ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.26 > p1〜p4

論説
情報教育雑感
三重大学教育学部 奥村晴彦
1 Webのリンクと情報教育
 1994〜1995年ごろから日本でもインターネット,特にWebが急速に普及した。インターネット上のアプリケーションとしてメールやWebがあるのに,最初のころは「メールとインターネット」という間違った分類をしたり,さらにWebとホームページを混同したりすることがあった。

 ホームページとは,もともとはWeb閲覧の起点となるページ(「ホーム」ボタンを押したときに戻るページ)であったが,そのうち英語圏ではサイトの入口にあたるページ(日本語でいうトップページ)の意味でも使われるようになった。

 一方,日本ではすべてのページをホームページと呼ぶ人が増え,さらにHPと略す人も出てきた(昔からHPを通称としているHewlett Packard社は困ったであろう)。幸い,教科「情報」の教科書ではWebという言葉が復権した。

 「ハッカー」もそうであるが,言葉の意味が時代や国によって変わるのはしかたがないことである。しかし,Webの理念だけは変わってほしくない。

  Webを発案したTim Berners-Lee(ティム・バーナーズリー)の理想は,世界中に分散した知識を互いにリンクすることによって,巨大な知のネットワークを構築することであった。

 リンクは単なる参照であり,著作権に触れるようなものではない。また,仮に「リンクは許諾を得なければならない」という主流がまかり通れば,知の輪の拡大は著しく阻害される。Berners-Leeもこのことを懸念し,“There is no reason to haveto ask before making a link to another site”(他のサイトにリンクしてよいか尋ねなければならない理由はない)と念を押している。

 経済産業省の村上敬亮氏も,「では、もし、リンクを張る際、各ホームページ作成者による事前承認が必要、というルールがあったとしたら、インターネットはここまで発展してきただろうか。確たる調査結果はないが、おそらく答えはNOであろう」と書かれている。

 ところが,Webが使われ始めたころの日本では,あるページから別のページに勝手にリンクできることがなかなか理解してもらえなかった。ひどい場合には,別のページを取り込んでしまったと誤解され,そうでなくても,私のページからリンクしたページは,私のページ(あるいは私のサーバ)を経由して読み手に届くと誤解されることがあった。

 次第に,危惧していたことが起こってきた。まず,許可を得ないリンクは著作権侵害だという説が現れた。そうでないことが明らかになった後でも,許可を得ないリンクはマナー違反だと唱える人が絶えなかった。

 新しい普通教科「情報」の教科書を調べても,いくつかの教科書が許可を得ないリンクはマナー違反だと書いている。ひどい教科書になると,民法(第709条)の不法行為の可能性を示唆している。そんな中で,正しい記述をしている教科書もある。たとえば,「ほかのWebページにリンクをはるときは,それが他人のWebページであることがはっきりわかるようにする」というように,簡潔に記されている。

 実際,元々の正しいマナーは,それ以上でも以下でもない。まずいリンクとされているのは,フレームを使ったり,他サイトの画像などをIMGタグで埋め込むといったように,リンク先のURLがアドレスバーに現れないような形で他サイトのコンテンツを利用することである。これらはまさに「ほかのWebページにリンクをはるときは,それが他人のWebページであることがはっきりわかるようにする」に反するリンクである。独立行政法人産業技術総合研究所の高木浩光氏も,2004年4月26日のブログ「アドレスバーへの無理解が広げる「無断リンク禁止教」で,次のように書かれている:

 リンクポリシーなるものを書くとしたら、次のように一行だけ書けばよい。
 必ずリンク先のURLがアドレスバーに現れるようにリンクしてください。
 この一文で、FRAMEやIFRAME、IMGなどによるコンテンツの盗用や、誤解を招くリンクを避けられる。
 
 幸い,GoogleやYahoo!などのサーチエンジンをはじめとして,多数の情報サイトやブログが,「無断で」リンクするマナーを日本でも少しずつ広めつつある。

  ちなみに,「リンクフリー」は和製英語である。英語で“This page is link-free”と言えば,「このページにはリンクがない」という意味になるであろう。
2 パスワードで安全?
 個人情報保護法が完全施行されたが,個人情報の漏洩は止まらない。学校でも,成績などの個人情報がパソコンごと盗まれる。ワイヤーで机に固定しておいてもペンチで切られてしまうであろうし,ロッカーに入れて施錠しておいてもプロの泥棒なら簡単に開けてしまうであろう。学校のすべての個人情報を満載したサーバも,盗もうと思えば盗める。

