ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.40 > p29

コンピュータ教育のバグ
さて,優勝者の発表です。—教育的な大会審査は可能なのか—
 ○○コンテスト,△△コンクール,××グランプリ。テレビの番組やイベントやなんかで,いろいろなパフォーマンスに関する競技形式の大会が行われているのをよく目にする。何らかの審査があって,優勝者が決まるというしくみ。でも,時として審査結果を見て,「出来レースじゃねぇの」とか,「なんか不公平だな」とか,「優勝者よりもいい内容のトコがあるのに」なんて,感じることもままあるわけで。
審査って難しい
 学校教育に関連しても,いろいろなコンペ形式の大会をカリキュラムに取り入れることは,よく行われている。文部科学省あたりでも,こういう取り組みを奨励している感がある。殊に,コンピュータ教育の分野では,ネットワークを活用して情報を共有しやすいという特長を活かしてか,さまざまな大会が実施されるようになってきた。生徒たちの取り組みの成果物や,研究内容や,各種のプロジェクトの報告などを発表する場を設けることで,学習内容を振り返り,他校の取り組みを知り,次の活動へのモチベーションを高める,というようなさまざまな効果が期待できる。
 たとえば,各校からの参加者が何らかのプレゼンテーションを順に行う形式の場合は,会を盛り上げ,しかも生徒たちの目標にもなるということで,賞や順位が設定され,審査を行うことも多い。こういった大会を企画・運営する立場を考えると,会場の設営や出場者の手配もさることながら,審査の段取りというのが最も苦労する点の一つである。まず,審査基準の設定。その大会に適した基準を適切に設けるというのは大変頭の痛い問題である。いきおい他の大会の審査表をそのまま採用したり,「内容10点・印象5点・云々…」と抽象的な項目と点数だけを並べて,結局何を採点しているのか良くわからないまま実施してしまいがちである。次は,審査員の依頼。教育的配慮も必要,公平な判断も必要,採点後の高評もあるとなると,なかなか引き受け手もなく,適任を見つけられない。ことほど左様に審査の段取りは難しい。
勝負は非情なものなのだが
 ようやく本番にこぎつけ,全ての出演者が終わっていざ審査となったとき,頼みにしていた審査員が明らかに偏った採点をしていたり,複数いる審査員の一人があまりに極端な点数をつけていたり,点数に差がつかず順位付けが困難だったり,審査結果を出すのにも一苦労である。
 そして,いよいよ閉会式で結果発表。優勝者や良い賞をもらった者は喜びに沸く。もし,涙の一つでも見せてもらえたら,運営に携っていた人たちもやり甲斐があったと感じられるだろう。しかし,勝者を作れば敗者も作ることになる。敗れた者たちは,敗因を真摯にとらえ,次に繋げる。と,全てうまくいくとは限らない。がんばってきたのに,相応の評価をしてもらえないと感じたら不満が残る。さらに,大会に至るまでの生徒たちの努力までを評価したのか,あくまで大会当日の出来の評価なのか。良い発表にするために先生は,どこまで手を出して手伝ったのか,などなど,教育的な部分を言い出すとキリがなくなってしまう。
 コンピュータを使って集計すれば,審査結果はスムーズに出る。しかし,その元になるデータを作るのは人間なのだ。ここにどこまで配慮を加えるかが成否の鍵なのかもしれない。
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