学び!とESD
学び!とESD

私が声を張り上げるのは、叫ぶことができるからではなく
声なき人々の声が聴かれるようにするためです。
マララ・ユスフザイ
2013年 国連ユース総会(UN Youth Assembly)でのスピーチ
本シリーズも今回で3回目となりました。紹介しているカード型教材のテーマがすべてカタカナで表記されていることに気づいた読者も少なくないかもしれません。教材を構想する段階で、カタカナ表記の英語を全面に出したデザインは親しみがもちづらいという意見もありました。しかし、2021年の第42回ユネスコ総会で話し合いを重ねて選ばれたオリジナルの表現が伝わることを重視し、あえてカタカナ表記で統一することにしたという経緯があります。
さて、今回のテーマは「ライツホルダー」です。前回の「ヒューマン・ライツ」と比べると馴染みの薄い言葉かもしれませんが、それは文字どおり、「権利(ライツ)」を「もっている人(ホルダー)」を指します。権利については前回も人類史をふり返りつつ述べましたが、この抽象的な概念にどこかしっくりこない感覚をもつ人も少なくないでしょう。多くの人々は自分が権利を行使できるのだということを普段の生活ではさほど意識していないかもしれませんが、いざという時に権利を行使する備えは必要です。「ライツホルダー」は、「権利は行使できるものとしてあなたと共にある」ということを、特に社会的弱者と呼ばれる人々や次世代に伝えるための原則として掲げられています。
実際に日本では、特に若者層において、世の中をよりよくしていくための意識が決して高いとは言えません。国際比較調査では、自分の行動で国や社会を変えられると思っている若者が他国と比べて極端に低いことが示されています。アメリカやインド、中国では、8割前後の若者が国や社会を変えられると思っているのに対して、日本は3割にも満たないというありようです (*1)。社会は自分たちで創るものであり、理不尽なことがあれば、権利を行使して行動すれば変えられるのだという実感を若者がもてるようになることは、持続可能な日本社会を形成する上で喫緊の課題だと言えましょう。
出典:聖心女子大学グローバル共生研究所(https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/unesco2023/
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偏見の芽を摘むことの大切さ
カードの表(おもて)面(図1参照)を見ると、次のように書かれています。「どんな違いがあろうとも だれもが差別されない権利をもっている 学びによって すべての人を 『権利をもつもの』として 力づける」。この中の「違い」は裏面(図2参照)に記載の「人種」から「障がい」に至るまで、人類が差別を正当化してきた「理由」上の違いを指しています。
ユダヤ人の大量虐殺が行われたアウシュビッツはその典型例ですが、人類はいわれのない理由づけをして特定の人々を差別し、排除し、理不尽な死に追いやってきました。人類史を通して繰り返されてきた惨事を再び起こさないためにもこの勧告は重要であり、それはライツホルダーとしての意識をもつことから始まるのです。学習者がいざという時にカードの裏面の二次元コードにあるような条約や基本法に立ち戻れるように、教師をはじめとした教育者がその意義について次世代に伝えておくことは、持続可能な未来と平和を実現するESDの本質的な使命であると言えましょう。
さて、今回のカードにも3つの問いが掲載されています。
①何気なく偏見をもったり差別したりしていた自分に気づいたことはありますか?
②なぜ偏見や差別は生まれるのでしょうか?
③学習者の誰もが、自分が「権利をもつもの」なんだと自覚できるようになるためには、どうすればよいのでしょうか?
皆さんはこれらの問いにどのように答えるでしょうか。ここでは、この教材を用いて実施した、一般市民対象のワークショップで実際にどのような答えが共有されたのかをお伝えします。
①から③は、自分または身の回りに起こった実際の体験から考え始めてもらい、次に根源的な問いへといざない、最後に行動に結びつく問いかけをするという構成になっています。①では、思い込みによって相手を傷つけてしまった経験、すなわち、マイクロアグレッション(小さな攻撃性)と呼ばれる言動について無自覚であったことなどが共有されてきました。例えば、「女なのにおしとやかではない」や「男のくせに泣き虫だ」や「日本人なのに礼儀正しくない」などです。これらは悪意がなかったとしても、放っておくとユネスコ教育勧告でも毅然と対応することが求められているヘイトスピーチにもつながっていく可能性を秘めており、教育の場では重要な課題です。
②は、人類史から消えたことがない偏見・差別は人間であれば誰もがもってしまう生得的な特性であるという意見や、生まれた時にはタブララサ(白紙状態)であるのに偏見は文化的に習得されるという経験論が共有されていました。
③は、家庭や学校で日頃から偏見という人類の「落とし穴」を伝えていくことの必要性や子どもの権利条例などを街全体でもつことの大切さ、さらには父権的な家庭や企業内の文化を問い直すワークショップを開くことなどが挙げられていました。
大切なスキル習得やトレーニング
学習者の誰もが、ライツホルダーとしての意識をもつためにESDにおいて「批判的思考(クリティカル・シンキング)」は重要です。これは「国連ESDの10年」の当初から一貫して重視されてきた「思考スキル」の1つです。なにも他者などを否定したり、攻撃したりするのではなく、客観的・多角的にものごとを見て、冷静な判断へと導く力です。もちろん発達段階を踏まえた学習は重要ですので、特に小学校中・高学年くらいから重視していくとよいでしょう(参考文献1)。
また自分には権利があるということを主張できるようになるためのトレーニングも必要でしょう。権利があると知りながらも、それを伝える術がないとなると、事態の改善は望めません。とくに日本では謙虚さや慎ましやかさが美徳とされる見方が強いためか、場合によっては、権利を侵害されながらも我慢し続けるという場面も珍しくありません。その意味で自他尊重のコミュニケーションは重要であり、自己と同時に他者も尊重するアサーション(自己表現)の方法を身につけることも大事な課題であると言えましょう(参考文献2)。
【参考文献】
- E. B. ゼックミスタ、J. E. ジョンソン著(宮元博章ほか訳)(1996)『クリティカルシンキング 入門篇: あなたの思考をガイドする40の原則』北往路書房
- 平木典子著(2012)『アサーション入門―自分も相手も大切にする自己表現法』講談社
*1:日本財団(2024)「18歳意識調査『第62回 –国や社会に対する意識(6カ国調査)–』報告書」
https://www.nippon-foundation.or.jp/wp-content/uploads/2024/03/new_pr_20240403_03.pdf


