学び!と共生社会

学び!と共生社会

イタリアのオメロ美術館と映画『手でふれてみる世界』
2025.02.27
学び!と共生社会 <Vol.61>
イタリアのオメロ美術館と映画『手でふれてみる世界』
大内 進(おおうち・すすむ)

はじめに

 イタリアのマルケ州の港湾都市アンコーナに「オメロ(Omero)」という名前がついた美術館があります。国立オメロ触覚美術館(Museo Tattile Statale Omero,以下オメロ美術館)です。オメロとは、イタリア語で「ホメロス(Homeros)」のことです。ホメロスは、言うまでもなく、古代ギリシアの吟遊詩人であったとされる伝説的な人物を指しています。西洋文学最初期の2つの作品、『イーリアス』と『オデュッセイア』の作者と考えられています。

オメロ美術館が入っているモーレ・ヴァンヴィテリアーナの建物
©2022 Le mani toccano il mondo

 盲目だったとされる「ホメロス」の名前をつけた美術館は、視覚に障害のある夫婦の熱い思いから誕生しました。展示作品に自由に思う存分触れることが許されている世界的に数少ない美術館です。この美術館の取り組みに感銘を受け、一人の女性がカメラを手にしてドキュメンタリー映画を完成させました。それが岡野晃子さん制作の『手でふれてみる世界』です。
 博物館の国際組織である国際博物館会議(ICOM)が新定義を示しました。このことはすでに本連載(Vol.44)でも紹介しましたが、その定義の中に「博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。」という一文が刻まれています。ICOMの新定義の採決や障害者権利条約の批准などを契機に、日本の美術館や博物館はこれまでより質的に高まりのあるアクセシビリー対応に乗り出しているように思われます。
 オメロ美術館の取り組みは、イタリアの美術館・博物館のアクセシビリー対応にも大きな影響を及ぼしています。世界的にも著名な美術館の学芸員がオメロ美術館で研修を受けているほどです。
 そこで、今回は共生教育におけるミュージアムの役割という観点から、共生社会の担い手としても重要な役割を果たしているオメロ美術館の概要とドキュメンタリー映画「手でふれてみる世界」についてご紹介したいと思います。

オメロ美術館について

(1)美術館の歴史

 視覚に障害があるアルド・グラッシーニさんと妻のダニエラ・ボッテゴニさんは、アートを愛し、旅行が大好きで、世界80カ国以上を旅して、各国、各地域の文化や自然、生きものに直接手で触れて味わってきました。しかし、どの国でも美術館や博物館の展示物に触れることはご法度でした。「視覚に障害がある人にとって触ることは、目の見える人にとって見ることと同じである。」しかしながら、触ることが許されない現実。それならば、見える/見えないにかかわらず、アート作品に手で触れて鑑賞できる美術館を自分たちでつくろうと、夫妻は、地元で行動を起こしました。1980年代のことです。
 それが形となって実現したのが、「オメロ美術館」です。イタリア盲人協会の支援を受けて、1993年にアンコーナ市議会の議決を経て設立されました。1999年11月25日には、国立の美術館に位置づけられています(1999年法律第452号)(*1)
 この法律の条文には美術館の目的として、「視覚に障害がある人々の社会的統合と文化的成長を推進すること」、「リアリティの知識を広げること」が示されています。この趣旨に沿って本美術館は展示だけでなく施設面でもバリアフリー環境に十分な配慮がなされ、発展してきました。
 国立機関としての運営は、2002年からロベルト・ファローニ館長(1953-2011)の監督下で始まりました。ファローニさんは、15歳のときに発生した水泳事故のために車椅子での生活を余儀なくされています。ファローニさんは、後にアートギャラリーの経営者となり、生まれ故郷のアンコーナの文化生活に関わり続けました。政治の分野にも貢献し、1997年から2001年までアンコーナ市の市議会議員も務めています。ファローニさんは、持ち前の熱意で多くの人々を引き込み、オメロ美術館の設立に尽力されました。彼の人身掌握力と組織管理力によって、美術館の新しい経営は軌道に乗り、短期間で大きな発展を遂げることができました。わずか9年間(2002年から2011年)の間に、国民の関心を引くような大規模な展覧会の開催、海外とのネットワーク網の構築、集中的な研修活動の開始、障害の枠にとらわれることなく幅広く一般市民を対象としたイベントの開催などを通して、来館者数も急増させました。惜しいことに2011年に逝去されました。
 ファローニさんの貢献にスペースを取りましたが、それは視覚障害者のための美術館の発展に障害種を超えた協力があったということを記しておきたかったからです。イタリアではこうした交流が自然に行われていますが、それはすでに半世紀に及ぶインクルーシブ教育のなせる業ではないかと思っています。
 本美術館の沿革については表1に示しました。

