学び!と歴史

学び!と歴史

日本の政府は占領にどのように向き合ったのであろうか
2018.10.26
学び!と歴史 <Vol.128>
日本の政府は占領にどのように向き合ったのであろうか
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 高見順の『敗戦日記』からは、米軍の日本占領に日本の政府、さらに国民がどのように向き合ったかを読み解くことが出来ます。政府は、米軍を主体とした連合国軍が占領軍であるにもかかわらず、「進駐軍」と呼称することで日本の敗北と占領という実態に眼をそむけました。このような認識こそは、8月15日の天皇の声によるボツダム宣言受託と戦争終結が日本の降伏宣言、敗戦であるにもかかわらず、この日を「終戦記念日」として新生日本の門出とみなす戦後史の構造を生みおとしたといえましょう。ちなみに「戦争終結」ではなく「敗戦」の文字が新聞にあらわれるのは8月19日になってからです。
 しかし「敗戦」ではなく「終戦」が日本国民の意識の底にはうめこまれていきます。そのため9月2日の米艦ミズーリ号における降伏文書調印の日は、戦後史を語るうえで、きわめて希薄です。敗北に対峙し、その場から占領された日本と日本人の在り方を問い質すことが歴史を現在生きるうえで求められているのではないでしょうか。まさに日本国民は、敗戦、民族の敗北に向き合い、己の場を確かめてこなかったがために、占領統治者であるアメリカの意向に右往左往する浮き草のごとき存在とみなされ、時代に状況に流され行く民族になり果てたのでないでしょうか。そこで政府は占領された日本で生きる国民をどのように見なしていたかの一断面をみることとします。

勝者合衆国大統領の雄叫び

 米大統領トルーマンは、降伏文書調印式直後の演説で「圧政に対する自由の勝利」を宣言し、「原子爆弾を発明し得る自由な民衆は今後に横はる一切の困難を征服出来る一切の精力と決意を使用することができよう」と、唯一の原爆保有国アメリカが戦後世界をとりしきる覇者であるとして、「自由な民衆」たる誇りをもって、世界秩序の主であることを述べたものです。
 この「圧政に対する自由」なるイデオロギーは、「民主主義と自由」を錦の御旗に非欧米的イデオロギーを支配の論理とした国家を否定し、国際政治における優位性をささえることとなります。いわば原子爆弾―核兵器による世界秩序の構築こそは、トルーマンが宣言してより、アメリカの世界を実現したものに外なりません。日本は、いかに「被爆国民」を言挙げし、「平和国家」を自負しようとも、核の軛に強く囚われた国でしかないのです。日本の政府は、この軛から自由になるのではなく、そこに安住することで戦後の国家形成をしてきたのではないでしょうか。現在想起すべきは、敗北を直視し、その敗北から己の場を確かめ、自由なる国民として新しい国家形成に向き合うことなく、占領という状況を甘受し、占領軍の意向を先取りすることで己の場を確保しようとしてきた国家指導者とは何なのかということです。

「進駐軍の不法行為」に日本政府はどのように対処したのか

 高見の9月6日の日記は「大東亜戦争の陸海軍の人員損耗」として発表された数が「戦死および戦病死―約50万7千余。本土空襲被害。死傷者・55万余。罹災者・804万5千余。」と記しています。ついで「神奈川県の女学校、国民学校高等科女子生徒の授業を所にとっては停止することになった。進駐軍の横行に対する処置」を記載し、立川に進駐した米軍が警察を通して出した「注意」を全文認めています。その注意には、「△市民はアメリカ人を尊敬すべし△市民の乗車せるあらゆる車馬はアメリカ人の自動車を追越すべからず違反者は射殺することあるべし△爾後治安維持警察行政につき必要ある場合は警察署長を通じて命令す」と。まさに日本はアメリカの軍政下におかれたのです。
 「女子生徒の授業」停止は、9月1日に横浜野毛山公園で日本女性が27人の米兵に集団強姦された事件が「横浜に米兵の強姦事件があったという噂」(9月2日)となり、5日から神奈川県の女子高校は休校となりました。一方で強姦事件への日本人の反応は、「負けたんだ。殺されないだけましだ」「日本兵が支那でやったことを考えれば…」と、いうようなものでした。高見は「こういう日本人の考え方は、ここに書き記しておく「価値」がある」と。まさに国内には、戦場における日本兵の所業に重ね、「玉音放送」直後から「米軍が上陸すると女は凌辱される」との風聞がひろまっていきます。
 このような占領軍将兵による婦女子への猥褻・凌辱行為をはじめとする金品の強奪等々の実態は、内務省警保局が「進駐軍の不法行為」として8月末から週ごとに報告を大臣にあげています。一方で占領軍は、新聞検閲官を任命、「不法行為」等々の占領統治を妨げるような記事を取締る占領下の報道統制を強化した。その検閲は、きわめて隠微に、かつ巧妙でした。高見は「アメリカが我々に与えてくれた言論の「自由」は、アメリカにたいしては通用しないこともわかった」と、「占領下の自由」に気づかされます。しかし日本国民の多くは、「占領下の自由」に気づくことすらなく、アメリカ占領軍からの贈り物として与えられた「自由」に酔い痴れていきます。「不法行為」は、世間の噂になりはしても、闇に閉ざされたのです。その闇の底には日本政府の隠微な施策がありました。

