学び!と人権
学び!と人権
さまざまな人権課題にかかわって共通に重要になるテーマの二つめは、明治維新以後に注目します。現代の差別問題について考えるには、明治新政府による新しい社会づくりを抜きにすることができません。たしかに、たとえば部落差別であれば近世(江戸時代)や、さらに遡って中世(平安時代末~戦国時代)からの連続性もありますが、いくら中世や近世における差別を学んでも、それだけでは現代の部落差別を読み解くことはできないといわざるを得ません。現代の部落差別を捉えるには、明治初期の政策やその後の社会形成を読み解くことが必要です。要するに、明治維新に注目するとは、明治時代に形成された社会や政策の在り方に注目するということです。
1.ここでいう明治維新とは?
明治維新とは、狭義では、幕末期の1864年(第一次長州征伐)から明治初期の1871年(廃藩置県)までを指し、広義には、1841年の天保の改革から1889年の明治憲法(大日本帝国憲法)の制定までを指すとされます。ここでは、どちらかといえば広義の方を取り、1880年代までを明治維新と呼ぶことにします。広義とはいっても、始まりは1860年頃からと考えて書き進めます。「明治維新」という名称そのものに疑問を投げかける研究もありますが、ここでは一応そのままにします。
明治維新がなぜ起こったのか、どのように進んだのかという点についてはたくさんの研究があり著作があります。ここでは、その全体像をつまびらかにしようとするわけではありません。差別問題とのかかわりでこの時代を捉えようとすることがねらいです。
2.明治初期の課題と政策
問題意識としてあるのは、現在のさまざまな差別問題の起点となっているのが明治維新なのではないかということです。
これまでに取り上げてきたさまざまな人権課題も、多くは明治維新になってから性格が変わり、問題が大きくなってきました。この連載第8回でも述べたように、日本社会が資本主義化し、被差別部落が貧困を強いられるようになったのも、1871(明治4)年の「賤民制度廃止令」以後です。この連載第10回で触れている通り、女性差別が日本全体で本格的に強められたのは、明治時代になってからであり、その集大成となったのが1898年の明治民法制定です。アイヌ民族への同化主義的差別が始まるのも明治に入ってからであり、それが法制度化されたのは1899年の「北海道旧土人保護法」制定によります。このような歴史は、この連載第23回で述べています。さらに、連載ではまだ取り上げてはいませんが、ハンセン病患者に対する隔離や断種などの推進は明治時代になってから であり、隔離が法制化されたのは1907年の「癩予防ニ関スル件」が制定されてからです。
3.色覚多様性と明治維新
これら以外にも、明治初年を起点とする人権問題はあります。たとえば色覚多様性についての問題です。江戸時代まで、色覚が社会的に問題になることはありませんでした。色覚を問題にするようになったのも明治時代になってからです。
ご存じの通り、明治維新のころに政府が打ち出したスローガンは「富国強兵・殖産興業」です。一環として、日本では1872年(明治5年)に鉄道が導入されました。その3年後の1875年に、スウェーデンで列車事故が発生しました。9人が死亡する事故で、センセーショナルに報じられました。後にこの列車の運転手が「色盲」だったことが原因だと同国の生理学者が主張し、色盲検査が世界各国に広がりました。「色盲」というのはColor Blindnessの訳語ですが、少数色覚者に対する差別的な呼称として使われ始めました。「色を見分けられなかったから、信号の色を識別できなかったのだ」というのです。現在では、この事故には複数の原因が重なっており、仮に運転手が少数色覚であってもそれが事故原因に直結していないことがわかっています。その運転手は亡くなっており、色覚を調べる術はありません。
しかし、この事故の報道により、各国で鉄道員などに色盲検査がおこなわれるようになり、イギリスの鉄道システムを採り入れた日本でも「色盲」の人物を列車の運転手にしない方向へと進みました。当時の日本社会では、「脱亜入欧」という旗印の下、欧米に習うこと、優生保護の発想に立って物事を進めることが重視されていました。言い換えれば「劣等な者」は排除すべきだという発想が強かったということです。1909年には、「日本陸軍は色盲者を現役将校に採用せず」と規定するようになりました。「色盲」を排除するには、「正確に色盲を識別する」必要がありました。検査が開発され、1916年に眼科医の石原忍(1879~1963年)が「石原式色覚異常検査表」を完成させました。文部省は学校の身体検査で全児童生徒に色盲検査をおこなうことを決め、1921年から石原が作成した「学校用色盲検査表」(のちに「学校用色覚異常検査表」と名称変更)を使用してこの検査が始められました。こうして、すべての学校で色盲検査がおこなわれるようになりました。しかし、石原式の検査では、どんな色の感じ方をしているかはわかりません。
