のそれと同様に信頼感のある実名に基づくものであることを前提にしている。匿名の相手と取引をすることなど普通は有り得ないからである。官庁の役人の場合にはその傾向は更に顕著であった。

 一方,学生は掲示板やチャットに代表される匿名の意見交換の場を通じてインターネットに接しており,彼らにとってインターネットは匿名性ないし仮面性を楽しむ遊びの空間なのである。だから実名を使うコミュニケーションなど考えにくい社会である。担当している情報ネットワーク論の試験で「ネットワークにおける匿名利用の功罪」を論じさせたことがある。「功罪ってどういう意味ですか?」という質問が何件もあったのには驚いたが,それはともかく,匿名利用は有意義だとする答案がほとんどで,弊害が多いから禁止または制限すべきという答案は1%にも満たなかった。
2.なぜ匿名を使うのか
 では,なぜ匿名が使われるのかを考えてみたい。

(1)現実の自分をさらけ出すのが恥ずかしい

 多くの人がいる場で発言するのは恥ずかしいという現実社会での感覚に似ている。特に発言内容が皆のレベルに比べて低いのではと感じる場合にはなおさらであろう。世界中の人が見ているのだからつまらない発言はとても実名ではできないが匿名ならできる。これが匿名を使う第一の動機である。昔からある「名を惜しむ」感覚に通じるものがありそうだ。

(2)言動が現実の自分に跳ね返らないように

 第一の動機が恥につながるものであるのに対して,これは自分の行動が引き起こす結果に対する責任回避の意味合いが強い。ネット上で他人の誹謗中傷を行う行為がしばしば問題にされているが,これが実名で行われることはまずないと見ていいだろう。自分を安全な場所に置くための匿名使用の典型である。

 しかし悪い側面だけではない。社会的な問題が組織内からの内部告発によって暴かれることも少なくない。組織の立場からすれば内部告発は好ましいものではないかも知れないが,社会全体の立場からすればこれは是とすべきであろう。しかしながら,勇気ある告発もその人の不利益として跳ね返ってくるのであれば,二の足を踏む者が出てきても不思議ではない。このような組織内での告発者保護のための匿名使用は社会的有用性の観点から評価されるべきである。

(3)自分のバックグラウンドを出したくない

 これは匿名掲示板が定着している一つの理由でもある。すなわち,互いのバックグラウンドの見えない匿名で意見交換を行えば,相手の年齢,職業・役職などの社会的背景に臆することなく,純粋な議論を楽しむことができる。

 またネット上の掲示板などで発言する際に自分のバックグラウンドを隠す方が説得力を持つ場合がある。たとえば,郵便の民営化に反対する議論を展開する人が郵便局の関係者であれば,説得力は乏しいだろう。

(4)別の人格を演ずる楽しさ

 現実の自分とは全く異なる別の人格として,ネット上で活動することを楽しむために匿名を使う場合がある。匿名のネット社会では,性別や年齢などの異なる架空の人格を創造してなりすますことができる。現実逃避というか遊びの空間としてのネットの楽しみ方である。

(5)プライバシーを守りたい

 プライバシーに関する一般人の感覚はここ十年程の間に急速に鋭敏になってきているように見える。そう遠くない昔には,プライバシーを問題に感ずるのは有名人であって,一介の市井人である自分に関わりがある問題とは実感しなかったのではなかろうか。

 近年それが一般に広く意識されるようになったのは,ネット社会の形成と無関係ではないと考える。ネット上での情報の伝播力,伝播速度,ネットの広域性を考えると,ネット社会でのプライバシー問題は現実社会よりはるかに深刻である。

 ネット社会での全ての活動はさまざまな場所におけるログとして記録され得る。現実社会においてもある人の行動はその活動中に接触する色々な人たちの記憶や記録に残り得るが,ネット上のログと現実社会での記憶・記録とではそれらが持つ意味は大きく異なる。現実社会でのある人の足跡をたどれるのは犯罪捜査にあたる刑事位であろうが,ネット社会のログはそれがデジタルであるが故に,その気になれば誰でも収集できる可能性を秘めている。このことがネット社会でのプライバシーの重要性を現実社会以上に増大させている。

 現実社会では防犯カメラとプライバシーの問題が議論され始めているが,そこで問題にされている監視社会を作り上げるための技術的な可能性はネット社会の方がより高いものを秘めている。社会的な仕組みとしてビッグブラザーを出現させない方向を検討すべきだと考えるが,自衛手段としての匿名利用も一つの方向ではある。
3.現実社会での匿名
 ネット社会で匿名を使う動機を見てきたが,現実社会における匿名使用の実態はどうだろうか。現実社会には匿名というよりも無名の社会行動が多い。行動中に会う他人はお互いに相手の顔や名前を全く気にせずに過ごしている場合が圧倒的に多い。普通の人が自分の顔と名前を認識してもらって行動するのは,家庭,近所,学校,仕事場,行きつけの居酒屋のような社会全体から見れば極めて小さい部分社会である。匿名性と無名性とは別の概念である。

