ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.45 > p24〜p27

海外の情報教育の現場から
シリコンバレー滞在中に見た情報教育
東京女子大学非常勤講師 菅宮 恵子
1.背景
 私は現在,大学で教職課程科目である情報科教育法を担当しています。
 以前は大手コンピュータ会社で営業やSE,プログラマなどを対象とした社内外及び海外の教育に携わってきました。パートナーの海外研修のため退社,帰国後は情報の専門学校で,その後神奈川県で初めての単位制高校や横浜市の総合高校,また私立のいくつかの高校で情報関連の非常勤講師として働く機会を頂戴いたしました。
 高校での教科「情報」が実施される以前には,Cなどのプログラミングやコンピュータミュージック(DTM),平成15年度以降は情報A・B・Cをはじめ,マルチメディアなどの専門教科を担当してきました。
 2007年4月より2008年3月まで,アメリカ西海岸の日系企業のCIOとして駐在したパートナーと共に,シリコンバレーの北限と言われるサンマテオ市に滞在しました。
 サンマテオは人口が10万人ほどの小さな都市で,サンフランシスコのベッドタウンとして発展してきました。動画配信サイトのYouTubeの発祥の地でもあります。北はtwitter本社のあるサンフランシスコへ車や電車で30分ほど,南はGoogleやYahooなどの多くのIT企業の創始者や技術者を生み出しているスタンフォード大学へも車や電車で30〜40分のサンマテオには,IT系の仕事に携わる人間も多く住んでいます。
 隣の市にはオラクルの本社や,有名なゲームの会社もあります。近所のカフェや電車の中でノートパソコンを使って仕事をしている人の姿も良く見かけました。たいていのカフェでWiFiと呼ばれる無線LANが無料で使えるのは,うらやましい限りです。
 日本では情報教育は学校が行うものであり,外部ではあまり教育関連のシステムが用意されていません。しかし,シリコンバレーの情報教育を垣間見たことで,もっと地域コミュニティなど外部との連携が必要となるのではないかと考えました。ここでは,シリコンバレーで見た学校および外部の情報教育について紹介します。
2.学校では情報教育の先生が足りない
 米国ではカレッジに通いESL(母国が英語でない人に対する教育)の教授に学んでいました。私が日本でITの教師をしていたこと,仕事が恋しいことを話すと,その教授が教えてくれたことです。
 シリコンバレーでは情報教育の先生が足りないのです。
 理由の1つは給料の額です。シリコンバレーのIT技術者の給料は,総じて教師よりかなり高いレベルでした。保険などの待遇は会社によってさまざまですが,求人サイトを見る限りでは大卒のプログラマで年収8万ドル,上位の技術者は10万ドル以上でした。住んでみて実感した当時の物価は1ドル100円程度でしたので,換算するとプログラマでも年収800万円以上となります。家賃は東京並みか,それ以上。と言っても広さは1.5から2倍以上あります。現地法人社長レベルでは数千万円,一般IT企業で成功すれば億万長者です。実際に,お世話になった先生の甥が立ち上げた有名なSNSがGoogleに買収され,彼は24歳にして億万長者でした。
 もう1つの理由は労働許可証です。技術力や大学卒以上という学歴を満たしていても,労働許可証を取得できない人は働くことができません。前述のESLの教授も,高校に頼まれてフランス人を紹介したそうです。IT技術者が非常に多いシリコンバレーで教師が不足している事実は意外でした。
 幸いにも私は労働許可証が取れるビザを持っていました。その教授は,私に大卒であることを確認した上で,だったら学校で働けるわよ,と励ましてくれました。大卒であればよいということで,情報教育のレベルはさほど高くないことが解りました。日本でキャリアカウンセラーの資格を取得しておりましたし,更に教授のことばに勇気付けられて,アシスタントであってもシリコンバレーでの教育という珍しい経験をしたいと考えました。しかし,残念ながら帰任のため実現しませんでした。
3.学校では情報の科目は多くない
 渡米前は,シリコンバレーという土地柄の学校ではプログラミング言語からマルチメディアまで,さぞかし各種情報科目が多く開講されていることだろうと思っておりました。ところが,高校でも意外に情報系の授業は多くありません。
