学び!と共生社会

学び!と共生社会

インクルーシブ教育の充実と地方自治体の動き
2024.03.28
学び!と共生社会 <Vol.50>
インクルーシブ教育の充実と地方自治体の動き
大内 進(おおうち・すすむ)

1.はじめに

 これまでも本欄でたびたび触れてきていますが、2022年9月に国連の障害者権利委員会より、障害のある人の人権や自由を守ることを定めた「障害者権利条約」への対応に関する勧告が示されました。そこには、現在の特別支援教育の枠組みが障害のある子どもを通常の学びの場から分離しているとして、障害のある子もない子も共に学ぶ「インクルーシブ教育」の推進に向けて国の行動計画を作ることが示されました。これに対して、国の回答は「多様な学びの場で行われている特別支援教育のシステムを維持しつつ、勧告の趣旨を踏まえて引き続きインクルーシブ教育システムの推進に努めたい」というものでした(*1)
 地方分権が進む中で、インクルーシブ教育の推進についても地方自治体の動きが大きな影響をもってくると思われますが、こうした中で、さらに歩みを進めてフルインクルーシブ教育の実現をめざした取り組みを進めている自治体も出てきています。フルインクルーシブ教育への取り組みについては、大阪市、豊中市、枚方市等の実践がよく知られていますが、本稿では、フルインクルーシブ教育への対応を巡って関心を集めている国立市の動向を中心に、自治体ぐるみでの取り組みの意義について検討します。

2.文部科学省 地方教育行政の充実に向けた動き

 文部科学省は、令和5年7月19日に「令和の日本型学校教育」を推進する地方教育行政の充実に向けた調査研究協力者会議の報告を公にしています(*2)
 この会議は、「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」(令和3年1月中央教育審議会答申)において挙げられた学校運営に係る地方教育行政の在り方に係る検討事項その他当面する課題等を踏まえ、地方教育行政の充実改善に向けた検討を行うために設けられたものです。
 この報告の中には、諸々の教育課題の一つとして次のような記述が認められます。

「学校には、特別支援教育の対象となる児童生徒や外国人児童生徒、不登校児童生徒、特定分野に特異な才能のある児童生徒等に対して適切な支援を行うことが求められている。また、いじめや児童虐待、ヤングケアラー、貧困を抱える児童生徒への対応など、子供が直面する課題に向けた対応は、多様化・複雑化している。」

 ここで示されている内容は、文部科学省が示す「インクルーシブ教育システムの構築」に大きくかかわっているものだといえます。
 本報告書は、「令和の日本型学校教育」を推進する地方教育行政を実現するための方策として、教育委員会の機能強化・活性化、教育委員会と首長との効果的な連携、学校運営の支援のために教育委員会が果たすべき役割などを提言したものです。当然のことながら、「インクルーシブ教育システムの構築」の推進にもつながるものとして受け止めていくことが期待されます。これにより「インクルーシブ教育システムの構築」がより我が事として受け止められ、地方教育行政に反映されていくことが期待されます。

3.国立市の取り組み

 最近、 インクルーシブ教育への取り組みについて、 国立市の対応が話題になっています(*3)
 国立市では、全国の自治体に先駆けて、2019年度に策定した市の教育大綱で「フルインクルーシブ教育」を目指すと明記しました。障害の有無にかかわらず、可能な限り地域の学校でともに学ぶ理念を掲げたということです。昨年5月に、市教委は東京大学大学院教育学研究科ともフルインクルーシブ教育の推進に向けた共同研究の協定を締結していて、その本気度がうかがわれます。
 こうした動きは唐突に出てきたものではありません。国連の採択以前の2005年に、国立市では当事者の陳情から障害者が当たり前に暮らすための宣言が発表され、条例が策定されています。2019年には、「国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例」(*4)も制定されています。このように国立市では、障害がある人が地域で暮らすことに長年にわたって取り組んできていたのですが、教育の分野にまで十分に踏み込めていませんでした。こうした背景を知ると、「フルインクルーシブ教育」を掲げた教育大綱の策定への流れが理解できます。
 国立市の取り組みは、全ての子どもがともに学ぶ方向性を強く打ち出しており、文科省が掲げる「インクルーシブ教育システム」の枠組みに収まるものではありません。そのためにあえて「フルインクルージョンの推進」としていることです。
 国立市の方針に対して批判的な意見もあるだろうことは想像に難くありません。市が掲げるフルインクルーシブ教育のあり方や市教委が結ぶ東京大学大学院教育学研究科との協定を巡って、市議会で紛糾したということです(*5)
 しかし、市教委へのインタビュー記事には次のような記述もあります(*6)

「『個別支援はなくさないで』『特別支援学級がなくなるのが不安』という声もあり、一足飛びに推進することは適切ではないと考えています。個別支援が必要であることやその選択は尊重しつつ、通常学級の指導を充実させることで、特別支援学級を選ばなくてもいい状況をつくっていきたいです。」

 フルインクルーシブ教育を50年にわたって続けているイタリアでも、保護者や当事者には、通常の学級で生活することへの不安から特別な学校を求める声があります。そして、実際にそうした学校もわずかながら存在します。
 筆者は、この3月中旬にイタリアを訪問して、そうした機関の一つを実際に見学する機会を得ました。
 イタリアでは、すべての幼児児童生徒の通常の学級での生活を保障するために、さまざまな仕組みが整えられています。それでも、現実的な問題として、高度の医療的ケアや介護などの体制を完備することが困難なケースもあります。そうした対応を必要とする児童生徒が、整った環境を望むのは当然です。その帰結として通常の学級以外の選択も特例として認められているということです。だからといって、保護者や当事者、さらにはそうした特別な機関の関係者が、フルインクルーシブ教育を否定しているわけではありませんでした。
 引用した記事からは、国立市の場合もフルインクルーシブ教育をめざしているものの、性急な改革を進めようとしているわけではなく、丁寧に対応していこうとしていることがわかります。「フルインクルーシブ」という言葉に惑わされることなく、そのことをしっかり理解しておく必要があるのではないかと思います。

