学び!と歴史

学び!と歴史

国家独立への模索
2015.04.21
学び!と歴史 <Vol.86>
国家独立への模索
大濱 徹也(おおはま・てつや)

松陰の世界認識

 松陰は、日本列島を「常山の蛇」に倣い、欧米列強の侵出に対峙しうる「皇国」の政略を「幽囚録」に描いております。その政略は、危機の時代を的確に把握し、世界認識を提示したものです。

神州の東を米利堅(メリケン)と為し、東北を加摸察加(カムサツカ)と為し、隩都加(オコツク)と為す。神州の以て深患大害と為す所のものは話聖東(ワシントン)なり、魯西亜なり。(略)
今急に武備を修め、艦略具はり礮(ほう「砲」)略足らば、即ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加・隩都加を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満洲の地を割き、南は台湾・呂宗の諸島を納め、漸に進取の勢を示すべし。然る後に民を愛し士を養ひ、慎みて辺国を守るは、即ち善く国を保つと謂ふべし。

 この論は、欧米列強がアジア・アフリカを植民地にしていく帝国主義の時代に対峙し、日本の独立をいかに守るべきかとの想いを述べたものです。この言説は、松陰を帝国主義につらなるものとみなし、その尖兵と論難されがちですが、日本が欧米の植民地となることへの危機感にうながされた政略にほかなりません。松陰には、日本の独立、国権を確立して、「民を愛し士を養ひ、慎みて辺国を守るは、即ち善く国を保つと謂ふべし」と、民権への強き想いがありました。
 ここにみられる松陰の言説は、「開国和親」をかかげる文明化という近代国家の形成を、万国公法といわれた国際法の秩序下、欧化による主権国家としての独立をめさねばならないなかで、日本のとるべき戦略として具体化されていきます。それは、欧米列強が構築した万国公法を旨とする国際秩序のなかで、避けて通れない選択とみなされたのです。

万国公法という秩序

 木戸孝允は、万国公法を主権国家間の調整統合をはかるためのもので、キリスト教文明を基盤とする規範体系であるとみなし、「兵力調わざるときは万国公法も元より信ずべからず。弱に向かい候ては大いに公法を名として利を謀るもの少なからず。ゆえに余、万国公法は弱国を奪う一道具」(木戸孝允『日記』1868年11月8日)と論断しました。まさに国際法は、欧米列強の侵出に向き合う日本にとり、「キリスト教国、白皙人種、ヨーロッパ州」という「特権掌握的国民」が己の権利を主張し、アジア・アフリカを植民地とするためのものでしかありません。このことは、後に陸羯南をして、「国際法なるものは実に欧州諸国の家法にして世界の公道にはあらず。この家法の恵を受けんと欲せば、国を挙げて欧州に帰化するよりほかに復た手段あるべからず」(「原政治及国際論」)と論難させます。いわば日本近代化への道は、このような万国公法といわれた国際法の秩序に棹をさし、欧米列強に対峙しうる独立国家の構築をめざす営みです。

「主権線」「利益線」という論理

 松陰の門下生山県有朋は、1890年の第1回帝国議会における総理大臣演説「外交政略論」で、欧米列強に対峙するなかで国家独立の方途を確立しようとした近代日本の方途を提示しました。この「外交政略論」は、「国にして自衛の計なきときは国其国に非るなり、苟も国勢傾危にして外其侮を禦くこと能はす」となし、「臣民」たる国民が「各個の幸福」を保持するために「国の独立を維持振張」をはからねばならず、党派を超えて「同心協力」せねばならないと、国家独立自衛の道を説いたものです。

国家独立自衛の道二つあり、一に曰く主権線を守禦し他人の侵害を容れず、二に曰く利益を防護し自己の形勝を失はず。何をか主権線と謂ふ、彊土(きょうど 国境)是なり。何をか利益線と謂ふ、隣国接触の勢我か主権線の安危と緊した相関係するの区域是なり。凡国として主権線を有たざるはなく、又均しく其利益線を有たざるはなし。而して外交及兵備の要訣は専ら此の二線の基礎に存立する者なり。方今列国の際に立て国家の独立を維持せんとせは、独り主権線を守禦するを以て足れりとせず、必や進で利益線を防護し常に形勝の位置に立たざる可らず。利益線を防護するの道如何。各国の為す所苟も我に不利なる者あるときは我れ責任を帯びて之を排除し、巳むを得ざるときは強力を用ゐて我が意志を達するに在り。蓋利益線を防護すること能はざるの国は其主権線を退守せんとするも亦他国の援助に倚り纔かに侵害を免るる者にして仍完全なる独立の邦国たることを望む可らざるなり。今夫れ我邦の現況は屹然自ら守るに足り何れの邦国も敢て我が彊土を窺覦するの念なかるべきは何人も疑を容れざる所なりと雖も、進で利益線を防護し計を固くするに至ては不幸にも全く前に異なる者として観ざることを得ず。

 かく説かれる政略は、シベリア鉄道が完成すれば、ロシアの圧力で朝鮮が独立を脅かされ、かつイギリスをはじめとする欧州強国の前に「東洋の遺利財源は肉の群虎の間に在るか如し」という国際状況をふまえたものです。日本が当面する方途は、このような「東洋の事情縦横錯綜して一朝我邦をして平和の地位に立つの困難を感ぜしむる」との認識から、朝鮮を恒久中立国となし、清国との関係を回復し、日本の利益線を保護する外交をなし、この間に軍事力を整備強化することで主権線を守護し、利益線の防護をはかることだと。かつ「国民愛国の念」を養成保持する教育、なかでも国語と国史教育の必要性が力説されました。この口説き昨今耳にする、山県と同郷の総理が語る世界に似ていませんか。
 ここに山県が説いた主権線、利益線の政略は、日本が国家独立から世界帝国へと歩むなかで、対外膨張の論理となります。そこでは、松陰が説いた「民を愛し、士を養ひ」という想いが後景に退けられたのです。やがて日本は、「主権線」「利益線」なる論理を使い分けることで、島嶼国家から大陸国家へと直走り、アジアの殖民帝国となっていきます。