学び!とPBL

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OECD東北スクール②
2018.09.20
学び!とPBL <Vol.06>
OECD東北スクール②
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.無数のハードル

 OECD東北スクールプロジェクトは華々しくスタートはしましたが、すぐに壁にぶち当たります。その数も一つや二つではなく、一つの壁の厚みもかなりのものでした。ざっと思いついただけでも以下のようなことを挙げることができます。

①まず、震災後の混乱の中で1月に実施を決め3月に第1回スクール実施と、準備期間が極端に少なく、参加者間で目的を十分に共有することができず、それぞれの理解で集まってきただけでした。この根本的な問題は最後まで影を落とすことになります。

②組織体制も曖昧で、OECDが音頭を取ってくれるものと思っていたら、オーナーシップは日本側でということになり、いつの間にやら福島大学が主催者を引き受けることになってしまいましたが、運営事務局は相変わらず2名と、その準備は全くできていませんでした。

③本省から下りてきた運営資金はプロジェクトのプロセスには使えるものの、パリイベントの経費は自分たちで調達するというのが条件でした。1億円という絶望的な額の資金を、どう調達するのか全く見通すことができませんでした。

図1 未来のイメージを表現するワークショップ

④学校や教育行政に根ざしたプロジェクトでしたが、日本の教育文化とOECDから要求される教育の質の間には大きな開きがあり、主催者は常に板挟み状態となりました。日本は形を重んじる、OECDは実質のみを評価するという具合に。

⑤当然のことながら生徒や教師はそれぞれの学校生活があり、それぞれルールに縛られています。年度末には教員の人事異動があり、生徒は高校受験や大学受験、進学があり、年度を跨いだプロジェクトを進めることで、常に学校との間で摩擦が生じました。

⑥最終的には9つの地域が参加することとなりますが、参加のしくみや進め方もまちまちで、温度差がありました。ICTを使って物理的な距離を超える、とはいったものの、実際には物理的な距離は様々な誤解を生むこととなります。

 いまふり返れば、これらの問題は物事を変えようとする場合に必然的に越えなければならないハードルでした。生徒の問題解決能力を身に付けさせるプロジェクトで、問題解決能力を一番身に付けたのは、私たち大人自身でした。

2.立ちあがるリーダーたち

図2 震災からの心の動きを曲線で表現する

 第2回集中スクールでパリイベントの企画案をまとめることができなかったことから、集中スクール以外にもリーダーを集めて定期的に会議を開催して遅れを取り戻すこととなりました。大人と生徒を別に行うのも煩わしいので、リーダー会のほとんどは生徒と大人の合同会議となりました。このプロジェクトは、生徒の能力を高めるのと同じくらい、教員ら大人も変わることを重視しており、この二つが相互に影響を与え、プロジェクトの質を高めていくものと考えました。その意味では、この合同リーダー会議はとても重要でした。
 集中スクールのワークショップで、生徒たちが時間を守らず、予定した時間内に考えをまとめられなかったのを、ファシリテーターから厳しく指摘されました。すると「もう一度チャンスを下さい! 自由時間も返上します!」と懇願してきた生徒グループが現れました。また、東北の祭には「例外なく死と再生の哲学が入っていること」などを知った生徒たちが「自分たちは何も知らなかったんだ……」としみじみと語りました。困難に直面する度に生徒たちの変化が見えだし、リーダーグループが少しずつ頭角を現すようになってきます。

図3 生徒大人合同リーダー会の様子

 そこには、東北以外のチームも大きな役割を果たしました。東北スクールにははじめから東北の外の東京チーム、奈良チームも参加していました。当事者である東北の生徒だけでは自分たちの状況を突き放して見ることができません。「よそ者」の視点から、東北の意味や課題を見つけ、東北に学びつつ的確にサポートしてくれる外部者が必要でした。この、「何でもかんでも自分たちでやろうとしない、外に助けを求め、巻き込んでいくこと」は、日本の教育文化にはありませんが、プロジェクト全体を通して最も大切な教訓といえます。
 参加生徒たちには賛同企業から貸与されたタブレットが手渡されました。生徒はSkypeやFacebookなどを駆使し、頻繁にコミュニケーションを取るようになり、プロジェクトの形が少しずつ見えるようになってきました。

3.わずかな、確実な前進

 いつまでたっても自分たちで行動を起こすことができないでいた生徒たちに、2012年末に二つの出来事がありました。一つは、文科省等が主催するサッカーのチャリティーマッチに東北スクールが招待され、そこでJリーグ選手らからたくさんのチャリティーグッズをいただきました。これをネットオークションにかけ、初めて自分たちで資金をつくりました。
 もう一つは、大手衣料メーカーで初めての資金調達のためのプレゼンテーションを行い、6000枚ものTシャツの提供を約束され、初陣を飾りました。加えてその場で、その企業が主催するアイディアコンテストに参加を促され、わずか1週間でプランをつくり提出したところ、670アイディアの中で4位という信じられない成果を収めることができました。

図4 伊達チームのゼリー開発をOECDのシュライヒャー氏が激励

 福島県の伊達市は特産品が果物でしたが、原発事故による放射能汚染、風評被害により出荷できない状況となっていました。伊達チームの生徒の祖父が、手塩にかけて育てた柿を捨てているのを見て「自分たちの手で何とかできないものか」と考えたことがきっかけとなって、JAと協力して果物ゼリーを開発することになりました。生徒たちは何度も何度もJAと交渉し、パッケージも自分たちでデザインして完成させ、販売にこぎ着けました。生徒たちの取り組みは地元の多くの大人たちを勇気づけ、いくつものマスコミに取り上げられました。
 生徒たちは、少しずつ成功体験を積み重ね、自分たちの足で前に進み始めたのです。

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