ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.35 > p32

コンピュータ教育のバグ
ミイラとりがミイラに
—コンピュータ関連検定試験の功罪—
 「ミイラとりがミイラになる」という諺。どうもミイラというとピラミッドみたいなイメージある。だから,日本の諺としては,何だか違和感がある。しかし,よく調べてみると歌舞伎や文楽で演じられる本朝廿四孝という物語集にもこの諺は記されていたようだ。この物語集は江戸時代の寺子屋なんかでも教材として使われていたというから日本語として歴史の浅い言い回しでもないらしい。そういえば,漢字で木乃伊という字もあるし。
役に立つから手に入れたい
 だいたいなぜミイラを取りに行くのかも疑問だ。こちらも調べてみると,どうやらその昔は,ミイラに薬としての効能があるということで珍重されていたらしい。解熱剤や鎮痛剤として使われていたようだ。しかし,ミイラを取りに行く途中でさまざまな困難に出会って,結局果たせず自身がミイラになってしまうということが由来らしい。しかも驚いたことに,この薬としてのミイラは,17〜18世紀ごろに相当な量が日本にも輸入されていて,豊臣秀吉や徳川吉宗も飲んだとか。ともあれ,効能があるから手に入れたいと思ったところがこの諺の原点のようだ。
 閑話休題,コンピュータに関係する検定試験が,最近どんどん増えて乱立気味である。コンピュータに関するいろいろな知識を問うもの。アプリケーションソフトウェアの利用技術を検査するもの。情報の発信や表現に関するもの。操作スキルのレベルやスピードを認定するもの。最近の十数年程度で,本当にたくさんの検定試験が世に現れた。これらの対象は,なにも学校で学ぶ生徒や学生だけに限定されている訳ではない。
 しかし,日本のコンピュータ教育における一つの目標として,検定資格の取得というのを据えている例は多々ある。なぜなら,コンピュータ関係の資格を取得することで,コンピュータを操作できるとか,一定のスキルや知識を持っているということを,ある程度は端的に,かつ客観的に証明できるからである。そして,これが次の学校への進学や就職の選考を受ける際に,有利に働くということもある。極論すれば,検定資格はコンピュータの世界でのステータスシンボルともいえるのではないだろうか。とすれば,情報社会を生き抜くのに役に立つということになる。
入手方法を考えなければ
 ただ,どんなに役に立つモノでも,その入手方法をきちんと考えなければえらいことになる。例えば,高校の教科「情報」で一年の大半の授業時間を費やして,コンピュータ入力のスピード練習や特定のソフトウェアの操作方法だけを練習させるとどうなるだろうか。結果として,多くの生徒が検定試験に合格するはずである。これは,相応に役に立つ資格を取得させることに成功したことになる。しかし,教科「情報」で本来身に付けるべき主体的な情報活用能力は,どこに行ってしまったのか。
 コンピュータ操作に終始することで授業もスムーズに進行するし,生徒たちも一定のモチベーションを持続させやすい。一旦このパターンに陥ってしまうと,なかなか説明を聞いて理解させたり,課題解決方法を考えさせたり,研究させ報告させたりというあるべき授業の姿に戻って来れなくなってしまう。気がついたらコンピュータ実習室で,ミイラの集団を育てているようなことになってはいないだろうか。
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