1985

エスペランティストでもある2人の視覚障害者、アルド・グラッシーニとその妻ダニエラ・ボッテゴーニは、世界中を旅し、アートに触れることを楽しみとしていた。しかし、世界中のあらゆる美術館で待ち受けている「触れることの禁止」にうんざりし、あらゆるものに触れることができる美術館をつくるというアイデアを着想する。

1986

社会福祉局のマルケ地域マネージャーだったローザ・ブルノリ・シリアコの共鳴を得て、議会への要望が開始される。

1993

5月29日、アンコーナ市議会の議決を経て、オメロ博物館が設立された。マルケ州の寄付とイタリア視覚障害者連合の支援を受けた。最初の設置は「カルロ アントニーニ」小学校内だった。3つの教室に、古典彫刻の石膏複製19点と建築模型が展示された。この博物館の責任者を務めたのは、市職員のマリアグラツィア・コンティ(2002年まで)。

1997

コレクションが増え、ティツィアーノ通りのドナテッロ中学校の棟に移転。

1999

イタリア国会が全会一致で、「1999年11月25日法律第452号」を承認。国立美術館として位置づけられる。
法律の第2条には、この美術館の目的が「視覚障害者の成長と文化的統合を促進し、視覚障害者の間で現実の知識を広めること」と記されている。

2001

美術館は、アンコーナ市と文化省間で締結された協定に従って運営されることになった。この協定は2022年12月19日に更新されている。

2002

国立機関となったオメロ美術館の館長にロベルト・ファローニが就任。組織を取りまとめるとともに資金の確保に努めオメロ美術館の経営基盤を整えた。モーレ・ヴァンヴィテリアーナへの移転に向けて尽力した。

2011

館長を務めていたロベルト・ファローニが逝去。アルド・グラッシーニが館長に就任

2012

夏、モーレ・ヴァンヴィテリアーナに移転。4階建て約3,000平方メートルのスペース。展示やイベントのためのスペースの他に、教育研究室、オフィス、ホールカンファレンス、ドキュメンテーションセンターなどが設けられる。

2014

2014年12月23日以降、文化省のマルケ州博物館局の管轄下での運営となる。

2018

2018年8月20日以降、教育省(MIUR)学校職員総局の大臣指令170/2016に従って、教師研修の認定機関となる。

2024

2024年1月19日、外務省と国際協力省が支援する国際的に卓越した学術、文化、芸術の新しいセンターである「ヘリテージ・国際研究所」と協定を締結した。

表1 オメロ美術館の歴史

(2)オメロ美術館の現状

1)基本情報

名称 オメロ美術館(Museo Tattile Statale Omero)
所在地 イタリア マルケ州
住所  Via Tiziano 50, 60125 Ancona, Italia
email  info@museoomero.it

