ICT・Educationバックナンバー
ICT・EducationNo.8 > p23〜p24

海外の情報教育の現場から
モンゴルにおける情報化への取り組み
大東文化大学文学部教育学科専任講師 苅宿 俊文
kariyado@kariyado.com
http://www.kariyado.com/sorongo
1.ウランバートル空港で…
 私は,2000年の春にモンゴルの子どもたちと日本の子どもたちをインターネットで交流することの可能性を探るために,モンゴルを訪れました。

  ウランバートルまでは,関空(関西国際空港)から北京経由で5時間の旅でした。ウランバートルに到着したのは,すっかり夜も深夜に近い頃でした。

  春といっても5月。日本では春たけなわの頃でしたが,予想通り,モンゴルの夜は寒かったです。寒さは予想できたのですが,予想できなかったことがありました。それは,ウランバートル空港に迎えに来ていたモンゴルの方々がほとんど携帯電話で連絡を取り合っていたのです。携帯電話は,日本や香港では慣れっこでしたが,モンゴルでもこれほどまで普及しているとは,驚きました。この予想していなかった携帯電話ラッシュで,私はアジアでの熱い情報化の波を一気に感じたような気がしました。

  以前,テクノロジーが入ってくるときは,そのときの最先端が入ってきて,最先端に至るまでにあったいろいろなプロセスは,ごぼう抜きにされるということを聞いたことがありますが,まさに,その通りの実例でした。

  そんなことに驚きながら,草原を煌々と照らす月明かりのもと,ホテルに到着したものでした。
2.モンゴルの情報教育の展望
 モンゴルに着いてからは,私たちのプロジェクトに協力してくださっている日本モンゴル経済促進センターのウルジー氏に連れられて,モンゴルの情報教育のキーパーソンに会ってきました。

  最初は,文部省のテムレン氏にお会いしました。彼の話では,モンゴルは,国を挙げて,IT技術を中心に国の産業を興していこうと計画しているので,学校教育でも積極的に,コンピュータを授業に取り入れていきたいと計画しているそうです。
具体的には,モンゴルの学校教育での情報教育は,インターネットを活用するところから始めていきたいと考えていることは,納得のいく気持ちになりました。そして,開始時期は2000年9月でした。つまり,2000年が情報教育元年で,インターネット教育元年だったのです。

  モンゴルは,国民の平均年齢が30歳代という若い国なので,その若い人たちがとてもIT産業に期待を抱いているとのことでした。

  モンゴルの情報教育の拠点は,モンゴル工科大学です。次に,そのモンゴル工科大学を訪れました。早速,副学長のエンフボルド氏と情報学部長のエルデネバートル氏と会うことが出来ました。

  そこでは,モンゴルの情報教育のアウトラインが明らかになりました。エルデネバートル氏のお話をまとめると,モンゴルの情報教育は,現在,次のようになっているそうです。

  ウランボートル市にある学校を30校選び,そこにコンピュータ・インターネットを導入して,いろいろな試行的な実践を重ねていきます。そして,毎年,指定校の数を増やしていき,ウランバートル近郊の県にも拡大していく計画なのです。全ての学校への導入はむずかしいが,おもだった県にある学校への計画は,5年以上10年未満を予定しているとのことでした。

  モンゴルは,広い国土で人口が少ない草原の国なので,衛星通信でインターネットに接続していこうとしています。モンゴル工科大学でも,大きなパラボラアンテナが林立していました。

  このモンゴル工科大学は,教育関係のプロバイダーも兼ねていて,これから展開していく学校教育での情報教育では,技術的な面は全てサポートしていくことになっているそうです。

  副学長のエンフボルド氏と情報学部長のエルデネバートル氏とも,私たちのモンゴルの子どもたちと日本の子どもたちのインターネットを介した交流活動の計画には,とても興味を持って,細かいところまで,アドバイスを下さいました。

  そこで,またびっくりしたことがありました。それは,コンピュータの値段の高さです。モンゴルは物価が安い国です。食べ物や衣料品など,日本に比べたら,格段に安いです。ところが,モンゴルの一般の人の金銭感覚でいえば,コンピュータの値段は,日本円に直せば,一台数百万円というほど高いものに感じるそうです。貧富の差が大きく家庭でコンピュータを持っている人たちも何人も会いましたが,高値の花であることは確かなようです。
3.モンゴルの学校制度
 ここで,モンゴルの学校制度を少しご紹介しましょう。モンゴルの学校制度は,10年制の学校が多くあり,小学にあたる部分が4年,中学があたる部分が4年,高校あたる部分が2年で,大学がその上に4年あるのです。

  学齢の最初は,日本の小学校2年生と同じ8才からです。学校は,同じ校舎で小学にあたる4年と中学にあたる4年を二部制で行っています。午前中は,中学にあたる子どもたちが,午後は,小学にあたる子どもたちが学んでいます。
先生の権威は,とても強く,落第や飛び級もあります。授業の内容は,とても高度で,子どもたちがよくついていっているなと感心しました。後で,子どもたちに聞いたら,保護者に教えてもらったり,塾のようなものにいって補習を受けたりしている子どもたちもいるそうです。

  大学などは,卒業できるのが3割程度で,あとは期末試験で落とされてしまう学生が多いそうです。私も大学で,授業にほんのわずか遅れたために,教室に入れてもらえず,ドアのところで立たされている学生を見たことがあります。
4.ソロンゴ2000プロジェクト
 私は,自分のゼミの学生と共に,モンゴルと日本の小学生をインターネットを介して交流させたいと願っていました。
なぜ,モンゴルなのかというと,1999年ゼミの活動で,過疎地小規模校の学習支援をインターネットなどを通して取り組んだときに,その実践校であった島根県の小さな小学校の先生と子どもたちのモンゴルの学校と交流してみたいといった言葉がきっかけでした。

