学び!と共生社会

学び!と共生社会

インクルーシブ教育の充実と地方自治体の動き(続)
2024.04.25
学び!と共生社会 <Vol.51>
インクルーシブ教育の充実と地方自治体の動き(続)
大内 進(おおうち・すすむ)

1.はじめに

 前回、インクルーシブ教育に関する地方都市の動向を巡って、国立市のインクルーシブ教育への取り組みを紹介しました。インクルーシブ教育への対応については、文部科学省としては特別支援教育のシステムを維持しつつ、引き続きインクルーシブ教育システムの推進に努めるという姿勢を堅持していますが、国連の委員会の勧告に沿った形でインクルーシブ教育を進めようとしている地方自治体が出てきていることの一端として取り上げたものです。
 全国を俯瞰すると、こうした方向に舵を切る、あるいは舵を切ろうとしている自治体が他にもあります。前回の続編として今回も、そうした自治体の中から神奈川県海老名市、北海道根室市の動きを取り上げてみたいと思います。

2.神奈川県海老名市の取り組み

 この3月22日に、神奈川県海老名市教育委員会(伊藤文康教育長)と神奈川県教育委員会(花田忠雄教育長)がインクルーシブ教育の推進に向けて連携する協定を結びました(*1)
 海老名市は、インクルーシブ教育に積極的に取り組んでいます。市が策定した教育大綱には、「しあわせをはぐくむ教育」のまち海老名として、5つの柱のもと、次のような文言が記されています(*2)

私たちは「ひびきあう教育」の理念のもとに

  • こどもたちひとりひとりの
  • 家庭・学校・地域の「しあわせ」のために

「誰ひとり取り残さない教育」をめざします

 5つの柱のうちの一つには、「包摂性の高い教育的・社会的支援の推進」という文言が掲げられています。その中で、インクルーシブ教育の推進として、「個別の教育支援計画の作成等を通じた教育的ニーズの適切な把握のもとに、すべての子どもたちひとりひとりの多様性に対応した、学びやすい環境、わかりやすい授業、安全で安心できる居場所を目指します。」と記されています。
 他方、神奈川県は、県として以前からインクルーシブ教育の推進に力を入れ、公立高校での「インクルーシブ教育実践推進校」の取り組みなどを進めてきています(*3)。「インクルーシブ教育実践推進校」というのは、「誰もが大切にされ、いきいきと暮らせる『共生社会』をめざして、知的障がいのある生徒が高校で学ぶ機会をひろげながら、みんなで一緒に過ごすなかで、お互いのことをわかりあって成長していくことを目標にしている高校」ということです。神奈川県では、「知的障がい」のある生徒の進路を特別支援学校に限定することなく、インクルーシブ教育のレールに載せていこうとしていることが伝わってきます。
 背景にこうしたそれぞれの取り組みがあることを知ると、海老名市と神奈川県が連携を深めて、今回の協定締結に至ったということがよく理解できます。
 県と市は今後、協定書に基づいて、海老名市内でのインクルーシブ教育の実現に向けた研究・企画、実践や普及・啓発などで連携を深め、本年度中に推進会議(仮称)を立ち上げ、インクルーシブ教育に関する情報交換や具体的な実施事項などについて協議し、決定していくということです。
 また、神奈川県の黒岩知事の考えも新聞等で報道されています(*4)

 「なぜ神奈川県はインクルーシブ教育に積極的なのか?」「自閉症や発達障害といった脳神経の多様性を個性として積極的にとらえる『ニューロダイバーシティ』の考え方に関心を持たれているのはどうしてですか?」という問いに対して、黒岩知事は次のように答えています。

 神奈川県は「当事者目線の障害福祉」を掲げ、憲章や条例を策定しています。「ともに生きる社会かながわ憲章」と「神奈川県当事者目線の障害福祉推進条例 ~ともに生きる社会を目指して~」です。
 これらが制定されたきっかけは、今から8年前、2016年7月に起きた県立の障害者支援施設「津久井やまゆり園」で起きた痛ましい事件です。19人の命が奪われた。それも元職員によって。理由は「意思疎通が図れない人間は生きている意味がないから」という理解し難いものでした。私にとって大変ショックな出来事で、「障害者とともに生きる社会の実現」を県政の最優先事項にしたのです。

 また、「日本の教育は均質な人を作ることに専念してきた」という側面がありますが、それに対して、「均質的な普通を目指すことが標準、という考え方は、非常に危ういと私は思います。なぜなら、そこに普通と、普通ではない、の分断があるからです。その延長線上に、悲惨な津久井やまゆり園事件があったのかもしれない。」とも述べています。

 やまゆり園の惨事を深く洞察し、「普通と、普通ではない」を切り分けてきたことの反省に立って、インクルーシブ教育を推進する方向が導き出されていることが伝わってきます。
 海老名市の伊藤文康教育長も、「『すべての子どもたちが、住んでいる地域の学校で学び成長することはあたり前のことであり普通のこと』との認識をした。その上で、『そんなあたり前の、ふつうの地域づくり・学校づくりを、子どもたちや保護者、教職員や地域の方々、市民の皆さまの声を聞き、話し合いを重ね、市全体で取り組みを推進したい』とコメント」しています(*5)。これからの海老名市の動向を注視していきたいと思います。

3.北海道根室市の取組

 根室市の教育委員会も、より踏み込んだ形で、障害がある児童を分けずに教育する「インクルーシブ教育」を市立花咲港小学校で実施していることを知りました。
 「市独自の取組として、障がいのみならず、人種の別や男女差、性についての指向性、社会的地位や背景の違いなど、あらゆる差別を乗り越えて、一人ひとりの個性と価値観を認め、自分らしく在るための選択や決定を尊重するインクルーシブ教育の実現に向け取組を進めてきた」(*6)ということで、花咲港小学校をモデル校として位置づけて取り組みが進められてきています。