 サンマテオ市の公立高校サンマテオハイスクールでは,日本のように独立した情報の科目はありません。その代わり,応用統計科目のように,パソコンを道具として使う授業が非常に多く用意されています。
 小学校や中学校でもパソコンやインターネットは独立科目ではなく,授業の中で活用される場合が多いようです。
 もともとアメリカでは,小さいうちからパソコンに慣れ親しむことができる素地があります。かなや漢字を変換して入力しなければならない日本語と異なり,英語はアルファベットで直接入力できるため,小さい子でも操作しやすいのです。また,タイプライターの文化の国ですから,年齢問わずタッチメソッドになれています。更にシリコンバレー近辺では家族がIT系に勤めている率が高いので,家庭のパソコン所有率も高いのでしょう。
 シリコンバレーの大手IT企業の労働者は,夕食を家族全員でとるために夕方には帰宅します。夕食後にメールやネットを使って仕事をするケースを多く見てきました。ですから子供も小さいうちから親の使うパソコンに興味を持ち,操作や注意点を家庭で教えてもらえる機会が増えます。
 サンマテオ高校では,2つあるコンピュータ室と図書館のパソコンを使うためには許可シールが必要で,それを学生証に貼らなくてはなりません。許可シールをもらうためには,ガイダンスに出席し説明を受け,使用ルールや著作権などを理解し了承する必要が有ります。日本では,このようなガイダンスも情報の授業内で実施している高校が多いのではないでしょうか。契約社会であるアメリカでは,ルールを破った場合の罰までも明文化されています。
 サンマテオよりシリコンバレーの中心地に近く,HP社やアップル社があり,教育面を重視した日本人駐在員が多いのがクパチーノ市です。シリコンバレーで働くIT系の人たちがサンマテオより多く住んでいます。クパチーノ高校では,学校独自にJava言語の入門コースや情報科学の科目が用意されています。これらの科目は数学系に分類されており,単位認定は数学系になります。担当も数学科の先生でした。
 マルチメディアのムービー作成を開講している高校もあります。この授業は美術科目でした。
 このように日本では情報科目の範疇に分類される科目でも,担当の教員の科目として分類されていました。これらの科目は教科や担当教師に開講を任されているため,年度により開講しない場合もあり,教育内容もかなり変化します。概してシリコンバレーの高校より日本の単位制高校のほうが開講科目数や種類が多い印象を受けました。
 日本のような情報教育をアメリカの高校で実施していた場合には,防ぐことのできる犯罪も有りそうでした。有名なSNSでは基本的に本名を入力します。また,本人の写真をそのまま加工もせずに載せている例も多く見られます。そのため,女生徒に目を付けた犯罪も起きました。全国放送のニュースでも注意を呼びかけていた程です。
 また図書館で堂々とオンラインバンキングの操作をする大人がいました。ボランティアで利用者の補助をしていた私は,ちらっとですが残額も確認できました。パソコンは何台も並んでいますので,利用者同士が隣や後ろを覗くことができます。大人がしているからと生徒がまねをしたり,誘惑にかられてパスワードを盗んだりするなどの犯罪につながらないと良いのですが。
 学校では少ない情報系の授業は,外部で学ぶ機会に恵まれています。高校生であれば,コミュニティカレッジと言われる公立の短大で学ぶことができます。ここでは多数の科目が開講され,教養科目から就職に直接関連ある科目まで用意されています。情報系の授業も例外ではありません。科目により受講条件が異なりますが,その条件さえ満たせば高校生も受講できます。ただし高校のスクールカウンセラーなどに相談の上,所定の手続きが必要です。教室には高校生からシニアシティズン(お年寄り)まで,年齢や国籍もバラエティに富んだ受講生がいます。ここでは年齢や国籍を超えた人間関係を構築できる機会も有るでしょう。
 私が通っていたサンマテオカレッジでは,「コンピュータと情報科学入門」や「Visual Basic」,「インターネットプログラミング入門」など高校生でも受講可能な科目が多く用意されていました。入門レベルの科目の単位を取得できれば,更に上級レベルの科目を学習できます。夜間開講コースやオンラインで学習できる科目もあります。ほとんどの単位は四年制の大学へ移行できるので,例えばカリフォルニア大学バークレー校やカリフォルニア州立大学などで学びたい生徒には良い学習手段になるでしょう。
