学び!と共生社会

学び!と共生社会

イタリアにおける知的障害がある子どもの美術館へのアクセスの促進とインクルージョン
2025.06.26
学び!と共生社会 <Vol.65>
イタリアにおける知的障害がある子どもの美術館へのアクセスの促進とインクルージョン
大内 進(おおうち・すすむ)

1.はじめに

 本欄では、これまで何度かイタリアにおける共生社会の実現に向けた取り組みについて紹介してきました。今回は、アートの分野で知的障害がある子どもの社会参加を目指した取り組みについて取り上げます。ミラノにある「L’abilità」(*1)という非営利団体の取り組みです。
 イタリアの教育は原則としてフルインクルージョン体制になっていますので、障害のある子どもも地域の小学校や中学校に在籍しています。障害があると認定された子どもの生活や学習を支えるためには、通常の学校の資源だけでは十分ではないことは否めません。インクルーシブ教育に消極的な立場からは、常にその不安が指摘されています。イタリアでは、そのことに対処するためにさまざまな工夫をしているのですが、その一つとして、地域の保健機関や障害者団体、施設など関連機関が学校と連携協力して、障害がある子どもや家族を支援しています。
 2023年に、科学研究費による調査の一環としてこの組織を訪問し、責任者にインタビュー調査をしました(*2)。そこで今回は、「L’abilità」の概要とインクルーシブなコミュニティの創造を目指した美術館へのアクセスの取り組みを紹介することにします。

2.非営利団体「L’abilità」について

 「L’abilità」は、イタリアのミラノで障害をある子どもと家族を支援するために、当事者が中心になって設立された非営利団体です。1998年10月に誕生しました。ミラノ市内で4つの施設を運営しています。
 「L’abilità」は、学校や地域保健機関(AUSL)と連携して、障害がある子ども、特に知的障害や自閉症と認定された子どもたちの生活面での「自律」やソーシャルスキル面での支援に関する活動を行っています。日本では「自立」に重きが置かれていますが、イタリアでは「自立」の前提として「自律」が重視されています。独力で物事を達成することを早くから求めず、自分の意志でやりたいことを選択したり決めたりすること、他者に自分の思いを伝えることなどができるようになることを優先しています。この施設で対象としている子どもの年齢は0〜10歳の範囲です。対象となる子どもの障害は、自閉症、知的障害が中心です。約200人の子どもたちが、学校の就業時間前や放課後にこの施設にきて活動をしているということでした。60人のスタッフで対応していました。スタッフの職種は、看護師、心理士、支援員などです。
 イタリアのインクルーシブ教育が、初期段階のダンピングから脱却し、当事者や保護者から支持を受けるようになったのは、学校という教育機関だけの努力のみならず、地域の関連機関との連携や協力も背景にあるといえるのではないかと思います。「L’abilità」は、そうした機関の一つとして、知的障害がある子どもを支えてきました。こうした関係機関との連携は、学校の中だけでインクルーシブ教育を自己完結させるという発想からの脱却が必要だということを教えてくれます。

3.プロジェクト “Museo per tutti” への取り組みについて

 イタリア語の “Museo per tutti” は、museum for all、つまり、「みんなのためのミュージアム」という意味です(*3)
 「ミュージアムは、知的障害者にもアクセスしやすい場でなくてはいけない。」という理念から、「L’abilità」によって2015年からこのプロジェクトが開始されました。ある財団の協力と支援を受けて、知的障害者の社会参加の促進するための一つの方策として、美術館(博物館)や文化の世界へのアクセスを容易にするための活動も展開しています。
 私たちは、この活動の中心的担い手であるカルロ・リーヴァ(Carlo Riva)氏にインタビューし、この取り組みの概要について伺いました。
 このプロジェクトを始めるきっかけは、知的障害がある人と美術館との関わりに関する調査を実施したことでした。一度も美術館に行ったことがないという人が多い、知的障害のある人自身が美術館は自分たちとは縁遠いものだと思いこんでいるという結果から、その改善に向けてこのプロジェクトが立ち上がりました。活動を開始した当初は、美術館が視覚障害や聴覚障害の人達へのサポートは行っているものの、知的障害がある人を受け入れたことがないというのが実態で、そのための知識やノウハウも有していなかったということです。
 “Museo per tutti” の取り組みには、イタリア各地の美術館も興味を示し、全土で35の美術館・博物館が参加する大きなプロジェクトに発展し、現在に至っています。
 リーヴァ氏は、「買い物に行く、遊びに行くのと同じような感覚で、美術館に行きたいという気持ちが育ち、実際に知的障害がある人が美術館に行って楽しむことができるようになることを目指している」と語り、そのためには、「私たちは文化を変えなければならない」と何度も強調していました。