 現実社会では匿名が使われる場面は実はそう多くはない。芸名やペンネームのような特殊なケースを別にすれば,一般的に匿名が使われるのは新聞・雑誌・ラジオへの投稿くらいであろう。現実社会は無名性の強い社会ではあるが,ネット社会ほどの匿名性はないと考えられる。

 しかも,これらのケースでは投稿自体は実名で行われ,紙面上でのみ匿名扱いにするルールで運営されている場合が多い。すなわち,読者は投稿者の実像を見ることはできず,その言動に対して直接に責任を追及することはできないが,メディアの編集者はその実名へのリンクを押さえており,投稿者の無責任さの歯止めになっている。
4.匿名は本当に匿名なのか
 実名とのリンクを全くたどることができないという意味での,真の匿名であり得るのだろうか。現実の世界ではメディアへの投稿において,差出人の住所なしで匿名差出人からの郵送を許すなら,上述の意味での真の匿名が技術的には実現できる。ポストへの投函は無名の行為であるために差出人の住所がなければ辿りようがないからである。しかし,ネット社会では全ての行動にはインターネットとの接点が必要であり,そこに振られたIPアドレスは行動の足跡を辿るキー情報となる。ダイヤルアップ接続のプロバイダ経由や構内網からの接続ではPCとIPアドレスとの対応は接続の度に動的に設定されるが,今日主流になりつつあるブロードバンド回線からの常時接続ではこの対応関係は固定的である。換言すれば,たとえ匿名を用いてもIPアドレスから利用されたPCを特定できる可能性がかなり大きいといえる。ダイヤルアップの場合のようにIPアドレスが動的に割り当てられるケースでもある範囲に絞り込むことは可能である。このように考えるとネット社会では現実社会と異なり,上述の意味での真の匿名の実現は技術的に困難と考える方がいいだろう。

 ただし,あるIPアドレスが誰のPCに割り当てられているかを普通の人が知ることは困難であるので,その意味においてはネット社会でも匿名は機能している。
5.匿名使用のメリットとデメリット
 2で見てきたように,ネット上ではリアルの自分を隠したい,そこでの言動の結果が自分に跳ね返らないようにしたい,自分のバックグラウンドを隠したい,別の人格を演じたい,プライバシー漏洩から自衛したいなどの,匿名を使うさまざまな狙いがある。どのような狙いで匿名を使うかは人それぞれであろうが,それぞれの人の立場で考えると,それで達成できる狙いはどの場合も実名では得られないメリットに他ならない。

 しかしながら社会全体の視点で考えると,メリットとしてはプライバシーの自衛,デメリットとしては責任回避がクローズアップされる。すなわち,ネット社会が内包するプライバシー保護の脆弱性に対して匿名を利用することによって自衛する考え方はネット社会の発展のためには是とすべきであろう。プライバシーは漏洩に対する回復措置が事実上不可能であることを考えれば,アクセス管理的な発想に基づく保護対策を信用するよりも,行動履歴の漏洩が起こってもリアルの自分に結びつかない匿名利用によって自衛する考え方の方が自然ではなかろうか。

 現実社会で皆が仮面をかぶって行動するのを想像すると明らかに異様である。しかしネット社会では異様でも何でもなく受け入れられている形である。これはネット社会の方が現実社会と比べてはるかにプライバシーが侵害されやすい環境であることを皆が無意識に感じているからであろう。

 一方,匿名であるが故にネット上の言動に対して責任を追及されることがない特質は匿名を使用する本人はともかくその言動の影響をこうむる人達にとっては決して歓迎することはできないものであろう。2ちゃんねるに代表される匿名掲示板における誹謗中傷やプライバシー暴露,スパムメールやウィルスメールを送りつける行為,ネットオークションにおける詐欺などの,匿名を隠れ蓑とした反社会的行為は看過できないと考える人の方が多いと考える。

 現実社会では匿名を使える場面が比較的少なく,ネットほどの情報伝播力がないので,誹謗中傷を目的とした怪文書事件も時々起こりはするが,この種の行為による実害は割合起きにくい。やはりネット社会の大きな特徴である。ネット社会は油断をすると何をされるか判らない百鬼夜行の仮面社会と化する可能性を秘めているといっても過言ではないだろう。このような社会には善良な市民は近づけず,健全な発展は望むべくもない。

 ネット社会が現実社会とは全く切り離された,現実社会にどんな影響も及ぼさないゲームのような空間であるならば,たとえそこが無責任空間であっても,参加する人がそれを承知したうえであれば,容認されるであろう。しかしネット社会の構成員である利用者は同時に現実社会の構成員であり,そこで語られるのは現実社会の事柄である。さらにデジタルディバイドという言葉に象徴されるように,今日ではネット社会に参加しない選択をするのは大きな不利益を覚悟しなければならない。だからネット社会がどんな行為も免責される治外法権的な社会であることは許されない。

