ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.3 > p24

コンピュータ教育のバグ
−似て非なる現実のギャップ−

 「学校にコンピュータがやってきた。」日本中のどこの学校においても,すでに,あるいは,近い将来には必ず経験する出来事でしょう。「えらいことになった。うちの学校では誰ひとりとしてコンピュータなんて扱えないぞ。ましてや,生徒に教えるなんて…」という学校もまだまだ多いですが,中には「よし,いよいよ我が校でも時代の流れにのった教育ができるぞ!」と手ぐすねをひく先生方もまた沢山おられます。今回は,そんな先生方の失敗談です。

コンピュータを使いこなしている先生は
 自宅でも自分用にコンピュータを所有していて,インターネットもバンバン使いこなして,生活に密着したコンピュータ利用をされている先生もかなり増えてきました。学校にコンピュータが導入されたのを機会に,「じゃあ,一丁,生徒にもしっかり教えてやるか。」とやる気満々で授業に望みました。しかし,教師としての基本でもある「自分が理解することと,生徒に理解させることにはギャップがある」ということがコンピュータ教育では特に大切であるということを忘れていました。

  なぜ忘れたかというと,コンピュータというだけで生徒は関心を示し,積極的に実習に取り組むからです。普段の授業では,なかなか積極性を見せない生徒たちが目を輝かせてコンピュータに向かうではありませんか。「ひょっとして,俺ってコンピュータ教育に関しては天才じゃあないか」などと悦に入ってしまってはもう最悪。最初のうちは,コンピュータは,生徒にとって,「楽しい上等なおもちゃ」だったのですが,次第に飽きてくると今まで輝いていた目も見るも無惨にどんよりと曇り,せっかくのコンピュータが「高価でつまらないガラクタ」になってしまうのです。
コンピュータ教室のモラル
 もう1つ,コンピュータ導入当初の問題にコンピュータ利用に関するモラルの意思統一という問題があります。「せっかく入ったコンピュータなんだから,末永く大切に使おう」ということで,「キーボードやマウスは丁寧に扱う」,「ディスプレイは週に一回拭き掃除をさせる」などなどハード面に関するフォローばかり考えがちなのです。

  しかし,むしろ使用環境やソフトの運用についての方がやっかいなのです。コンピュータに詳しい先生が多い学校ほど,先生方のプライベートでのコンピュータ利用形態が様々あるので,たとえば入力形式を仮名にするかローマ字にするかという問題一つとってみても,それぞれに我田引水をしてなかなかまとまりません。さらに,個人的に使い慣れているソフトを授業でも利用したいと思うのも人情。おまけに,ソフトのことですからバージョンアップによる変更も頻繁です。これらの要素が絡み合ってくると,授業でどのような環境で,どのようなソフトを使って,どんな授業展開を行うのかということを統一していくことは本当に大変な作業です。「いやいや,うちの学校は大丈夫。きちんと統一した形式でやっているよ」とおっしゃる方ももちろんあるでしょう。最後に蛇足ながら,きちんと統一した形で運用している学校の大半は,一般的な利用状況とはかけ離れた,管理責任者が都合のよいように運用している,独りよがりな利用方法がけっこう多いことを申し添えておきましょう。
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