2)オメロ美術館の展示

 本美術館は三度移転していて、現在は、アンコーナ湾内にあるモーレ・ヴァンヴィテリアーナという五角形の建物内にあります。4階建て約3,000平方メートルのスペースを有し、展示やイベントのためのスペースの他に、教育研究室、オフィス、ホールカンファレンス、ドキュメンテーションセンターなどが設けられています。
 本美術館に収蔵されている作品は、触って鑑賞できるという観点から「建築モデル」と「彫刻」、「考古学出土品」の3ジャンルに大別されます。
 建築物については実物の縮尺モデルで、ギリシャのパルテノン神殿、ローマ時代のパンテオン、バチカンのバスティカ宮殿、フィレンツェのサンタマリア聖堂など、ギリシャやイタリアの代表的な歴史的建造物の精巧な模型が展示されています。それぞれの作品は、柱の彫刻や室内の内装まで精密に再現された縮尺モデルです。
 また、作品によっては、両手を広げても抱えられないほどの大きさになっているものもあり、それらについては両手で建物全体が確認できる程の大きさの簡略なモデルが別に用意されています。まずその簡略モデルを触って建物の全体像を把握してから、大型の模型で詳細に観察できるように配慮されているのです。
 彫刻については精巧なレプリカ及び実物が展示されています。「ミロのビーナス」、ミケランジェロの「ダビデ」像、「モーゼ」像、「ピエタ」像、ドナテッロの「ダビデ」像など、ルーブル美術館やフィレンツェの美術館などに収蔵されている著名な作品のレプリカが展示されており、タッチツアーが体験できます。
 彫刻については、さらに「人間の顔面の表現」、「エジプト彫刻」、「ギリシャ彫刻」、「エトルリア彫刻」、「ローマ彫刻」、「ロマネスク、ゴチック彫刻」、「ルネッサンス彫刻」、「ミケランジェロの作品」、「マネリスト」、「バロック彫刻」、「ネオクラッシック彫刻」、「20世紀の彫刻」、「現代彫刻」などに分類されて展示されています。
 考古学出土品はマルケ州で発掘されたものが中心で、実物が展示されています。
 それぞれの展示物には、作品の説明がイタリア語とイタリア語の点字で表示されています。説明盤は点字使用者に配慮して、点字が読みやすい位置の壁に45°~60°程度の傾斜をつけて設置されています。作品は視覚障害の有無を問わず誰でも自由に触ることができます。筆者はこれまでに4回ほどこの美術館を訪問したことがあり、触れやすい部分には汚れが付いていたり、彫刻の人物の指先をよく観察していると折れた指を修復した形跡が残っていたりしており、それらの痕跡が繰り返し触られていることを物語っていました。

(3)オメロ美術館の教育活動

 オメロ美術館では、当然のこととして視覚障害者向けのツアーやコンサルテーションを実施していますが、視覚障害者だけでなく、学校や一般の人々、家族を対象にした、多感覚に訴えるさまざまな教育活動を実施しています。具体的な活動内容については、美術館のWebサイトを参照してください(*2)

ドキュメンタリー映画『手でふれてみる世界』について

 「オメロ美術館」の日々の活動を捉えたドキュメンタリー映画「手でふれてみる世界」は、岡野晃子監督によって制作されました(*3)

(1)制作者岡野晃子さんについて

 岡野さんは、静岡県長泉町にあるヴァンジ彫刻庭園美術館(現静岡県新文化施設)やベルナール・ビュフェ美術館の運営に携わっておられました。
 ヴァンジ彫刻庭園美術館では、イタリア人の彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジ(Giuliano Vangi, 1931-2024)の作品を展示していましたが、ヴァンジさんの願いもあって、設立当初から、来館者は屋外の展示作品に触れるようになっていました。岡野さんはヴァンジさんを通じてオメロ美術館の存在を知ります。視覚に障害がある人のために始まった美術館が、子どもから大人まで、視覚に障害がある人もない人も訪れる、すべての人に開かれた美術館となり、「そこで働く人、訪れる人、関わる人々が、「美術館とは何か」を静かに語りかけてくる」ことに感銘を受けたということです(*4)
 その美術館の活動の様子をヴァンジ彫刻庭園美術館のスタッフの皆さんと共有しようと、岡野さんはカメラを回すことを始めたそうですが(*4)、撮影開始から間もなく新型コロナウイルスの感染が拡大してしまいました。イタリアでも移動制限や触ることが制限されることになるのですが、コロナ禍にオメロ美術館を訪問した岡野さんは、全盲の高校生ララ・カロフィリオさんに出会います。ララさんがマスク姿で手袋をはめてドナテッロ作「ダビデ像」の複製作品を「手でみる」様子がこの映画に紹介されています。
 このララさんのアートを追い求める強い意思と「オメロ」という美術館の存在を世界に広めてほしいという願いが岡野さんを突き動かしました。本格的に作品を制作する引き金になったと筆者は岡野さんから伺っています。

(2)作品について

 コロナ禍を経て、2022年にドキュメンタリー映画「手でふれてみる世界」が誕生しました。この映画に描かれているオメロ美術館の活動、アルド・グラッシーニ、ダニエッラ・ボッテゴニ夫妻やジュリアーノ・ヴァンジさんの言動や交流の様子から、アート作品は見えている人にとっても「見る」だけのものではないこと、触れる世界が奥深く豊かであること、触ることで見える/見えないという壁を越えて人々の認識が変わっていくことなどを教えられます。この映画を見た人の実感や感動が口伝えで広がっていき、もちろん岡野さんの努力もあってのことですが、これまで全国各地で上映会が催され、好評を博しています。