  私は,国際理解のために交流は,もっとアジアに目を向けるべきだと思っていましたし,アジアの国の子どもたちと日本の子どもたちが対等な立場で交流していくことが望ましいと思っていました。国際理解教育では,とかく,援助のためのお金を集めたり,古着を集めたりしていましたが,私たちは,金銭やものをあげるということを前提の国際理解教育には,賛成しかねていました。

  モンゴルの学校関係者などがとても好意的だったこともあり,また,モンゴルの子どもたちが日本に対して,とても好意的な関心の高さを持っていたこともあり,今年の9月,10月にゼミの学生がほとんどモンゴルに行って,さまざまな経験をすることに決めました。

  私たちは,自分たちのプロジェクトに「ソロンゴ2000」という名前を付け,活動を始めました。

  では,次にその内容をご紹介しましょう。

(1)絵のリレープロジェクト

  このプロジェクトは,私たちの活動を象徴しているプロジェクトです。インターネットを介した交流だからといってインターネットを使うことが目的になってはならないと考えています。そこで,私たちは日本とモンゴルの子どもたちに,実際に下絵を描いてもらい,その下絵を学生スタッフがそれぞれの国へ持っていき色をつけてもらい,絵を完成させるというプロジェクトがこの絵のリレープロジェクトです。

  では,インターネットはどこで使うのか?それは,それぞれの学校で下絵を描いたり色をつけたりしているところをweb化して両方の子どもたちが見ることができるようにしたり,完成した絵もインターネットギャラリーとして公開したりして,多くの人たちからさまざまな感想をもらうことができるような仕組みとして使っているのです。

子どもたちの絵のリレーの下絵と完成した絵

(2)歌づくりプロジェクト

  このプロジェクトは,子どもたちのための曲づくりをしている吉岡しげ美さんの協力を得てできたプロジェクトです。

  この目的は,プロジェクトの名前「ソロンゴ」(モンゴル語で虹の意味)のテーマ曲を作ることです。その作り手は,モンゴルの子どもと日本の子どもたちで,作曲家の吉岡さんの連携で作ろうというものです。

  はじめに,このプロジェクトのきっかけをつくってくれた島根県の小さな小学校の子どもたちに1番の歌詞を考えてもらい,その歌詞に吉岡さんが曲をつくってくださり,その曲を聴きながら2番の歌詞をモンゴルの子がつくって完成というものです。

  もちろん,日本の子どもは日本語,モンゴルの子はモンゴル語で作詞をします。それをモンゴルの学生スタッフが翻訳してくれてホームページにのせることができました。

  インターネットでは,子どもの歌っている声や歌詞をつくっている様子などが紹介され,それぞれ相手の顔を知りながら歌詞作りに取り組むことができたのです。

ホームページに公開された日本とモンゴルの
▲ホームページに公開された日本とモンゴルの

うたつくりプロジェクトのページ
▲うたつくりプロジェクトのページ

(3)ソロンゴピックプロジェクト

  2000年は,オリンピックイヤーでした。モンゴルも日本もオリンピックに参加しています。たまたま交流している時期とオリンピックの時期が重なったので,それにちなんでソロンゴピックと名付けて簡単なゲームを参加している日本とモンゴルの小学校で挑戦してもらいました。

  その中の一つとして,新聞島を紹介しましょう。といっても,とても簡単なルールです。新聞紙を2枚広げてそれを貼り付け,新聞紙2枚分の広さに何人の子どもが乗れるかというものです。

  オリンピックは,勝利至上主義といわれるほど厳しいものがありますが,ソロンゴピックは,参加することに意義があるというアマチュア精神そのもののプロジェクトです。ですから,何人乗れたかということよりも,日本とモンゴルで同じゲームに取り組んだということが大切なのです。

  しかし,結果を見ると,それぞれバラバラな場所でやっているにも関わらず,乗れた人数が19人や17人など数が拮抗しているところがおもしろいところです。

ソロンゴピックのページ
▲ソロンゴピックのページ

(4)日本語教育プロジェクト

  私たちが,モンゴルの学校にいって「ソロンゴ2000プロジェクト」を推進していく傍らで,実は,モンゴルの子どもたちや学生たちに日本語を教えていたのです。

  このことは,直接日本の子どもたちとの交流活動にはまだつながっていませんが,今後大きな期待を寄せているプロジェクトです。

  モンゴルの人たちは,私たち日本人が考えている以上に日本に関心を持ち,日本語を勉強したがっています。
日本はアジアのなかで経済的に大きな発展を遂げた国であり,モンゴルの人たちから見ると,良いお手本のように自分たちの国の将来と日本の姿を重ね合わせている面があるのです。

  このことは,私にとって内心忸怩たる思いでいっぱいですが,日本で英会話教室に通っているように日本語教室に通っているモンゴルの子どもを見ると,嬉しくなることも事実です。そんな背景があって,子どもたちや学生に日本語を教えているのです。

日本語の授業の様子
▲日本語の授業の様子
5.ソロンゴ2001に向けて
 私たちの活動は,まず日本とモンゴルの子どもたちに対等である自分たちを知ってもらいたいということが目的でした。
インターネットのホームページは,そのときそれぞれの国の,それぞれの学校で学習のプラットホームのような役割を果たしました。

  ホームページを見返しながら,いろいろなときに自分たちの活動を振り返ってみたという学校の報告を知るとき,ホームページの教育的な意味がまた一つ分かったような気がしました。

  私たちは,「ソロンゴ2001」に向けて活動を開始しています。これを読んだ方々といつかこのプロジェクトでご一緒できることを夢見ております。
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