読み物プラス
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[特集]教科書になる道徳
柔軟な指導者でありたい
リオデジャネイロオリンピックでは、選手たちの努力が実り、全階級でメダルを獲得することができた。しかし、反省点は多々ある。メダルの色をもっとよい色にできたのでは……という心残りは、2020年の東京オリンピックで晴らさなくてはならない。リオの余韻に浸る間もなく、新たな大舞台へ向けての挑戦が、すでに始まっている。
柔道は嘉納治五郎先生によって創始された武道であり、特にオリンピックでは日本の選手の金メダル獲得を期待できる競技として、長年大きな注目を集めてきた。しかし、近年では海外の選手の活躍も目覚ましく、従来の練習法や指導法だけではメダルを獲ることがどんどん難しくなってしまった。
現役生活を引退後、柔道の指導者となる道を選んだ私は、日本オリンピック委員会の計らいで海外留学を経験し、世界でどんな柔道が行われているのかを研究することができた。
日本の相撲のように、外国には外国の、その国に古くから伝わる国技とも言える格闘技がある。海外の指導者は、選手たちになじみのあるこのような格闘技の特長を柔道へうまく取り入れていた。そのため、日本の柔道しか知らないと、海外の選手に対応できなくなってしまうのだ。
柔道は今や世界中で行われているのだから、その国ならではの戦法が生まれるのは、考えてみれば当たり前のことだ。それを研究して克服する方法を考えていかなければ、いくら日本で生まれた競技だといっても、勝ち続けていくことは難しい。
私は留学中、疑問に思うことがあれば、海外のコーチに対して積極的に質問をした。世界と対等に渡り歩いていくためには、まずは相手を知る必要があると考えたためである。
外国との比較だけではない。昔と今とでは柔道のルールも大きく変化している。また、社会の情勢も違う。今の時代だからこそ活用できるものは生かし、よいと思ったものは認めて柔軟に取り入れていくこと。この柔軟性が、監督としてとても重要なことだと思っている。
柔道を通して学んだこと
とはいえ、礼儀を重んじる古くからの柔道のスタイルを否定するつもりはない。
私は柔道を通して生きる力を学んできたと思っている。何事も続けていると、どうしても壁にぶつかるときがくる。それに負けずに立ち向かっていくことで、自己を成長させていく術を身につけてきた。これは、何もスポーツ選手に限ったことではない。誰でも人生において、辛いことや苦しいことがあるはずだ。そういうことにどう立ち向かって乗り越えていくか。これが生きる力だと私は考えている。
選手が不調なときには、課題を明確にするように伝えている。何がよくないのか漠然としたままで繰り返していても、状況は変わらない。まずは原点に戻り、角度を変えて取り組んでみる。これは、なかなか勇気のいることだ。変化をつけると、最初はうまくいかず、どうしても失敗してしまう。しかし、これをおそれてはいけない。この失敗の中から不調を乗り切る鍵を発見できるのだ。
私は指導者として、新たなことにチャレンジして失敗している選手については、大いに励まし、その努力を認めるように心がけている。
現役時代、私も不調に悩まされたことがある。勝たなくてはいけない、強くなくてはいけないという、見えない何かに追い詰められているような感覚にとらわれていたとき、今は亡き母からの手紙にあった「初心」という言葉が私を救ってくれた。
―そうだ。柔道が好きだから、今まで続けてきたんじゃないか!
柔道が好き。これが、私の「初心」だった。母が残してくれたこの「初心」という言葉は、今も私の座右の銘である。
親子のコミュニケーションと感謝の気持ち
私は5歳の頃から、父が指導者である道場に通っていた。今にして思えば、父はわが子を柔道家として育てたいというよりも、柔道を通して親子のコミュニケーションを築く時間を取りたかったのかもしれない。
こうした中で、自然と礼儀の大切さを学び、その経験が友達の家へ行ったときの挨拶へつながるなど、人間力の礎となる部分を鍛えられていったように思う。
選手たちにも、柔道だけ強くなればよいのではなく、人間力を高める必要があることを述べている。誰しも、自分ひとりの力はたかが知れている。
周囲の人々のサポートがあってこそ、競技に打ち込むことができるのだ。それを念頭に置き、周囲への感謝の心を忘れないようにしたいと、私自身も常々心がけている。
現在、7歳の長女と6歳の長男が遊び感覚で柔道を始めている。楽しみながら体を鍛えてくれればくらいに思っているつもりだが、近くで見ているとついつい熱が入り、声が大きくなってしまうのが困りものだ。
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井上 康生(いのうえ こうせい) |