 もしネット社会が匿名は使えず実名だけしか使えない場であるなら,もっと安全でこのような事態は生じないであろう。しかし匿名利用にはプライバシー自衛のような責任回避以外の狙いがあって,それがネット社会の魅力でもあることは否定できない。だから実名しか使用できないネット社会であったら,今日ほどの発展はなかったであろう。プライバシーは守れるが副作用的な無責任が横行する社会をとるか,安全ではあるがプライバシーのない社会をとるか,ネット社会が現在直面しているジレンマである。
6.安全とプライバシーとのバランス
 プライバシーの自衛に有効な匿名には責任追及性がないことが上述のジレンマの根源である。責任追及性を備えた匿名が実現できれば,このジレンマを解決して,より安心できるネット社会を築くことが可能になる。

 それには,3で述べた現実社会における匿名のあり方がヒントになる。すなわち,匿名を一種の登録制にし,登録機関で匿名と実名との対応を把握しておく方法である。もちろん1人で複数の匿名を登録して用途ごとに使い分けることも可能である。匿名を使う人がネット社会で正直に振舞っている限りは匿名性が保たれ,その人の実像は隠される。しかしネット社会で不法行為を働くと,法執行機関は上記の登録機関にアクセスすることにより実名を知って,現実社会においてその人の責任を追及することができる。つまり登録機関はネット社会と現実社会との両方に属する形で存在し,両者をつなぐ役割を果たす。

 相手の名前の認識はネット上のやり取りにおける当事者間(End to End)で行えることが必要である。さらに本当にその名前(匿名であっても)を名乗る本人であって,なりすましが行われていないことを当事者間で確認できることが必要である。当事者間とは,メールであれば受信者が発信者の名前を確認できることであり,ネットバンキングであれば銀行が預金者の名前を,掲示板であれば読者が書き込み者の名前を,オークションであれば購入希望者が出品者の名前を,または出品者が購入希望者の名前を確認できることをいう。

 責任追及性を備えた匿名を実現するには,相手の名前を確認したい当事者に対して,たしかに登録されている責任追及が可能な匿名であって,かつなりすましが行われていないことを,登録機関が保証できる必要がある。このような仕組みをアプリケーションごとに構築するのは不可能ではないにしても,ネット上にさまざまな仕組みが乱立したのでは利用者にとって使いづらいものにしかならない。幸いというのも変だが,このような要求条件を満たす技術的な仕組みは既に存在する。

 PKI(Public Key Infrastructure:公開鍵基盤)がそれである。この仕組みでは公開鍵暗号方式を応用したデジタル署名を示してもらうことによって相手の身元を確認することができる。この確認には相手の公開鍵を用いた署名検証というプロセスが必要であり,相手の公開鍵を正しく入手できることが前提条件となっている。そのために認証局と呼ばれる登録管理機関を設けて,そこに自分の身元と公開鍵とを登録しておき,認証局からそれを示す電子的証明書を発行してもらう方法が採られている。デジタル署名を提示する際には,この電子的証明書を添付することによって,相手に自分の公開鍵を正しく伝えることができる。これは現実社会における実印と印鑑証明との関係に似ている。

 この仕組みを利用して,認証局に自分の公開鍵を登録する際には,実名で届けなければならないが,電子的証明書に記載される名義には匿名をも許すようにして,認証局で匿名と実名との対応を管理しておけば,責任追及性を備えた匿名が実現できる。法執行機関はしかるべき手続きを経れば認証局から匿名と実名との対応を得ることができる訳である。

 この考え方では,個人情報保護に関する認証局の責任は重大である。認証局はその名称から官公庁の一種のような印象を与えるがそうではない。Certification Authorityの訳語の選び方が必ずしも適切でなかったために誤解を生みやすい名称になっているが,民間でも運営可能な業務である。

 責任追及性を備えた匿名を実現するためにPKIを利用した例はまだ見当たらないが,デジタル署名による相手確認は電子政府への届出などで着実に普及しつつある。匿名性に利用しなくともPKIにおける認証局の責任は重く,技術・管理/運営・財務にわたって認証局の確実性を担保するための要件が「電子署名および認証業務に関する法律」として立法化され,既に施行されている。

 これらの現状からわかるように,責任追及性を備えた匿名を実現するための技術的な仕組みはいつでも利用可能な形で既に存在している。従ってプライバシー/安全の両面で安心できるネット社会の実現は,このような責任追及性を備えた匿名を導入するための今後の検討にかかっている。それには一般の利用者をはじめとして,プロバイダ,掲示板,オークション,仮想商店の運営者などを含んだネット社会の構成員の間でのコンセンサスがまず必要であり,さらに法制度面でも整備が必要となろう。

 現在のいわば不完全な匿名をそのままにしておくのはネット社会の将来に禍根を残すことになる。責任追及性を備えた匿名の導入は,ネット社会を誰もが安心して参加できる場にするために今考え始めなければならないことである。
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