学び!と美術

 テレビ番組の多くは司会役と参加役に分かれています。司会の進行にそって、ひな壇や解答席などに座る参加役が、答えを間違ったり、笑ったり、時に涙ぐんだりします。でも最終的には「ガッテン!」という「あらかじめ想定された答え」に行きつきます。
 一方、ギャラリートークはそういきません。最初から決まっている「答え」を目指すのではなく、参加者自身が活動を通して変化することがねらいです。進行役が想定していない意見や考えは歓迎されます。対話の中で作品について思いもしなかった解釈が生まれることもあります。
 テレビ番組で例えれば「ブラタモリ」のような感じでしょうか(※1)。ゆるやかなテーマのもとにブラブラと歩き回り、そこで何か見つけたり、地域の専門家と対話したりします。その過程で、何気ない道の段差や斜面の穴などが新しい意味をもち始めます。
 先日、ある美術館で行ったギャラリートークもそんな感じでした(※2)。依頼内容はとても緩やかで活動はお任せ、「時間は2時間、会場も小さいのでお客さんは多くて10名、役場の職員や学校の先生などが集まるはずです」。展覧会は大好きな「岩崎永人」。流木を用いて人体などをつくっている作家です。
 好きにやってよし、しかも大好きな作家とくれば、私の方程式としては「ブラタモリ」です。参加者と一緒にブラブラと館内を歩きまわりながら対話を楽しみ(※3)、状況に応じてアクティビティを取り入れます(※4)。何か生まれればそれでよし、うまくいかなかったら「ごめんなさい!」で……。

① テーマ

 行き先も分からずに、作品と対話するのは苦手なので、最初に緩やかなテーマを決めることにしました。「我々はどこから来て、どこに向かうのか考えてみましょう」と提案しました。岩崎さんの作品は、何か私たち自身の在り方について考えさせてくれると思ったからです。本当のところは、最近見た映画「ブレードランナー2049」のせいかもしれません(※5)……「人間とは何か」を問うテーマだったのです。

② 導入

 最初のアクティビティは、緊張している心をほぐすことが目的です。岩崎さんの風景画も展示してあったので、テーマに関連させて「あなたの原風景は?」としました。「空を見上げた記憶」「祖母の庭」「稲刈りの風景」「田んぼの小川で遊んだ記憶」などが返ってきました。自分自身との関わりから鑑賞する気持ちにはなってくれたと思います。
 次に、岩崎さんの油絵について語り合いました。風や匂いに関わる発言が出て、視覚だけでなく他の感覚を呼び起こすことにつながりました。ただ、この場面は参加者に「何をいっても認められるのだ」という雰囲気をつくることが何より大切です。作品解釈に深入りせず、早々にメイン会場の2階に向かいました。

③ 展開

 2階には8体の作品がフロアに並んでいます。しばらく見た後、一つの作品を取り出し、少し意見を聞いてみました。
 「目は表されていないのに、作品と視線が合います」。中学生の鑑賞会でも同じような意見が出ていました(※6)。「視線が合う」とは、「自分が見られている」、つまり自分を見つめることかもしれません。
 作品の中心を指さして、「中に何が入っているのでしょう?」という発言もありました。私は知っていたので、すぐに「骨のように芯材の枝が入っています」と答えました(※7)。すると「そういうことではなくて、この人の意思とか、作り手の思いとか……」なるほど、作品の中に入り込んで考えているのですね……。
 「自分を見つめ」「作品の中に入り込んで考えている」のであれば、一つの作品で話し合うよりも、自分の好きな作品と対話した方がよいでしょう。2階に上がったときに、8体のそれぞれに向かって参加者が近づいていく様子もありました。そこでトークをやめ、定番のアクティビティ「どの作品が一番好きですか、その理由は?」に切り替えました。
 結果は興味深いものでした。例えば「私はこれです」「理由は?」「一緒に踊るのにちょうどいいからです」。奥様と社交ダンスをやっている役場の方でした。作品と一体化し、運動感覚を働かせているのでしょう。
 同じ作品に対して「これなら勝てそう!」という参加者もいました。「えっ……なぜ?」「私より身長が小さいから……」なるほど、日々自分と戦っているのかなあ……。
 「私はこれです、唯一上向いている作品で、何か前向きな印象があります」。作品の視線を追う発言で、最初の発言「視線が合う」の発展のようです(※8)。作品の前向きさを自分自身と比べているように感じました。
 作品を通して自分を語る意見が多かったのですが、「塗料を塗っているのに『塗った感』がない」「こんなにたくさんの流木をどうやって集めたの?」(※9)など表現方法や制作過程に興味を持つ人もいました。様々な意見をまとめるのは難しいと感じたので、無理に結論付けず、一階に降りることにしました。
 降りていくと、ちょうど出口の手前に、二体が落ち葉を拾いながら対話しているような作品がありました。そこで「ふきだし」のアクティビティを思いつきました。「この二人は何をしゃべっていると思いますか?」。すると「枯れ葉を拾いながら、木は土から栄養をもらって、花や葉、そして実をつけます。でも、葉は枯れ、落ち、そして土に帰ります。私たち生物はすべて同じで、結局は土から来て、土に帰る、の連続です」。少しテーマに近づいたようです。

