学び!と歴史

学び!と歴史

日本語と国語
2015.05.26
学び!と歴史 <Vol.88>
日本語と国語
―その精神の位相が語りかけるもの―
大濱 徹也(おおはま・てつや)

承前

 日本列島は、亜寒帯から亜熱帯におよぶ弓状列島で、その姿を吉田松陰が蛇に、内村鑑三が天女に喩え、国の使命が語られております。このような列島のありかたは、各地域に固有の暮らしから生まれてきた文化があり、生活の場がもたらす地域的偏差をもたらし、地域によって話す言葉がことなりました。このことは、Vol.84「徳川の平和」で紹介しましたように、大坂郊外の住吉で在所の子供に手習い教授をはじめた奈良育ちの老人が村の童と言葉が通じないがため、謡を習ったという一事にもみることができます。
 ちなみに明治期の北海道では、各地からの移住者間で話が通らない場合、謡曲の節回しで会話をすることがみられた、と老人がかたってくれました。琉球奄美、薩摩大隅から松前、津軽、南部、西南日本と東北日本の間にある言葉の落差をうめ、この地域固有の言葉を「方言」となし、列島に共通する言葉の「標準語」をつくることは、列島の住民をして、「日本国民」にする上で不可欠な作業でした。ここに国語の造型がはじまります。

日本語とは

 日本列島の住民が共有する言葉を日本語とすれば、日本語とは何でしょうか。中華文明の圧倒的影響下にあったヤマトー日本は、漢字を学び、この表意文字で文章を書き、意思を表現しました。漢字こそは、「真名」と称されていますように、古代国家における公的世界の公的言語でした。それ以来というもの日本の公的な文書は漢字で表記されたのです。
 平安時代には、この漢字を借用し、「かな」文字による表現がはじまり、漢字では表現できない心の動きを書き表わせる和語が成立し、『源氏物語』などの文学作品や和歌がさかんになります。ここに用いられた和語は、公的世界の言葉が「真名」文字である漢字であるがため、「かな」仮の言葉でしかありませんでした。平安時代以降は、和語であるかな文字が普及し、「いろは」を学ぶなかで庶民の識字力がたかまります。
 明治維新による日本の近代化は、西洋文明を受け入れるため、外国語を「カタカナ」で表記することで、西洋の知識文物をとりこんでいきました。かくして日本語は、漢字、ひらがな、カタカナの混合した世界で、言語としての機能を果していきます。まさに近年の言語様式は、国際化の流れにのみ込まれたがため、カタカナ語の氾濫となっています。このような日本語の在り方には、国語という科目が現代文、古文、漢文で構成されていますように、外来文化を摂取し、自家薬籠とすることで己の文化を造型してきた列島住民の相貌が読みとれましょう。
 それだけに明治日本は、列島住民が日本国民として一つにするために、地域的な固有性をおびた日本語をして、国民が共有しうる言葉としての「標準語」を「国語」として確立せねばなりませんでした。とくに軍隊は、命令伝達をするためにも、兵隊同志の言葉が通じなくてはなりません。そのためには、標準語が未確立であるため、軍隊固有の「兵語」ともいうべき軍隊用語をうみだします。そこでは、和語がもつ地域的偏差をのりこえるために、漢字の音読みがつかわれました。「誠心」を「せいしん」、「正直」を「せいちょく」、ズボンを「袴(こ)」、スリッパを「上靴(じょうか)」、洗濯物を干す「物干場(ぶっかんば)」、靴下を「軍足(ぐんそく)」等々と。いわば地域ごとにことなる呼称は、漢音読みをすることで、世界の共有がはかられたのです。

国語への思い

 日本の言語学、国語学の開拓者上田万年は、列島の住民が日本国民として一つ世界を共有するために、「大和民族」としての言語、国語の確立が急務の課題となし、日清戦争で昨日「平壌を陥れ、今日又海洋島に戦ひ勝ちぬ。支那は最早日本の武力上、眼中になきものなり」という強い戦勝意識のおもむくままに、1894年(明治27)10月8日に哲学館(現東洋大学)で「国語と国家と」なる講演をし、国語によせる強い思いを高らかに問いかけました。

 日本の如きは、殊に一家族の発達して一人民となり、一人民発達して一国民となりし者にて、神皇蕃別の名はあるものの、実は今日となりては、凡て此等を溶化し去たるなり。こは実に国家の一大慶事にして、一朝事あるの秋に当り。われわれ日本国民が協同の運動をなし得るは主としてその忠君愛国の大和魂と、この一国一般の言語とを有つ、大和民族あるに拠りてなり。故に予輩の義務として、この言語の一致と、人種の一致とをば、帝国の歴史と共に、一歩も其方向よりあやまり退くかしめざる様勉めざるべからず。(略)
 言語はこれを話す人民に取りては、恰も其血液が肉体上の同胞を示すが如く、精神上の同胞を示すものにして、之を日本国語にたとへていへば、日本語は日本人の精神的血液なりといひつべし。日本の国体は、この精神的血液にて主として維持せられ、日本の人種はこの最も永く保存せらるべき鎖の為に散乱せざるなり。故に大難の一度来るや、此声の響くかぎりは、四千万の同胞は何時にても耳を傾くるなり。何処までも赴いてあくまでも助くるなり、死ぬまでも尽すなり、而して一朝慶報に接する時は、千島のはても、沖縄のはしも、一斉に君が八千代をことほぎ奉るなり。もしそれ此のことばを外国にて聞くときは、こは実に一種の音楽なり、一種天堂の福音なり。

 まさに国語は、「帝室の藩屏、国民の慈母、国民の血脈」と位置づけられることで、日本国民の精神的紐帯とみなされたのです。この国語が負わされた使命こそは、一民族一国家一言語という「神話」を信仰し、日本国民の物語を説き聞かせ、列島がもつ多様性と多義性を無視する精神の営みを育んだものといえましょう。この営みこそは、異質な存在を排除し、己の世界観を絶対視する偏狭なナショナリズムを生み育てた根ではないでしょうか。それだけに国語に対峙する日本語への眼を自覚的に問い質したいものです。