 そんなとき「パスワードが設定されているので大丈夫」という人がいる。パスワードはどれくらい効果があるだろうか。

  まず,WindowsのログオンパスワードやBIOSパスワードは,盗難に遭えば役に立たない。CD -ROMからOSを起動するか,それができなければハードディスクを別のパソコンに取り付ければ,簡単に中身が読み出せてしまう。ハードディスクパスワードはこれらより安全であるが,しかるべき業者に依頼すれば解除可能である。

 個人情報はフロッピーやUSBフラッシュメモリに移動すれば大丈夫か。残念ながら,いったんハードディスクに保存してしまったものは,消去してもフォーマットしても,同じ領域が別のデータによって上書きされる前ならば,簡単に復元できる。同様に,よく学校などで使われているハードディスク復元装置(再起動時にハードディスクを元の状態に戻す)を付けていても,いったん保存したファイルが本当に消えるわけではない。本当に消すには,専用のツールが必要である(OSに付属しているものでもよい)。

  どうしてもパソコンに個人データを置かなければならないときは,暗号化すべきである。ところが,正しい暗号化の方法については,あまり教えられる機会がない。

 Windows XP Professionalには,フォルダを右クリックして暗号化するEFS(暗号化ファイルシステム)という機能がある(ファイル単位でもできるがフォルダ単位が望ましい)。ただ,レジストリを書き換えない限り,14文字以下のパスワードならLMハッシュに保存されるので,Rainbow Tableを使えばほとんどの場合に数分程度でパスワードを知ることができる。なお,Windows2000のEFSは,通常の使い方では,ほとんど意味がない。

  Mac(OS X 10.3以降)には,ホームディレクトリ全体を128ビットAESで暗号化するFileVaultという機能がある。しかし,パスワードはディスク上の仮想メモリ(スワップファイル)に保存されるため,コンピュータに物理的にアクセスできれば,比較的簡単にパスワードの候補を探すことができる。Mac OS X 10.4 では「安全な仮想メモリを使用」オプションを使えばよい。

 Word等にもパスワード機能がある。デフォルトでは気休めの40ビット暗号であるが,最近のWindows版のOfficeでは,オプションで128ビット暗号が使える。

  128ビット暗号とは,128ビットの鍵まで使えるということであるが,例えば英小文字と数字を混ぜた8文字のパスワードでは8log236≒41ビット相当の強度しかない。これでは現在のコンピュータなら総当たりで解けてしまう。もっと長いパスワードを使うか,指紋などの生体認証やUSBキーと組み合わせるか,あるいは暗号ファイルを二つにスライスして片方をUSBメモリに入れるようなツールを使うなどの手段を講じる必要がある。

 メールの暗号化には公開鍵暗号が適する。私はPGP互換のオープンソースのツールGnuPGを愛用している。WindowsにもWinPTというGnuPGベースのツールがある。

  安全と信じて使っているツールに欠陥が発見されることもよくある。「セキュリティホールmemo」などの情報サイトを頻繁に見ておくことが必須である。

 こういったことにどんなに注意を払っても,ウイルスやスパイウェアをパソコンに飼っていれば,無意味である。個人情報を保存したパソコンで,Winnyを使うなどもってのほかである。

 実際,私のところにも,某高校の進路指導室から,個人情報満載のファイルがウイルスメールにより流れてきたことがあった。すぐにその高校に連絡し,ウイルスは駆除されたが,流出の事実は公表されなかったようである。

  このような事故を防ぐには,Windowsであれば,Windows Updateやウイルス対策ソフトのパターン更新に気を遣わなければならないのはもちろんのことであるが,そもそも個人情報を扱うパソコンはなるべく他の用途に用いないことが望ましい。