④ 終末

 展示会場から出た後、一人ひとりに感想をまとめてもらいました。ここで、参加者は鑑賞を通して深く考えていたことが分かりました。
 「晩秋に 流木見つめ 起結問う 土から生まれ 土に帰すなり」。今回のトークは人間の起結を問う内容で、作品から輪廻転生的な意味を感じたという短歌です。短歌にしたのは、この美術館が万葉集の石碑が配置されている公園(※10)に設置されているからです。参加者は、作品だけでなく、美術館の場所からも考えていたのですね。
 その他「大地に返って、芽となり木となり、枝となり、それの繰り返し」「自分、子ども、孫と続いていく営み」「答えを見つけ出そうとする日々の繰り返しこそが答え」など生命や世代の連鎖、人生の意味に関する感想もありました。

 

 成り行き次第のギャラリートーク、参加者が全身の感覚を働かせながら感じ、考え、対話し、何かしら新しい発見をしてくれたのであれば幸いです。少なくとも私は、岩崎さんの作品に対する見方が変わるという成果を得ました。始まる前は、自然としての人、朽ちる時間、環境などだろうと漠然と考えていましたが、生命の輪廻や世代を超えた人の営みまで感じることができたのです。
 美術館での鑑賞活動は、単なる作品解釈や学力育成ではありません。自己、社会、歴史などに広がって自分の生き方や経験を再構成し、新たな問いを生み出すものだと思います。今回もそんな実感が味わえた「美術館で『ブラタモリ』」でした。

 

※1:あくまで個人的な喩えです。「ブラタモリ」も構成や脚本、念入りな準備が行われているはずです。
※2:「大衡村ふるさと美術館」。地元作家菅野廉の記念絵画を常設展示しています。近年「何でぇーマンホール展」などの意欲的な展覧会で来館者を増やしています。
※3:進行役は作家や作品に関する知識が必要です。ただ初めて出会う作品ばかりなので、同行する美術館の方を頼ることにしました。ずるい?かな。
※4:まあ、こういうと格好がつきますが、自分のできることは知れてますので、居直りかもしれません。もちろん、手駒を増やす努力は必要ですが…。
※5:そんな理由でいいのでしょうか?いいと思います(^^)
※6:「目がないのに、どこかを見つめているようで不思議でした」大衡中学校「美術通信」2019.11.4 そのほかに「見る角度を変えると表情が変わっているように感じました」というのもありましたが、同様の発言が参加者からありました。
※7:ちょうど館の方に教えてもらったばかりで…(恥)。
※8:これも中学生が感じていたことでした。「上を向いている人をスケッチしていると、作品の感情も見えてきて、前向きに明るい未来を見つめているように見えました」前掲註6 スケッチや模写は作品との対話の手段として考えることができます。
※9:一つ一つの流木は、もとは大きいのですが、山梨の山々から富士川に流れ、海に流れ着くまでもまれて、削られて小さく形成されたものです。岩崎さんは、これを山のように集めて、そこから一つ一つの形や色を吟味して作品をつくっています。
※10:「昭和万葉の森」。万葉集に詠まれる草木を通して、歴史・文化・自然・科学等が学べる森林公園です。園内には万葉集の歌を刻んだ石碑や、万葉茶屋、パークゴルフ場、わんぱく広場などがあります。