「愛国」という罠

 日本政府は、まさに「日本兵が支那でやったことを考えれば」なる思いを共有していたがため、敗戦直後から占領軍将兵による婦女子への凌辱行為で「日本の娘」が汚されるのをおそれ、「婦女子への貞操の防波堤」なる名目で国家の主導で連合国将兵のための慰安施設の設置を検討していました。東久邇内閣の国務大臣近衛文麿は「日本の娘の純潔を守ってくれ」と警視総監坂信弥に要請、ここに連合軍将兵専用の慰安所が設営されることとなりました。
 警視庁は、花柳界に協力をもとめ、8月26日に特殊慰安施設協会(Recreation & Amusement Association RAA)を設立、9月4日に「キャバレー・カフェー・バー ダンサーを求む 経験の有無を問はず国家的事業に挺身せんとする大和撫子の奮起を確む最高収入 特殊慰安施設キャバーレー部」等々の新聞広告、「新日本女性を求む」云々なる街頭広告で広く女性を募集しました。「大和撫子」なる呼びかけは、占領軍将兵への売春行為を国家の使命とみなし、戦時中の工場への勤労動員を「女子挺身隊」と位置付けたのに通じるものです。ここには国家管理売春を国是としてきて構築された日本という国の変わらざる体質が読み取れましょう。ちなみに協会設立の資本金1億円のうち5500万円は大蔵省の保証で日本勧業銀行が融資。資金調達に尽力したのは後に総理大臣となる池田勇人です。

 高見は、このような施設に関わった経営者が終戦前は「尊皇攘夷」を唱えていたことを指摘、次のように慨嘆しております。

 世界に一体こういう例があるのだろうか。占領軍のために被占領地の人間が自らいちはやく婦女子を集めて淫売屋を作るというような例が――。支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされている支那人も、自ら支那女性を駆り立てて、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かかる恥かしい真似は支那国民はしなかった。日本人だけがなし得ることではないか。
 日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと言って、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどだまして連れ出したようである。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして、船に乗せ、現地へ行くと「慰安所」の女になれと脅迫する。おどろいて自殺した者もあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になったのである。戦争の名の下にかかる残虐が行なわれていた。
 戦争は終った。しかしやはり「愛国」の名の下に、婦女子を駆り立てて進駐軍御用の淫売婦にしたてている。無垢の処女をだまして戦線へ連れ出し、淫売を強いたその残虐が、今日、形を変えて特殊慰安云々となっている。(昭和20年11月14日)

 日本国家の指導者は、いかに「日本人だけがなし得ることではないか」といわれようとも、「愛国」の名の下に平然と国民を人身御供にすることで、己の存在を確保してきたのだといえましょう。昨今耳にする「美しい日本」なる掛け声をはじめ、女子スポーツ界にみられる「撫子」なる言説がいかに世間の気分を高揚させようとも、その言説に何が託されてきたかを凝視し、歴史の闇を読み解くべきではないでしょうか。ここに展開してきた虚妄なる世界こそは、日本という国の根底に国民を平然と売り飛ばす、高見流にいえばある種の「淫売帝国」ともいえる体質が未だに根深く息づいている証左ではないでしょうか。それだけに現在こそ、国家が説き聞かせる言説に向き合い、私の場を確かめたいものです。

 

参考文献

  • 水野浩編『日本の貞操 外国兵に犯された女性たちの手記』 蒼樹社 1953年
  • 五島勉編『日本の貞操』 蒼樹社 1953年
  • なお、乃南アサ『水曜日の凱歌』(新潮文庫 2018年)はこのRAAを素材とした作品