4.「インクルーシブ教育システムの構築」ということ

 文部科学省も「インクルーシブ教育システムの構築」を掲げて「同じ場でともに学ぶことを追求する」ことを明確に示しています。
 今後の進め方については、「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」の中で、施策を短期(「障害者の権利に関する条約」批准まで)と中長期(同条約批准後の10年間程度)に整理した上で、段階的に実施していく必要があるとして、具体的に次のように示しています(*7)

 短期:就学相談・就学先決定の在り方に係る制度改革の実施、教職員の研修等の充実、当面必要な環境整備の実施。「合理的配慮」の充実のための取組。それらに必要な財源を確保して順次実施。
 中長期:短期の施策の進捗状況を踏まえ、追加的な環境整備や教職員の専門性向上のための方策を検討していく。最終的には、条約の理念が目指す共生社会の形成に向けてインクルーシブ教育システムを構築していくことを目指す。

 これまでの施策の流れは、「特別支援教育」の立場からのニーズのある児童生徒への支援という観点から組み立てられてきていました。しかし、インクルーシブ教育は、本来「通常の教育」の範疇にあるものです。「インクルーシブ教育システムの構築」が進んでいくと、その進展に伴う課題の克服をめざして「通常の教育」の枠組みに沿った施策の充実に重点が置かれるようになっていくと考えられます。
 現在、特別支援教育の対象となっている児童生徒のマジョリティは「知的障害」です。全児童生徒数が減少傾向にあるにもかかわらず、特別支援学校や特別支援学級の在籍者が増大している傾向にあります。

図1 特別支援学校在籍者数の推移(各年度5月1日現在)
出典:厚生労働省ホームページ(https://www.mhlw.go.jp/content/001076370.pdf

図2 特別支援学級在籍者数の推移(各年度5月1日現在)
出典:厚生労働省ホームページ(https://www.mhlw.go.jp/content/001076370.pdf

 合わせて、通常の学級で障害のない児童生徒とともに学ぶ知的障害児も増えてきています。しかし、通常の学級における知的障害児の教育に関する実践の報告・検討の数はまだ極めて少ない状況にあります。今後は、「知的障害教育の専門性を有する教師を中心として、通常の学級における支援システム構築が推進されていく必要がある」(*8)といえます。しかし、それだけではいずれ閉塞状態に陥ってしまうでしょう。「インクルーシブ教育システムの構築」が進展すると、「通常の学級」本体の枠組みの再検討と「通常の学級」を支える仕組みづくりも迫られていくことになると思われます。こうした仕組みづくりは、学校教育の範疇だけでは対応できません。そうした点においても、関係部局が緊密に連携しやすい自治体ぐるみでの関わりが大切になってくると思われます。

まとめ

 インクルーシブ教育の充実には、国としての姿勢だけでなく、地方自治体の取り組みも大きく影響します。制度だけではなく財政の確保といった面から、教育委員会だけでなく首長部局や市長部局の対応も重要になってくるからです(*9)。自治体全体でフルインクルーシブ教育を展開しようとしている国立市の取り組みからは、人事面や財政面での工夫や課題も明らかになってくるものと思われます。
 そうした面で、「フルインクルージョン」を掲げた国立市の取り組みは大変貴重なのですが、一つの自治体の動きがどのように受け止められていくかが今後のインクルーシブ教育の進展に大きく影響してくるように思われます。また、他の自治体の今後の動向にも注視していきたいと思います。

*1:NHK福祉情報サイト 障害者権利条約 国連勧告で問われる日本の障害者施策
記事公開日:2022年11月18日
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/723/
*2:文部科学省 「令和の日本型学校教育」を推進する地方教育行政の充実に向けて
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/177/mext_01516.html
*3:毎日新聞記事 東京・国立市での挑戦/上 「ゴーストにしない」母の選択 手探りの「フルインクルーシブ教育」
https://mainichi.jp/articles/20231120/ddm/013/100/036000c
東京・国立市での挑戦/下 「ちゃんとさせなくてもいい」 教師の「見方」で子供たちは変わる
https://mainichi.jp/articles/20231204/ddm/013/100/020000c
*4:国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本条例
https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/soshiki/Dept01/Div01/Sec03/gyomu/0373/0374/1552625272645.html
*5:毎日新聞記事 国立市「フルインクルーシブ教育」 議会予算委、協定で紛糾/東京
https://mainichi.jp/articles/20240309/ddl/k13/100/003000c
*6:東洋経済 国立市が東大とタッグ、「フルインクルーシブ教育」に本気で動き始めた背景原則「すべての子どもが同じ場で学ぶ」を目指す
https://toyokeizai.net/articles/-/697724
*7:文部科学省 「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/044/attach/1321669.htm
*8:田中 亮・奥住秀之 通常の学級における知的障害児の教育に関する研究動向─インクルーシブ教育システムにおける指導・支援と教育課程編成の充実に向けて─.東京学芸大学教育実践研究 第18集 pp.143-147,2022
https://www2.u-gakugei.ac.jp/~scsc/bulletin/vol18/18_18.pdf
*9:柴垣 登 特別支援教育における都道府県間格差についての予備的考察. 立命館人間科学研究 第36号 2017. 6
https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/record/4371/files/gl_36_shibagaki.pdf