学び!と歴史

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学び!と歴史
2018.09.21
学び!と歴史 <Vol.127>
「敗戦」に日本・日本人はどのように向き合ったのだろうか
大濱 徹也(おおはま・てつや)

「戦争の惨禍」に向き合うために

 先の8月15日に催された「平成最後」の慰霊祭「全国戦没者追悼式」において、退位を表明した天皇は、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い」と、その想いを吐露した。そこで「西郷どん」の話題をひとまず休み、平成「最後」と喧伝されている現在、「大東亜戦争」と呼称した日本の戦争が終結した8月15日と降伏文書に調印した9月2日に思い致し、「臣民」であった日本人がどのように敗戦という現実に向き合ったかを想起し、その相貌を私の眼で確かめることとします。
 「鎌倉文士」高見 順は、「ひまさえあれば机の前に座り込んで、ノートに何やらちくちく書き」(高見秋子)、敗戦の年1945年(昭和20年)を中心に新聞記事を書き込み、時代人心の動向を克明に記録した日記を遺しています。この『敗戦日記』に描き出されている8月15日前後を紹介し、戦争の時代を生き延びた日本人の一面を読み取ることとします。

原爆投下をめぐる風聞

 広島に原爆が投下された翌8月7日の記事は、東京で原子爆弾投下の話を聞いた時、「原子爆弾には絶対に抵抗できないからだ、そういう話はかねて聞いていた。その原子爆弾が遂に出現したというのだ。-衝撃は強烈だった。私はふーんと言ったきり、口がきけなかった」と。その投下が、「日本が「黙殺」という態度に出たので、それに対する応答だと敵の放送は言っているという」、「一国の首相ともあろうものが何も黙殺というようなことをわざわざいう必要はない。それこそほんとうに黙っていればいいのだ。まるで子供が政治をしているみたいだ。実際、子供の喧嘩だな」と、慨嘆。作家仲間の今東光とは、「変な爆弾」「新型爆弾」「もしほんとに原子爆弾だったら、もう戦争は終結だがね」云々と、あたりに人がいないにもかかわらず、「声を低く」して話しをした由。
 この日の大本営発表は、「少数の新型爆弾」で「一瞬にして無辜の民多数に残虐なる殺傷」「相当数の家屋を倒壊」等々を「天人共に許さざる暴挙を敢てなした」、「この暴挙に至っては最早や世界の何人も許さざる鬼畜の手段」「日本民族抹殺目指す暴虐なる敵新企画の一切に対しては敢然今ぞ反撥する」と、宣うのみです。そして「由来新兵器には対策なきのためしがないのであり、徒らなる焦燥感にかられることなく、文句なし全力をあげて戦争一本に突進すべきの臍の緒をしむべき」で、謀略にまどわされるなと、「われら一丸」「報復一途」に邁進せよと。
 「天人共に許さざる暴挙」への「報復一途」と声高に叫ばれますが、原子爆弾ということは何も知らされません。この新型爆弾、「仁丹みたいな粒で東京がすっ飛ぶという話から」、「仁丹」といわれた。情報は知らされることなく、高見は文士仲間の談笑で耳にした「敗戦」が近いとの風聞を書き留めています。

「何をか言わんや」

 しかし8月11日の新聞各紙は、毎日新聞の「国体を護持、民族の名誉保持へ 最後の一線守る為 政府最善の努力 国民も困難を克服せよ」との情報局総裁談話に見られる類でしかありません。かつソ連の参戦に陸軍大臣が「事ここに至る又何をか言はん、断乎神洲護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ」「全軍将兵宜しく一人も余さず楠公精神を具現すべし、而して又時宗の闘魂を再現して驕敵撃滅に驀(ばく)直進前すべし」と檄を飛ばしたことにふれ、高見は政府の無為無策を論難します。

「-何をか言はん」とは、全く何をか言わんやだ。国民の方で指導者に言いたい言葉であって、指導者側でいうべき言葉ではないだろう。かかる状態に至ったのは、何も敵のせいのみではない。指導者の無策無能からもきているのだ。しかるにその自らの無策無能を棚に挙げて「何をか言はん」とは。嗚呼かかる軍部が国をこの破滅に陥れたのである。

 陸軍大臣の檄文は、国民を鼓舞するに、湊川で憤死した楠木正成、蒙古襲来に断乎対峙した北条時宗の故事にたくした精神の在り方をみるにつけ、高見のみならず、「何をか言はんや」というほかありません。ここには、「国体」なる言説に民族の存在を託すしかない国家の営みがあり、精神の荒廃が読み取れます。

天皇の声

 重大発表と通知された8月15日正午を前に、高見は「『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね』と妻が言った。私もその気持ちだった」と述べています。この思いは、高見のみならず、当時多くの国民が「臣民」としていだいていたものです。言論界の長老徳富蘇峰は、この「重大発表」を天皇が一死決戦を促すものと思い、赤飯で祝うべく準備させますが、様子がおかしいと中止、放送を聞いて愕然とします。かかる思いこそは、「何かある、きっと何かある」「休戦のような声をして、敵を水際までひきつけておいて、そうしてガンと叩くのかもしれない。きっとそうだ」、と話す姿にもみることができます。かく日本を覆う空気は、「敗戦」という現実を直ちに受けとめられないがため、二重橋前に額ずき涙する民の姿をうみだしたのです。その反対に政府は、「醜敵」「鬼畜」と罵倒した敵の占領下におかれると、一転して占領軍に媚態を示し、「敗戦」の責めを国民に負わせます。
 このような国家の在り方こそは、「何をか言はんや」にほかならず、「唯一の被爆国」を免罪符のごとく強調しながらも、核兵器の廃絶に向き合うこともない現在の日本政府にも流れている世界ではないでしょうか。その営みは、昨今の天変地異、天の怒りに思いを馳せることもない国家の営みにもみることができましょう。それだけに天皇が問い語る祈りは、小さな声ですが、戦後日本の歩みに、ある不安な思いを秘めた問いかけといえましょう。

 

参考文献

  • 高見 順『敗戦日記』 中公文庫 2005年
Positive SSL