学び!とESD

学び!とESD

ESD for 2030 ベルリン大会をふり返る
2021.06.15
学び!とESD <Vol.18>
ESD for 2030 ベルリン大会をふり返る
永田 佳之(ながた・よしゆき)

 2021年5月17~19日にESD史にとってランドマークとも言える一大会議である「ESDに関するユネスコ世界大会:私たちの地球のための学び、持続可能性のための行動」(以下、「ベルリン大会」と略)がオンラインで開催された。主催はユネスコであり、ドイツ政府がホストし、同国のユネスコ国内委員会が諮問役を務めた。閉会時の主催者による発表で、世界各国の教育や環境を担当する大臣・副大臣が85人、161ヶ国から2,800人以上が参加し、パブリック・ビューワーは1万人以上に及んだという。数多くのセッションが同時に催され、最終日には「ベルリン宣言」が採択された。
 この大会を、「国連ESDの10年」(2005~2014)、いやその源泉とも言える「地球サミット」(1992)以後の里程標としての一連の国際会議の系譜で鳥瞰すると、どのような特徴が見えてくるのであろう。上記の宣言の意義などについては稿を改めて述べることとし、ここではこの大会ならではの特徴について紙幅の許す範囲で述べてみたい。
 ベルリン大会は本来であれば、昨年の6月にベルリンを舞台に開催されるはずであった。筆者も「ユネスコ/日本ESD賞」の国際選考委員として招待され、参加を心待ちにしていたが、その後、ホスト国のドイツは新型コロナウイルスに翻弄され、結局オンラインのみの開催となった。
 このウイルスがこの会議の運営のあり方のみならず内容にも影響を及ぼしたのは言うまでもない。運営については実際にリアルな会場に参加者がいるかのごとく実感がもてるようにデジタル空間に会議室や各国の展示ブースを設けたり、各国の資料を入手できたり、ヨガ・インストラクターのビデオを閲覧できる休憩サロンが設けられたりするなどの工夫がなされていた(写真はエントランスの光景)。
 では、内容面ではどうであろう。ベルリン大会にはそれまでにも増して顕著に台頭した2つの特徴があると筆者は見ている。一つは気候変動であり、もう一つは若者である。両者は連動しており、その背景には従来にないほどの地球環境に対する危機感の高まりがある。

1)共有されていた気候危機

 気候変動に対する危機感は冒頭の挨拶から露わに繰り返された。「リオ+20」以後、2009年にドイツのボンで開催された「国連ESDの10年」の中間年会議等の主なESD会議に筆者も参加してきたが、ベルリン大会ほど危機感が前面に出された会議はなかったと言える。ユネスコのA. アズレー事務局長はH. G.ウェルズを引用しながら、記録的な温暖化が続く地球を前に人類は「自身との闘い」に迫られていると語った。続いて、UNFCCC(気候変動に関する国連枠組条約)事務局長のP. エスピノーサは今日ほどESD、そして気候変動教育が必要とされている時代はなく、気候変動教育(「学び!とESD」Vol. 14)が成功しないとCOP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)の成功もないと力説。さらに「パリ協定」の立役者であるL. ファビウス(国連気候変動会議(COP21)議長)は8割以上のフランス人が温室効果ガスについての正しい知識をもっていない統計に触れ、気候変動教育は学校で始められる必要があると主張した。
 このように冒頭の布陣と強調点からしても、また後続の会議の内容からしても、この大会が「気候変動」がテーマの会議であると言われてもおかしくないほどに温暖化問題が前面に出されていたのである。ちなみに大会期間中に主催者によって聴衆への質問がいくつかなされた。そのうちの1つ「ESDにとって最も差し迫った挑戦は何か?」という質問に対する回答は、①気候変動、②貧困、③グリーン経済、の順に多かった(主催者制作のグラフィック記録を参照)。かつて、筆者が所属していた「国連ESDの10年」のモニタリング評価専門家会合では、ESDの傘下に生物多様性や防災と並んで気候変動が地球規模課題の具体的なトピックとして位置づけられたが、いつの間にか親子が逆転している印象さえ受けた。

2)若者の声

 気候変動に対する応答の重要性と共に強調されたのは、冒頭の副題にも示されている「行動」につながる「学び」である。最もそれを強く主張していたのは若者(ティーンエイジャー)の参加者であった。これまで国際イベントで若者が登壇する時はどこか補完的な役回りであり、弥縫策(びほうさく)ともいえる参加が少なくなかったが、ベルリン大会では周囲の大人を圧倒するような若者による主張が見られた。その背景には、気候変動に対する運動を展開する次世代、特にグレタ・トゥーンベリの影響があることは明らかだ。
 「我々には50年もないのだ。もう同じ過ちは繰り返してはならない!」と力強く語っていたアイルランドの若者の主張は、マイボトルを持ったりリサイクルなどの3Rを実践したりという個人の行動にとどまっていたのでは間に合わないというメッセージであり、企業や政府を動かすことの重要性を訴えていた(ベルリン宣言に「政治的行動」という言葉が盛り込まれたことも注目したい)。
 若者の見解を支持する大人も目立った。ESDの論客でもあるF. ライマーは、ESDは閉鎖的な努力に終始してはならないと述べ、個々人が満足する行動変容の域を超えて、経済や政治に影響を及ぼす市民性を育成することが肝要である、と強調していた。印象深かったのは、「環境アクティビズム」が肯定的に語られていたセッションが複数あったことである。

 さて、以上のメッセージと照らし合わせると、日本の政策や実践はどうであろう。上記の2つの強調点を日本の学校内外の教育と重ね合わせると、わたしたちは国際的に共有されている課題や要請に応えようとしているのであろうか。
 少なくとも15年もの間、日本政府が大きく貢献し続けてきたESDという国際運動がグローバルな舞台を通してわが身に帰ってくるとき、自らを捉え直す好機であることは間違いない。ベルリン宣言は宣言して終わりではなく、まさに加盟国内外での対話の始まりであると言えよう。閉会の言葉でESDの論客として知られるA.ウォルスが「この3日間の討議を空虚な言葉にしてはならない」と強調していた。その通り、ここで共有された課題を共有し、それぞれの持ち場で生かしていくか否かはESDの担い手である私たちしだいなのである。

【補記】
ベルリン大会と同時期に、欧州の市民を中心に興味深い討議が2つほどあった。1つは、 Great Transition Initiative Discussion Forum ‘The Pedagogy of Transition: Educating for the Future We Want’ であり、もう1つは欧州を中心とした50ほどのネットワーク団体が開発教育やグローバル市民性教育の推進に取り組むイベントであるIMAGINE 4.7であった。これらはESD for 2030の皮相的な解釈をラディカルに捉え直す内実を含んでおり、これからの教育の行方を見据える上で参考になる。