ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.38 > p32

コンピュータ教育のバグ
武士は食わねど高楊枝
—学校現場にはお金がない—
 「渇すれども盗泉の水を飲まず」「鷹は飢えても穂を摘まず」「武士は食わねど高楊枝」こういう高潔さ,清貧さというのは,学校現場に常に求められている感覚というか,もう神格化された何かが存在しているかのような節さえある。しかし,よくよく考えてみると,要は学校現場にはお金がないということである。しかも,一般の常識とは逆に,むしろお金がないことが尊いとされる場合も多々あったりもする。
お金がなくとも情報教育の質は保てるか
 唸るほどの予算があって,設備に消耗品に人件費に使いたい放題! なんて学校は,日本にはまず存在しない。だいたい,世間一般も,学校にはなんとなく清貧なイメージを持っているようだ。たとえば,スポンサーがついてドカンと資金援助をしてくれるなんてのは,実際にあまり例がない。学校の教師の側でも,別に血眼になって資金集めをしているという感はなく,授業や生徒指導など,これといった費用もかけず,ことさらに収益も生まずに日々の業務をこなしている。
 しかし,この点では情報教育に携わる先生方は大変だ。情報教育には,とりあえずはそこそこのスペックのコンピュータがほしい。周辺機器やソフトウェアもいる。しかも,それらの寿命は他の学校用品に比べて短いといえる。一見すると金食い虫ということになり,後発の教科担当者としては肩身が狭いことこの上ない。ややもすれば,本当にそんな金のかかることをする必要があるのかという議論に発展してしまう。
中でも追加料金というのはありえない
 そんな逼迫した学校現場の金銭感覚の中でも,もっとも忌み嫌われるのは追加料金,つまり,想定外の追い銭だ。コンピュータのハードウェアについての費用は何とか捻出して,購入するなり,リース契約するなりで,導入にこぎつけたとしよう。しかし,当然ながら保守点検の費用や,時代の変化に対応したソフトウェアの追加や周辺機器の購入など,システムのバージョンアップの費用は,その後も必要である。こんなことは,コンピュータをちょっと扱ったことがある方なら常識としてわきまえておられるだろう。しかし,学校現場ではこういう支出に対しては否定的な感覚がまだまだ主流である。一旦学校用品として使い始めたコンピュータに対して,こんな想定外の支出はまかり通らないという理屈なのだ。厳密に言えば,こんな支出も想定しておくべきなのだろうが,予算がない,費目がない,継続性がない,正統性がない,などとまことしやかな理由で配慮はされない場合が多い。
 もっと言及すれば,たとえば新しいコンピュータシステムを導入した際に,耐用年数の期間の追加支出を正確に算出するのは不可能である。しかし,ある程度の見込みでこういう費用は確保しておくべきである。せっかく導入したコンピュータを有効に使おうと考えているならそうすべきである。ところが,これが意外に認められにくい。「高い機械を買ったんだから,後は数年間それで何とかしろ」ということである。あるいは,「そんな数年で使い物にならないようなことなら,そのスキルも知識も必要ないんじゃないか」とさえ言われてしまうこともある。しかし,それでも主体的な情報活用能力というやつを育まなければいけない。そのためには,いささかの費用は必要である。いくら武士でも楊枝は食えないからである。
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