学び!とESD

学び!とESD

「ユネスコ教育勧告」の誕生(その2)
2024.03.15
学び!とESD <Vol.51>
「ユネスコ教育勧告」の誕生(その2)
永田 佳之(ながた・よしゆき)

 前号でお伝えしたとおり、昨年11月に開かれた第42回ユネスコ総会で「平和と人権、国際理解、協力、基本的自由、グローバル・シチズンシップ、持続可能な開発のための教育勧告」が採択されました。半世紀もの時を経て改定された、世界共通とも言える教育の目標や方向性を示した国際文書です。長い正式名称ですので、最近ユネスコは「平和・人権・持続可能な開発のための教育に関する勧告」という略称を用いていますが、ここでは便宜上「ユネスコ教育勧告」と表すことにします。
 ウクライナやガザなどで戦争が止まない現在の世界情勢を考えると、平和や人権の実現を目指したこの勧告が194ヵ国による全会一致で採択されたことの意義は計り知れません。ユネスコ教育勧告は、上記のタイトルに示された諸々の理想を私たちが手繰り寄せられるのか否か、その本気度が試される試金石であると言えるでしょう。
 ユネスコ教育勧告の目玉は「14の主導原則」です。誰もがライツホルダー、すなわち諸々の権利をもって社会をより良い方向へと変えていける学習者としてエンパワーされるように、「人権」や「多様性」など、世界中の学習者に保障されるべき項目が明記されており、いかなる原則にのっとって平和で持続可能な未来を実現するべきかが示されています。
 またそうした未来を創造していく上で欠かせない「学習成果」としては「分析的・批判的思考」や「未来を予測するスキル」「意思決定スキル」など、12点が掲げられています。以下の表1に原則と成果のキーワードを双方ともに記します。

表1 ユネスコ教育勧告に示された主導原則と学習成果のキーワード

主導原則

学習成果

公共善/共有財としての教育
人権、反差別・偏見
ケアと連帯の倫理
ジェンダー平等
文化の多様性
安全・健康・ウェルビーイング
ホリスティックでヒューマニスティックな変容志向
知の共同創造者としての学習者
信仰・宗教・表現の自由と、暴力・憎悪の擁護に対する禁止
テクノロジーを含めた問題解決志向
ローカルとグローバルのつながり
文化間・世代間のつながり
グローバルな市民倫理(プラネタリー・バウンダリー)

分析的・批判的思考
未来を予想するスキル
多様性への尊重
自己意識
共通かつ多様性に富む人類と地球への繋がりの感覚(人間以外の命の尊重)
エンパワメント、エージェンシー、レジリエンス
意思決定スキル
協働スキル
適応的・創造的スキル
市民性スキル
平和的紛争解決・変容スキル
メディア・情報リテラシー、コミュニケーション・デジタル・スキル

出典)ユネスコ教育勧告(英文版)をもとに筆者作成

 表1に掲げられた原則や学習成果には、国によってはすでに目指していたり実現していたりする項目もあります。原則に示されている「ローカルとグローバルのつながり」はESDや開発教育などでも長年にわたり強調されてきた概念です。他にも「批判的思考」など、「国連ESDの10年」(2005〜2014年)の当初から主張されてきたものもあり、決して目新しい概念ではありません。
 しかしESDが国連の旗艦事業(フラグシップ・プログラム)としてスタートしてから20年近く経って生まれたユネスコ教育勧告は、当初は刷新的であった概念も現在では馴染みのあるものとなり、最終的には194ヵ国もの加盟国が大切にすべきものであるという認識にたどり着いたという点は意義深いことです。
 また、表1には国によっては重点的に取り組むべき項目も見られると言えましょう。コロナ禍を経て教育格差が開いてしまった国では「公共善/共有財」としての教育が、社会的弱者に対する教育保障が不十分な国では「ジェンダー平等」や「人権、反差別・偏見」が、長きにわたり紛争が続いていた地域では「平和的紛争解決スキル」が重視されるべき原則となるはずです。
 日本の場合はどうでしょう。一例ですが、「知の共同創造者としての学習者」は知っているものが知らないものに一方的に教えるという一斉授業のスタイルが根強い日本などの国々で不確実性の時代に相応しい授業スタイル、すなわち教師も生徒も共に正答のない問いに挑むような共同学習のあり方へとシフトしていく契機となり得る原則です。そしてこうした学習において期待される思考やスキルは何なのかについても表1の学習成果のリストをもとに対話を重ねることは有効であると言えましょう。
 なお、上記の表には示されていなくても、主導原則には「共生的/快活(コンヴィヴィアル)な関係や隣人意識、連帯感」や「共感(コンパッション)」など、重要なキーワードが少なくないので、全文を一読されることをお勧めします。
 さらに強調されるべきは、現状改善のヒントのみならず未来志向の教育の方向性も勧告に見出せるということです。未来志向の教育と言えば、勧告が採択されたユネスコ総会から2年前の総会で公表された画期的な報告書『私たちの未来を再想像する―教育のための新たな社会契約―』が想起されます(「学び!とESD」<Vol.31>)。この報告書には、表1にも示されている「地球/惑星の限界(プラネタリー・バウンダリー)」や「地球/惑星意識(プラネタリー・コンシャスネス)」という概念が強調されており、地球を制御や搾取の対象としてではなく、慈しみをもって捉えるマインドの醸成が提唱されています。ユネスコ教育勧告にも「健康な地球(ヘルシー・プラネット)」という表現が使われており、唯一無二の惑星として地球を捉え慈しむことが世界標準となる時代の幕開けとして見なすこともできるでしょう。
 また、『私たちの未来を再想像する』で強調されている「人間ならざるもの(ノンヒューマンズ)」という用語は見られないものの、次のように「他の生命と自然そのもののニーズや権利を尊重」することが世界共通の教育目標として明記されたことも注目に値します(「ノンヒューマンズ」については「学び!とESD」<Vol.49>を参照)。

共通かつ多様な人類と惑星に対する繋がりや帰属の意識:
健康な地球に対する責任、そして人間相互と他の生命と自然そのもののニーズや権利を尊重すべきという責任を分かち合っているグローバルな共同体として人類を理解すること。

 ユネスコ教育勧告は人間以外の生命に対して世界中の国々が尊重することを求めた希少な合意文書です。これまであまりにも人間中心主義だった教育の目標に、「他の生命」という表現が用いられ、それが勧告では期待されるべき学習成果の1つとして明記されているのです。たしかに、「地球/惑星意識」は旧勧告が生まれた1970年代にも強調されたことがありましたが、194ヵ国が全会一致で合意するまでには至っていませんでした。このシフトを、遅まきながらの人類の意識変容の兆しと捉えることはあながち誤りではないように思えるのです。

※本稿で用いた勧告の邦訳は筆者の責任のもとによって訳出されたものであり、公式な訳ではありません。なお、ユネスコ教育勧告の全訳は日本国際理解教育学会の有志によって進められており、2024年7月までに同学会のホームページで公開される予定です。

【参考文献】