この検査により、かつてはさまざまな職業から少数色覚者が排除されてきました。この排除規定は、その後しだいに少なくなっていきます。2001(平成13)年になって、厚生労働省は雇い入れ時健康診断における色覚検査を廃止するとしました。職場における色の用い方を変えていくことによって対応が十分可能だからです。厚生労働省は、色覚検査をするなら、職務内容との関連の説明が必要としています。翌年の2002年になって、文部科学省でも、小学校4年生に残っていた色覚検査を廃止し、学校教員の側の指導の在り方こそが問題だとされるようになりました。ところが、2015年になると文部科学省は、以上のような経過を踏まえず、学校での色覚検査を復活させ、少数色覚者を抜き出し、その子どもたちが不適当とされる職業に就くことのないように指導することを求めました。これでは、少数色覚者の将来を学校教員がかってに制限することになりかねません。もっとも重要なのは、少数色覚者が就職差別に出合うことがないようにすることです 。
このあたりについては、元教員の尾家宏昭さんから示唆をいただいて述べています(文責は森にあります)。色覚多様性についてくわしくは、「しきかく学習カラーメイト 」というウェブサイトをご覧ください。
ここで色覚多様性を改めて取り上げたのは、明治時代が色覚問題の起点としてわかりやすいからですが、さまざまな差別と明治維新との関係をわたしが捉え直すきっかけとなったのが色覚多様性についての問題だったからでもあります。
4.現代と明治維新
1945(昭和20)年に日本は第二次世界大戦の敗戦を迎え、日本国憲法が制定されるなど、新しい社会に創り変わったと言われることが多いのが実情です。しかし、1945年の前と後とはけっこうつながっています。
まず、明治初期につくられた戸籍制度が第二次世界大戦後も存続しています。戸籍制度の是非についてはさまざまな意見がありますが、少なくとも現在の戸籍制度がいろいろな差別を助長するものとなっていることについては、大方の意見の一致があると言えるでしょう。お隣の韓国は、2008年の段階で戸籍制度を廃止しています 。
明治維新のスローガンが「富国強兵・殖産興業」だったことに触れました。江戸時代の日本では、北海道を除けば対外侵略戦争や大きな内乱はほとんどありませんでした。それが明治になってからは、10年に1度は対外戦争をするような国になってしまいました。北海道のアイヌの人たちに対する民族浄化とも言うべき政策も明治になってから本格的に推進されました。
第二次大戦後は、日本国憲法がつくられて「平和主義」「戦争放棄」が定められました。第9条では、第1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定めたうえ、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と明文化しています。わざわざ「陸海空軍その他の戦力」と記しており、素直に文面を読めば、現在の自衛隊などは認められないこととなります。
ところが、結局戦前の政治家たちが戦後も君臨するところとなり、1950年の警察予備隊から始まって、1954年には自衛隊が発足することとなりました。
財閥も解体されましたが、企業集団として再生されています。財閥と企業集団との共通性と異質性 もさまざまに議論されているところです。しかし、企業集団が、戦前の財閥と同様に、中小企業を傘下に置き、強い立場で日本経済に影響を及ぼしているという点での共通性は言を俟たないと言えます。
このような点で、現代の日本社会が抱える問題は、明治維新以後の歴史を整理することによって、初めて明確に把握できるようになると言えます。もちろん、日本史のなかで近世以前の歴史は重要ですが、現代日本について考えるうえでは、明治維新以後の歴史の方がはるかに重要です。さまざまな差別についても、明治維新の諸改革によって始まったり、強化再編成されたりしたものがほとんどです。同時に、諸差別に対する反対運動も、明治の諸改革や諸政策に反対する形ですすめられました。ですから、明治以後の歴史をていねいにおさえることが、現代の諸差別にとりくむうえでもたいせつです。
5.明治維新以来の課題を克服するために
明治維新以後の日本史を整理するうえで、第1のポイントとなるのは、すでに述べてきた明治維新の諸改革と諸政策です。それにより、現代につうじる差別の背景が浮き彫りになります。第2のポイントは、大正期を特徴とする明治時代の政策に対する反対運動をおさえることです。さらに、第3のポイントは、第二次世界大戦後の諸改革でしょう。第二次世界大戦後の諸改革が、明治時代からの社会の在り方とどのように断絶しており、あるいは同質性をもっていたのかを考える必要があります。第4のポイントは、高度経済成長以後の日本社会の在り方です。
【参考・引用文献】
- 厚生労働省ウェブサイト「わたしたちにできること~ハンセン病を知り、差別や偏見をなくそう~『歴史から学ぶハンセン病』」
- しきかく学習カラーメイトウェブサイト「少数色覚児童生徒の進路指導はどう進めればよいか」(YouTube)
- 伊藤順子氏(ライター)「韓国が、男女差別の根源だった「戸籍制度」を一気に廃止した理由」(2022.2.6 PRESIDENT Online)
- 「【企業集団とは】意味から財閥との違いまでわかりやすく解説」(2020.11.17 リベラルツアーガイドウェブサイト)