ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.30 > p32

コンピュータ教育のバグ
はてしないゴールをめざして
—めあてをかくす日本の美学—
 侘び寂び幽玄というような日本独特の感覚は,欧米人には理解が難しいようで,その神秘的な感じが日本文化に傾倒するきっかけになる場合もあるようだ。一方では,日本人はイエス・ノーをはっきり言わないだとか,いつもへらへら笑っているだとか,世界ではそんな中途半端なイメージを持たれる場合も多々ある。どうやら,何事もズバッとはっきり言わないところに日本の美学があるようである。
学習の目的
 学校に目を転じてみよう。日常の授業では学習の目的というか,めあてというか,そういうものはきちんと生徒たちに伝わっているだろうか。授業をする先生の側では,「もちろんそんなことは,いつも話しているさ」とおっしゃるだろう。しかし,本当に大丈夫かと改めていわれると,ちょっと怪しかったりもしないだろうか。授業のいろいろな単元で,何のためにそれを学習し,何を習得することが目的なのか,きちんと生徒たちに伝わっているだろうか。
 学習の中での記憶や読解といった行為そのものだけが目的だと勘違いされてしまうことなど多いと思う。例えば,単語や歴史や公式なんてのを授業で取り扱うときに「大事だからこれは覚えとけよ」「テストに出すぞ」なんて言ってしまうもんで,生徒にとっては暗記することが最終目的になってしまっていたりする。もちろん知識量を増やすことは意味があることで,後々何かに応用していく土台となるモノだ。だが,一時的にせよそれだけが目的と考えてしまっては,「何のために勉強するの」という感覚が生まれてしまい,モチベーションを下げる遠因にもなりかねない。あるいは,勉強することが学習の目的というような,本来の趣旨から離れた無限ループのような状況も考えられる。
 また,もう一つの問題は,日本では生徒が先生に「この授業内容はどんな目的で用意されているのですか」とか,「私は学習のめあてに私はどの程度到達していて,どんな評価を受けますか」とか,なかなか率直に聞きづらいという現実もある。ともすれば,先生に反抗的な態度だと見られてしまったりするのである。
コンピュータ教育の目的
 では,これをコンピュータ教育にフォーカスしてみるとどうだろう。コンピュータの設定や操作のマスターだけを,生徒に目的だと感じさせていないだろうか。いわゆる情報活用能力の育成という方向がきちんと伝わっているだろうか。コンピュータの基本的な使い方をマスターしたら次にどんな実習が用意されているだろうか。
 コンピュータ操作が絡む実習では,先生の準備もなかなか大変である。マシンの調整やらソフトの確認,そして実習手順の検討など,かなりの労力が必要である。そんな実習授業に対して,「この実習はどんな目的で行うのですか」「この実習の結果はどんな評価項目で採点されるのですか」などと生徒が質問してきたとしたら,きちんとそれに答えられるだろうか。ややもすれば「つべこべ言わずにコンピュータを操作しろ!」とか,「点数なんて気にせずに,きちんと実習に取り組め!」みたいなことを言ってしまうのではないか。あるいは,「この実習をきちんとすれば文字の入力が早くなるよ」「このソフトはとっても便利なんだよ」なんて,目先のことだけをぶら下げてしまっていないだろうか。考えるに,こういうコンピュータ教育の実情は侘びしく寂しい気がするのだが…。
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