映画の一コマ(ヴァンジの作品と同じポーズを取るアルド・グラッシーニ、ダニエラ・ボッテゴニ夫妻)
©2022 Le mani toccano il mondo

 美術館や博物館のソフト面でのアクセシビリティを細々と追究してきた筆者としては、ハード面での対応に比べて、ソフト面、とくに常設展示へのアクセシビリティ対応が緩慢なことに常々歯がゆさを感じていたのですが、この映画は、「見ることの優位性」という思い込みの鎧をはがしてくれました。この映画には、アート作品への向き合い方について人々の認識を変えていく力があることを感じています。
 また、この映画は、見える人も見えない人も一緒に鑑賞できる音声ガイド付き映画であるというところにも特徴があります。設備の整った施設では、画面を見ることができなくてもイヤホンで副音声の説明を聞きながら鑑賞することができるのです。この映画を上映してきた「シネマ・チュプキ・タバタ」(*5)にはこうした設備が整っています。
 さらに特別な設備を必要としないユニバーサル版も制作されていますが、こちらでは、観客は主音声と副音声を一緒に聞きながら映画を鑑賞することになります。

おわりに

 アルド・グラッシーニさんは、エスペランティスト(人工言語であるエスペラントを使用する人)でもあります。オメロ美術館の存在は、エスペランティストとしてアルド・グラッシーニさんと交流のあった菊島和子さんをはじめとする方々の情報によって、草創期から日本でも知られていました。しかし、イタリアという遠隔の地にあることもあってその活動を具体的に知る機会はなかなか得られませんでした。その後、ギャラリーTOM(*6)の岩崎清氏らの尽力により、アルド・グラッシーニ、ダニエッラ夫妻が日本に招聘され、その活動について直接お話を伺う機会も得ることができました。筆者自身は2004年にアンコーナの施設を初訪問して以来、これまでに4回オメロ美術館を訪問しています。中学校の校舎を間借りしていた時代からその活動を追ってきたことになります。
 筆者は、これまでにミラノ、ローマ、フィレンツェなどの美術館や博物館のアクセシビリティ対応について調てきましたが、ソーシャルインクルージョンが根付いているイタリアでは、障害の有無や見える/見えないにかかわらず、「美術館はすべての人に開かれている」というとらえ方が自然に受け入れられているように思います。ローマのバチカン美術館、ボルゲーゼ美術館、ミラノのブレラ絵画館、フィレンツェのウフィッツィ美術館などの学芸員にインタビューも重ねてきましたが、接した多くの学芸委の方がオメロ美術館で研修を受けたり、情報提供を受けたりしていました。オメロ美術館は、障害がある人を含めてすべての人に開かれている美術館本体としての機能だけでなく、イタリア国内の美術館のアクセシビリティの向上を支える研修やコンサルテーションの要の機関としても重要な役割を果たしているといえます。
 残念ながら、イタリアでもオメロ美術館の存在は広く一般には知れ渡っていないようですが、岡野さんは、日本にオメロ美術館の存在を広く知らしめてくださいました。この映画は、美術館や博物館で働く方々も関心を持ってくださっていますので、美術館博物館のソフト面でのアクセシビリティ対応がますます進んでいくことが期待されます。また、インクルーシブ教育における美術館や博物館との連携という観点からは、学校の先生方にもぜひご鑑賞いただきたい映画です。大いに刺激を与えてくれるのではないかと思います。

*1:オメロ美術館を国立に位置付けた1999年法律第452号
https://www.museoomero.it/en/museum/about-us/our-memories-of-the-museums-first-25-years/
*2:「オメロ美術館」Webサイト
https://www.museoomero.it/en/learning/schools/
*3:「手でふれてみる世界」Webサイト
https://le-mani.com/
*4:「手でふれてみる世界」監督、岡野晃子さんに聞いてみた
https://www.td-media.net/interview/ux-tateyokonaname-vol8-koko-okano/
*5:「シネマ・チュプキ・タバタ」Webサイト
https://chupki.jpn.org/
*6:「ギャラリーTOM」Webサイト
https://www.gallerytom.co.jp/