学び!と歴史

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内村鑑三がみた日本列島
2015.05.22
学び!と歴史 <Vol.87>
内村鑑三がみた日本列島
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 吉田松陰は、日本列島の容姿を蝘蜒委蛇(えんえんゐい)となし、「常山の蛇」によせて国家のあるべき政略を論じました。蛇とみなされた列島像は、内村鑑三にとり、「海の端に国があり名を扶桑、俗は風光に与り皆雅でゆったりとして美しい、万古雪を含む富士山頂」云々と日本の地理的景観を讃美し、日本帝国が「蜻蜒洲」なる名称でよばれていると紹介し、その麗しさを讃えてやみません。

日本列島の容姿

 内村は、日清戦争前夜の1894年(明治27)5月に『地理学考』(1897年に『地人論』と改題)を刊行、「日本の地理と其天職」で、「蜻蜒洲」なる名称が次のような列島の構造からきたものだと説きます。

其南北に長くして東西に狭く、中央に太くして両端に尖縮するの状、渠の脈翅虫に類似する処あるが故に若か称せしならん。其頭部は能登半島とせんか、其背部隆起する所を甲、信の高地とせんか、其腹と尾とは伊豆半島にして大島八丈として海に尽る所とせん、其右翼は東北三道并びに北海道にして、其左翼は関西西南の地と見做さん、その後翅後縁に刻入のあるは東海の浜に屈曲港湾多きを示さんか、翅脈に縦横あるは我国山脈の方向を示すが如し、前後両翅の分るゝ所は西南に内海、東北に青森湾のあるが如し、余は実に蜻蜒洲の名を愛するなり、吾人の祖先は卓見なりし、彼等は能く脈翅虫類の構造を極め、帝国地形の概略を示せり、吾人開明に進める彼等の子孫は此詩歌的の名称を廃すべからざるなり。

天女の如き日本国の使命

 日本列島の構造は実に詩的ともいえる世界として描かれています。このような列島の容姿は、「日本国を天女に擬せん」と、天女とみなされます。その容姿は次のようなうるわしい姿だとみなされたのです。ここには、欧米列強に立ち向かわねばならない日本という国に生まれた者として、日本によせる強き愛が奏でられています。

若し日本国を天女に擬せんか、窈窕たる彼女の仙姿は大陸に背し大洋に面し、高麗半島の尽きる辺より加察加(カムサツカ)の南角に至る迄大洋面を掩ふが如し、彼女は頭を北海に擡げ、胸を東北の山野に持し、腹を関東の郊原に据へ、富士山帯を以て帯せられ、尾濃の原野を下腹となし、畿内に下肢となり、山陰山陽の一足を後にし、南海西海の他足を前に進むるが如し、彼女は旭日に面し夕陽に背す、東向して望むが如し、西背して弱者を擁するが如し、彼女の麗姿に声あるが如し、耳あるものは焉ぞ聞かざるを得んや。

 内村は、このように東から昇る旭日に面を向け、夕陽を背にした美しい姿である日本への想いをはせ、嘉永癸丑のペリー来航を「西洋文明の西漸」となし、西洋文明が大西洋からロッキー山脈を横断し、カリホルニアに達し、太平洋に及んできた景観を論じます。それは、イギリスにはじまる産業革命の波動が中国から日本に及び、世界資本主義の環がアジアにもたらした衝撃にほかなりません。日本は、この衝撃に対峙し、「西背して弱者を擁する」想いで中国・朝鮮を位置づけたのです。

日本の天職

 日本は、「支那印度を学び尽」した「同化力」で欧米を吸収し、「其東洋的の脳裡に蓄ふるに西洋的の思想と精神とを」消化し、「西隣未だ一尺の鉄路」を持たないのにもかかわらず、「鋼鉄路の文明」をもち、太陽暦を採用し、「三十年間にして日本は東洋国ならざるに至れり」となし、その立ち位置を「東西両洋の合同」として次のように論じます。

 西隣未だ自由の一声をも揚げざるに、釈迦の印度は属隷国の恥辱に沈み、孔子の支那は満洲掠奪者の占有物たるに際し、亜細亜の日本に已に欧米的の憲法ありて自由は忠君愛国と共に併立し得べしとの証例を世界にあげぬ。
 日本をして米亜の文明に接せしめしものは無論其地理学上の位置に依れり、之をして亜細亜的の統一に耐へしめしものは其軸脈の南北して一国の統御を易からしめしが故なり、而して西洋主義の輸入に会して直に之に応ずるに至らしめしものは東西の横断脈ありて統一の下にありて已に自治割拠の制に馴致せしが故なり、東洋的の君主主義も我に施し得べし、西洋的の自由制度も我は施行し得べし、我の制度は両洋に則れり、南隣若し西洋を学ばんと欲するか、必らず我より之を学ばん、東隣若し東洋の長を取らんとするか、必ず我に於て之を認めん、両洋我に於て合す、パミール高原の東西に於て正反対の方角に向ひ分離流出せし両文明は太平洋中に於て相会し、二者の配合に因りて胚胎せし新文明は我より出て再び東西両洋に普からんとす。

 内村は、「二者の配合に因りて胚胎せし新文明は我より出て再び東西両洋に普からん」と説かれた東西両洋を結びつける世界として、1907年の「初夢」に認めています。それは、富士山頂に降りた「恩恵の露」が全世界をおおいつくしていくというもので、日本のキリスト者鑑三の信仰が吐露されています。この壮大な夢は、「外交政略論」に重ねて読めば、「八紘一宇」なる世界につながるともみなせましょうが、どのように読みますか。

恩恵の露、富士山頂に降り、滴りて其麓を霑し、溢れて東西の二流となり、其西なる者は海を渡り、長白山を洗ひ、崑崙山を浸し、天山、ヒマラヤの麓に灌漑ぎ、ユダの荒野に到りて尽きぬ、その東なる者は大洋を横断し、ロツキーの麓の金像崇拝の火を減し、ミシシピ、ハドソンの岸に神の聖殿を潔め、大西洋の水に合して消えぬ、アルプスの嶺は之を見て曙の星と共に声を放ちて謡ひ、サハラの砂漠は喜びて蕃紅の花の如くに咲き、斯くて水の大洋を覆ふが如くエホバを知るの知識全地に充ち、此世の王国は化してキリストの王国となれり、我れ睡蓮より覚め独り大声に呼はりて曰く、アーメン、然かあれ、聖旨の天に成る如く地にも成らせ給へと。