ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.34 > p31

コンピュータ教育のバグ
サイコウの授業
—アプリケーションソフトウェアの指導内容—
 学校の先生なら,どなたも身に覚えのあることかと思うのだが,他人の作った教材プリントやテストなんていうのは,そのまま自分の授業で使用するのには抵抗感がある。たとえば,年度替わりで担当者が代わった科目などでは,前任者から膨大な資料と教材データをもらったりするのだが,よほど切羽詰まらない限りはそのままお蔵入りしてしまいがちなのだ。「他人のふんどしでは…」というところだろうか。
教師の飽くなき創造心
 教師が描く一つの理想型として,「自分しかできない最高の授業」というのがあると思う。これを胸に秘めつつ,常に自分なりの授業案を工夫して生み出そうという努力を続けている。しかも,自ら考えた指導案は,そのまま自分の授業におろして自身で実践することができる。教育実習生でもない限りは,このオリジナル指導案にダメ出しされたり,採用されずボツになったりすることはあまりない。つまり,教師は自分で作ったオリジナルを必ず世に出すことができるという環境に恵まれているのだ。そして,教師としては,それなりに時間をかけ頭をひねって作り出した指導案であれば,それなりの自信もあるし生徒への浸透力にも疑問をあまり感じない。
 しかし,よく考えてみると,よほど意識して自分自身の作り出した授業を評価しなければ,独善的なモノになってしまうということも考えられる。「本当にその授業内容で大丈夫なのか」というところを,いつも考えておく姿勢も必要ということだ。ひょっとしたら,前任者がやっていた内容の方がベターであるということもありえる。できれば,誰かが授業の内容をチェックするようにすればよいのだが,こういう機能は,今の日本の学校ではまだまだ有効に働いているとは言い難いのが現状だ。
たとえば,ソフトウェアの指導
 指導内容や授業案がある程度定番化されて固まっている教科・科目については,授業内容の精査ということについて,いくぶんはできている部分もあるかと思う。しかし,高校の情報科をはじめとしたコンピュータ教育の分野ではどうだろう。そもそも,歴史があまり長くないので,系統だった指導をするための体系作りなんてところに未だに四苦八苦していたりする。必然,担当する先生方の工夫に依るところも大きくなる。
 たとえば,さまざまアプリケーションソフトウェアの操作や使用法について指導しようとした場合,どのように実習をおこなうだろうか。当然ながら,操作方法を習得させなければならない。ここで,その程度の問題が出てくる。どのレベルまで習得させるかである。とにかく使えればよいとするのか,一応使いこなすという段階に持っていくのか,そのソフトウェアのさまざまな機能を使ってありとあらゆる場面に対応できるようにさせるのか,入力から出力までの所要時間を短縮するスピードアップにもっぱら努めさせるのか。基本は,汎用性の高い操作のみを習得させて,あとはそれ以降の授業で活用方法に応じてで良いと思う。主体的な情報活用能力を育むという観点からもそうあるべきだ。ところが,創造性溢れる先生方は,ついマニアックで,他のソフトウェアでは活用が利かない操作に踏み込んで指導し,「自分しかできない授業」に持っていきがちなのではないか。これって,最高ですか?再考ですか?
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