  さらに,ほとんどのウイルスやスパイウェアがWindowsをターゲットとしていることを考えれば,Windows以外の選択肢(例えばMac)を考えるのも,少なくとも当面は,役に立つであろう。
3 WindowsだけがOSではない
 私はLinuxやMac(OS X)など,UNIX系のOSを好んで使っている。Windowsがなくても特に困らない。しかし,周囲を見ればほとんどがWindowsになってしまった。社会全体がWindowsという一つの非公開のシステムによって支配されてしまうことは,異常事態である。いったいどうしてこうなったのだろう。

 国が提供するサービスも,Windowsなしには享受できないことが多い。例えば,公的個人認証のサイトには,

 現在、公的個人認証サービスに必要となる利用者クライアントソフトは、利用者のパソコンのOSがウィンドウズであることが条件となっており、マッキントッシュやリナックスなどその他のOSの場合はご利用いただけません。
 
と明言されている(ただしMac,Linuxについては検討するとされている)。国税電子申告・納税システム(e-Tax)も同様である。つまり,ネットで国に対して自分が自分であることを証明したり,ネットで納税したりしようとすれば,Windowsを買わないといけないのである。

 WindowsのInternet Explorer(IE)でしか見えないページも多い。私の住んでいる市のWebサイトにも,そのようなページがある。どうしてこうなっているのか問い合わせたところ,Windows+IEのシェアは95%だと反論されてしまった。しかし,単純にHTMLの標準に則って作ればほとんどのブラウザに対応できるはずである。わざわざ余計なことをしてアクセシブルでないページを作ってしまうのは,情報化についてのセンスが欠如しているためではなかろうか。

 教科「情報」,特に「情報A」の教科書も,記述のバランスがとれている教科書もあるが,まるでWindowsの操作ガイドのようなものまである。

  特定企業の製品を買わないと国のサービスを受けられない仕組みは作るべきでないし,教育現場はそのような流れに加担すべきではない。

  では,Windowsが操作できることが情報教育の目的でないとすれば,何が目的なのであろうか。
4 情報教育の目的
 アルビン・トフラーの有名な『第三の波』が出版されたのは1980年である。彼はこの中で,第1の波(農業),第2の波(工業)に続いて第3の波が来つつあることを予言した。しかし,日本ではすでに1963年に梅棹忠夫が同趣旨のことを書いている(「情報産業論」『放送朝日』1963年1月号,『情報の文明学』(中公文庫)に再掲)。

 その梅棹忠夫が,調査する・考えをまとめる・文章にするといった,広い意味での勉強法あるいは研究法を扱った『知的生産の技術』(岩波新書,1969年)は,研究心旺盛なサラリーマン層にも広く読まれ,「知的○○」ブームを巻き起こした。パソコンもなかった時代に書かれた本であるが,今読んでも教えられることが多い。そのあとがきには,次のように書かれている:

 さきに,文章の教育は,情報工学の観点からおこなうべきだろうといったが,ここにあげたさまざまな知的生産技術の教育は,おこなわれるとしたら,どういう科目でおこなわれるのであろうか。国語科の範囲ではあるまい。社会科でもなく,もちろん家庭科でもない。わたしは,やがては「情報科」というような科目をつくって,総合的・集中的な教育をほどこすようになるのではないかとかんがえている。

 梅棹が36年前に唱えた「情報科」は,今の「情報A」の理念に近いものであったように思える。

  一方,理系の大学や企業が考える情報教育は,「情報B」の流れに近いアルゴリズム的思考の教育である。こちらについては,センター試験の「情報関係基礎」や,いくつかの大学などで始まろうとしている「情報」入試問題を見ていただければ,特に大学が求めているものがおわかりいただけるであろう。

 つまり,昔から情報教育には少なくともこれら二つの目的があったわけである。これらを分けて考えなければ,無用な誤解が生じかねない。今年度は普通教科「情報」の3年目(完成年度)である。この3年間でわかってきた問題点を整理し,受け入れ側の大学も一緒になって,次のステップを検討する必要があろう。

  こういった話題は,私のサイトにあるWiki(読者が編集可能なWebページ)で採り上げている。本稿へのコメントもぜひWikiのほうにお寄せいただければ幸いである。
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