 花咲港小学校の取組には以下のような特徴があります。

  • ドイツ発祥でオランダで広がった「イエナプラン」(*7)を参考に、障害がある児童には専門的支援を行いつつ、一般の学級の中で学ぶことを基本とする取り組みを進めていること。
  • 学級は幅広い年齢で構成し、一律の時間割を撤廃して、児童一人ひとりの発達に合った進度別の時間割を取り入れ、そのことで、障害の有無にかかわらず学ぶ環境をつくっていること。
  • 教師が一方的に進める授業形態はとらないこと。

 学年や障害の有無を取り払った学級編成とするところは、まさしく「フルインクルージョン」だといえるのですが、それがいわゆる「ダンピング」に陥らないためには、個に応じた学習活動が保障される必要があります。花咲港小学校では、一律の時間割を廃し、それぞれの進度に合った時間割を取り入れるというところまで踏み込んで、その課題に対応しています。これにより障害がある児童が授業についていけないといった問題も起きにくくなります。また、画一的で一方的に教え込む授業でなくなることから、障害がない児童も意欲や主体性に学習に取り組むようになるというメリットも生まれてきます。
 花咲港小学校は小規模校で、児童数10人ということもあり、こうしたシステムが導入しやすかったのではないかと思われます。また、小規模校であることは、他の小学校に統合される可能性もあったわけで、特別支援学校がない根室市内におけるインクルーシブ教育の拠点として存続を図ったことは地域にとってもよい選択だったといえそうです。
 北海道内では障害がある児童が普通学級の中で学ぶことを原則としている公立学校はなく、根室市教育委員会の波岸克泰教育長も市議会で「インクルーシブ教育は、障害のみならず、人種や男女差、性の指向性、社会的地位や背景の違いなど、ひとりひとりの個性と価値を認め、自分らしくあるための選択や決定を尊重する教育で、これからの学校教育に求められる姿だ」(*8)と語っていて、道内や市内からの視察が絶えないということです(*9)。こちらもこれからの展開に目が離せません。

まとめ

 日本の障害児教育は、特別支援学校や特別支援学級などを設定し、流動性を担保しながらも障害がある児童と無い児童を分けて教育することが原則になっています。前回と今回、こうした枠組みにとらわれずに、独自のインクルーシブ教育を展開している、あるいは展開しようとしている地方自治体の取り組みについて紹介してきました。
 標準的な集団への画一的な教育を前提としていたこれまでの学校教育の枠組みを変えることなく、インクルーシブ教育に移行することは、現場や当事者の負担を増加させてしまうことにつながります。
 現状でも「手厚い支援」が受けられるからと特別支援学校を選択するケースも少なくないのですが、それは裏を返せば、今の体制のままでは通常の学校では十分な支援が受けられないという実態を察知しているからにほかなりません。
 障害があるなしにかかわらず、すべての児童生徒に歓迎されるインクルーシブ教育を展開していくためには、学級定数、教員の配置、指導方法・内容の工夫、指導体制の改善、環境整備、他機関との有機的な連携などが求められます。フルインクルージョン体制を維持しているイタリアではこの仕組みを50年に渡って築いてきました。
 地方自治体の弾力的な運用が奨励されているとはいえ、令和4年4月に文部科学省から「特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について」という通知(*10)が発出されたように、国として示してきた枠組みに沿っていないととらえられると規制がかかってくる可能性もあります。
 海老名市、根室市、そして前回取り上げた国立市は、こうした制約がある中で、どのような工夫をして国連の障害者権利条約で示されている「インクルーシブ教育」に踏み込み、それを持続的に展開していくのか、そして、何よりも地域や保護者、児童生徒に歓迎されるように進めていくのか、しっかりと見守っていく必要があるといえます。

*1:海老名市教育委員会と「インクルーシブ教育の更なる推進に向けた連携と協力」に関する協定を締結します
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/98679/240322.pdf
*2:海老名市教育大綱
https://www.city.ebina.kanagawa.jp/guide/kyoiku/iinkai/1003117.html
*3:インクルーシブ教育実践推進校
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/j7d/cnt/f533456/index.html
*4:本音は特別支援学校をやめていきたい 神奈川県 黒岩知事が「ごちゃまぜを当たり前に」したい理由
https://forbesjapan.com/articles/detail/70412
*5:海老名市神奈川県 インクルーシブで連携 協定締結、協議本格化へ〈海老名市・座間市・綾瀬市〉
https://article.yahoo.co.jp/detail/609a0bdb4f9124d3e9eacdd788c21962e3b153d1
*6:1.インクルーシブ教育の推進について【教育総務課】
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/material/files/group/31/r5sougoukyouikukaigigizi.pdf
*7:イエナプランとは
イエナプラン教育は、ドイツで始まりオランダで広がった、一人ひとりを尊重しながら自律と共生を学ぶオープンモデルの教育。詳しくは下記サイトを参照してください。
日本イエナプラン教育協会
https://japanjenaplan.org/jenaplan/
*8:根室・花咲港小がインクルーシブ教育 幅広い年齢、時間割自由に 障害の有無取り払う
https://mamatalk.hokkaido-np.co.jp/article/225995/
*9:花咲港小のインクルーシブ教育 市内外から視察相次ぐ
https://news.yahoo.co.jp/articles/473275cc62f42209674428e5786011e721d03586
*10:特別支援学級及び通級による指導の適切な運用について(通知)
https://www.mext.go.jp/content/20220428-mxt_tokubetu01-100002908_1.pdf