 日本でも最近は単位制高校を中心として,大学で取得した単位を認める制度も出てきています。しかしながら,科目が限られていたり,受講を認めている大学が遠かったりなどの理由で制限が生じてしまう場合も多いようです。日本でも縦の教育関係を密接にして,情報教育の機会を提供できれば,生徒のキャリアに反映できるのではないでしょうか。
4.親の責任も重大
 小学校・中学校ではコンピュータ室で起こる問題を避けるために,利用ルールを家庭でも了承してもらいます。その証拠として,親に同意のサインをもらうという話を聞いたことがあります。サインをした責任上,家庭でも様々な危険や責任について子供と話し合うことでしょう。車社会のため,子供は親の送り迎えが無いと行動できません。そのため,親はかなりの権限を持っています。
 教育は学校のみで行うものでは無いという考え方のもと,子供に迫る危険に対しては家庭と学校とがタッグを組んで防ぐこともできます。社会の在り方の異なる日本では,親の同意のためにサインをもらう機会が少なく難しいかもしれません。しかし,子供を見守る大人の目は多いに越したことがないのではないでしょうか。
5.不法滞在者にも情報教育
 渡米してすぐに,私はカリフォルニア州が予算を出して成人を教育するアダルトスクールに通いました。「アダルト」と名前に付くため,日本人にはどんな学校かと怪しまれるこの学校は,合法・不法を問わず,アメリカに新規に滞在する18歳以上の人間に対して,英語やアメリカの習慣,更に永住権(グリーンカード)を取得するための基礎的な教育を行います。私の入ったクラスにも不法移民が2人いました。
 また,コミュニティに属する人たちにパソコンの使い方や第二外国語をはじめ,楽器や写真など,教育のみならず趣味に対しても安価に教育を行っています。
 教室には必ずWindows XPのパソコンが一台以上有りました。授業が行われていないときには,メールや調べもの,ネットサーフィンなどを自由に使うことができました。勿論不法移民も例外ではありません。一部の教室には電子黒板も有りました。私が入ったクラスにも設置されていたため,プレゼンテーション時には全員が使用方法の説明を受けた上で利用していました。
 新規移民に就労を促し税収を増やすためにも,不法移民の犯罪を防止するためにも,情報教育が必要だということを身近に感じました。
6.コミュニティの存在も重要
 高校生になると,ボランティアや地域活動により単位を取得することができます。大学入試においてもその活動内容が評価の対象になるので,高校生の大きな関心事です。
 サンマテオには新設された3階建ての図書館が有り,専門のスタッフを配置して高校生のボランティアを受け入れていました。図書館にはパソコンが200台設置されており,サンマテオカレッジのサーバと光ファイバーで結ばれています。全パソコンのうち約100台は,図書館カードを持っていれば1日につき2時間まで自由に使うことができました。残りの100台は2つの教室に配置してあり,イベントや教育に使われていました。
 パソコン操作に自信のある生徒は,図書館で操作補助のボランティアを経験することができます。対象とする年代を選ぶこともできました。
 1階はキッズルームでお絵かきソフトなどが人気です。静粛フロアの2階は高校生以上お年寄りまでの大人が使っていました。3階は主に生徒・学生フロアで,おしゃべりも容認されており,調べもの,レポート作成からゲームまで使われています。
 ボランティアのタスクは,1Fは子供の監視,その他のフロアではログイン・ログアウト・印刷の補助でした。利用者は時にはソフトウェアの使い方やシステムまで質問してきます。ですからボランティアはアシスタントティーチャーと同様の経験ができます。また,的確に教えることができれば,教えた人から感謝されるでしょう。このように公の場で実践的な経験ができるだけでなく,人のために働く喜びも経験できることは,生徒にとって良い経験になり,さらに情報教育を学ぶ強い動機づけとなることでしょう。日本でも,もっとコミュニティとの連携が欲しいところです。

 情報の教科書がある日本と異なり,シリコンバレーではコンピュータは道具として使いこなしているものの,モラルや危機意識に関しては個人の責任に委ねられている部分が多いと感じます。日本の情報教育も随分進んできたと思いました。今後は学校外との連携をはかり,更に新規の事業が起こせるほどの応用力をつける素地を作る教育のお手伝いができればと考えています。
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