4.プロジェクト “Museo per tutti” における美術館への支援活動

 このプロジェクトでは、具体的に以下のような活動を展開していました。

美術館のスタッフ(学芸員はもちろん、チケット売り場や案内係など美術館のすべてのスタッフ)を対象に約1年~1年半という長期間にわたって研修を実施する。
美術館と協力して知的障害がある人のためのガイドブックを作成する。
必要に応じてガイドブックを改訂する。
「L’abilità」のスタッフが継続して美術館にアクセスし、包括的・協働的・継続的な支援を行う。
協力美術館間のネットワークを形成し、情報共有する。

 またこのプロジェクトで大切にしていることとしては、次のようなことが示されました。

何よりも知的障害がある人の「自律」を大切にする。

 「美術館に行く前に、二つの絵の画像を見せて、どちらが見たいかを尋ねる。そして、本人がそれを選ぶ。それが自律ということ。」すなわち、「自分で選べること、それから、自分が選べるということがわかることが自律だと考える」とリーヴァ氏は述べていました。
 日本の教育では、どちらかというと「自立」に重きが置かれていますが、リーヴァ氏は、「毎週同じ作品を見たいといったら、その選択を大事にする。作品を見て説明ができなくても、何かを知りたい、わかりたいという気持ちや感情がそこにある。そうした、何かをしたいと思うことを助けていくことがこのプロジェクトの目的である」とも述べていました。イタリアの教育では「自律」への支援に力が入れられていることがよくわかりました。

5.すべての人のためのガイドブックの作成

 “Museo per tutti” プロジェクトでは、美術館と協力して、「すべての人のためのガイドブック」の作成に取り組んでいます。
 このガイドブックは、知的障害がある人も含めてすべての人が理解できることを目指して、簡潔な言語やレイアウトによる「Easy-to-read」版と絵カードを用いて表した「AAC(Augmentative and Alternative Communication)」版が用意されています。内容としては、「施設へのアクセス」と「作品紹介」の2種類が作成されています。したがって、このガイドブックは、知的障害者とその介護者、子ども連れの家族、イタリア語が困難な他国籍の人々、教師とそのクラス、高齢者など、すべての人が使用できます。
 ミラノの「ブレラ絵画館」のガイドブックは、イタリア語ですがWebサイトからダウンロードすることができます(*4)

6.おわりに― “Museo per tutti” の取り組みから学ぶこと

 “Museo per tutti” の取り組みでは、知的障害がある人の「美術館へ行きたい」、「作品を鑑賞したい」という欲求を引き出し、家族やスタッフなど周囲のサポートによって対象者が自己実現を図ることができる仕組みが準備されていました。
 以前にも紹介しましたが、国際博物館会議(ICOM)は、2022年に新しい定義を採決しました。

博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する。(*5)

 障害者の権利条約の批准以降、わが国の美術館でもバリアフリーやアクセシビリティへの対応や障害の特性に応じた鑑賞への配慮などが進んできていることは確かです。障害者や特別支援学校を対象とした教育普及活動も3割以上の施設で実施されています(*6)
 他方、“Museo per tutti” が展開しているような、インクルーシブ(包摂的)な社会の構築という観点から障害がある人もない人も共にアートを楽しむための通常の展示の在り方やガイドブックの工夫などについては、「文化を変えなければならない」ことでもあり、容易ではありません。長期的な視点に立って “Museo per tutti” の取り組みを受け止め、将来像を検討していくことが肝要かと思われます。

*1:非営利法人「L’abilità」
https://labilita.org/chi-siamo
*2:手塚千尋、池田吏志、大内進、茂木一司、笠原広一、「イタリアの美術館におけるアクセシビリティの概念に関する研究Ⅰ-非営利団体「L’abilità」によるプロジェクト “Museo per tutti” に関するインタビュー調査-」、第62回大学美術教育学会香川大会、2023年9月23日
*3:“Museo per tutti” ホームページ
https://www.museopertutti.org/
*4:ブレラ絵画館ガイドブック
「Easy-to-read」版
https://pinacotecabrera.org/wp-content/uploads/2025/01/Pinacoteca-Brera-Guida-Museo-per-tutti.pdf
「AAC」版
https://pinacotecabrera.org/wp-content/uploads/2025/01/Pinacoteca-Brera-CAA.pdf
*5:国際博物館会議による新しい博物館定義(ICOM日本委員会による日本語確定訳文)
https://icomjapan.org/journal/2023/01/16/p-3188/
*6:文化庁 令和5年度「障害者による文化芸術活動の推進に向けた全国の美術館等における実態調査」報告書
https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/shogaisha_bunkageijutsu/pdf/94037802_01.pdf