学び!と歴史

承前

 昨今話題となったマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙サイレンス』は遠藤周作の作品を映画化したものです。私は、神々が宿る国日本におけるキリスト教の受容とは何かを問いかけた遠藤の作品をして、キリスト教国の人間がどのように描くかに興味がありました。しかし遠藤が己の信仰をかけたとも言える作品は、キチジローを狂言回しとした一種の道化芝居とも言うべき映画になっていたのではないでしょうか。フランスの友人からはローマ教皇がキチジローの姿に笑いだしたとの手紙をもらいました。世間がこの映画をどのように評価したか寡聞にして知りませんが、禁教下で生きたキリシタンの信仰をここで確認し、信仰に生きるとは何かを考える一助にしたいと思います。

Ⅱ)コンフラリアの相貌

 キリシタンは、秀吉から家康、さらに家光へと、踏絵、宗門人別帳、キリシタン類族帳等々による徹底した禁教体制下で生きねばなりませんでした。この体制下にあってもキリシタンは、先祖伝来の信仰としてデウスの信仰に生き、開港後にその存在が発見されました。そこには、厳しい迫害に耐えて生きるべく、同心協力の講組が結成されていました。ルイス・フロイスは、1592年10月1日付年報で、次のようにキリシタンの姿を報じています。

奉教人たちは迫害いよいよ進みしに拘わず、各地においてその勇気を保持したり。そのため彼らは一種の組合を作り、毎日曜日に信者たち団体またはあちこちの家に集まり、アニマ(霊魂)のために勤め、数時間を費せり、即ちスピリッアルの書を読み、また語り、一斉にオラショをなし、キリシタン宗門のため、またパーデレなどの聖教恢復のためデウスに祈り、主なる祝日を祝い、またクアレズマの金曜日には身を苛めて、聖週の日には血を流すに及べり。それらの暦日はよく心に止めたり。暦は既に日本語にて印刷せられてありたり。都にはこれらの組合七、八つあり。婦女子たちも亦男子とは別に集会し、またかかる方法にて信仰を保ちたり。而してこの勤行をよくするため、御主デウスは各地に熱心なる奉教人を作りたまえり。彼らはこの組合の頭として他の奉教人たちの尊敬と愛とを受けたり。彼らのうち、ある者は才能ありて説教し、また『どちりなきりしたん』を教へたり。唯信徒を助けるためならず、またこの説教を聴き、その回答を習いて新に宗門に入るもの年に甚だ多し。

 このような信仰共同体は、1559年(永禄2)に豊後府内で結成された慈善救貧施療をなすミゼリコルジャの組をはじめとし、1604年(慶長9)有馬で「お告げの組」、05年京都の「サンタマリアの組」、久留米に「お告げの組」、06年に肥後八代に「ミゼリコルジャの組」、07年長崎に「イエズスの聖名の組」、10年「長崎聖母被昇天の組」、平戸に「サンタマリアの組」、さらに長崎には11年「至聖聖体の組」、「聖ミカエルの組」、12年江戸に「ロザリオの組」、長崎に「アウグスチノ・コルドンの組」、13年有馬に「マルチリヨの組」、江戸に「セスタ講」等々と、キリシタンが所在した各地に結成されて行きました。

Ⅲ)組の目的と構成

 この組は、デウスの保護により、イエスの福音を伝え、「組衆各々の利益のみならず、まことのあにま(霊魂)のたすかりの世話のため、並びにきりしたんだあでの導きのための抉けなり。これによりてきりしたんは諸々の班と組とに分たれ、万事に於いて益々よく、容易く助けと導きとを見出すことを得るなり。これにより迫害の時に方りてまことに唯一無頼の利益を生きるものなり。」と位置づけられていました。
 その組織は、同一地方を統括する地域の名称を付けた親組、その下に500-600人で構成された祝日名かサンタマリアの連祷のなかの語句を尊称とする大組、さらに50人の男からなる小組から成っていました。妻子や未婚の男女は家主・地主の組数に入ります。そこには大親・小親(組親)がおり、その下に惣代、「慈悲のぶんぐこ」といわれる組員の面倒をみる慈悲役という年柄の女がおり、組員をまとめ、物心両面でささえていました。
 組員には、「四つの祈り、即ち、はあてるのうすてる(主祷)、あべまりや(天使祝詞)、けれど(使徒信教)及び十のマンダメントス(十戒)」を遵守し、さらに「組に於いて堪忍叶はざる科」という掟が課されていました。

1、ただしからざる方法により、また至当なる穿鑿なく人を殺すこと。
2、予めこんひさん(告解)をなすべき機会を与へず、或はきりしたんに非る場合、予めひいでず(信仰)を教へばうちすも(洗礼)を授からしむることなく、人をころすこと。
3、生るるに先立ち、また生れたる後子を殺すこと。
4、公にひろめありたるゑけれじや(教会)に於いてまちりもによ(婚姻の秘蹟)を受けず結婚すること。
5、夫婦の如く公然と同棲すること。
6、遊び者とて評判悪しきこと。
7、正当なる妻を離別すること。
8、きりしたんなる少年少女をぜんちよ(異教徒)に売ること、わけても海を越えてぜんちよの国々へ送ること。
9、てかけとなし、また金を儲くるために、己が娘を他人に与ふること。
10、己が家を姦淫の場に供すること、また他の者に此の職業を営ましむること。
11、公然の不和、またゑすかんだろ(躓き)の種子となるべき不和。
12、えけれじやに対し公然おべぢゑんしや(従順)を拒むこと。
13、二度三度組親または役人より諌めを受け、終にははてれよりも諌められたる後も、これに耳をかし、科を改むる意志なきこと。
14、ひいですを表すこと弱く、たとへ表のみなりともぜんちよに譲ること。

Ⅳ)信仰に生きるということ―蓮如が問い語る世界

 このような信仰の世界は、キリシタンのみならず、15世紀に蓮如によって各地に組織された一向門徒にもみることができます。蓮如は、越前吉崎に道場が建設された1471年(文明3)12月の御文で、門徒衆に「一心にふたごころなく弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあづかるものなり」と、信仰のありかたを問いかけています。このような信仰こそは、門徒衆が一向一揆で加賀に本願寺の領国を生み出し、16世紀に信長などの戦国大名と対峙せしめたのです。百姓衆は、己の心のありかをもとめ、弥陀一仏の悲願にすがる信仰に生きようとしたのです。想うに蓮如の御文はキリスト教でいえば新約聖書にあるパウロの書簡のようなものといえましょう。両者には信仰者としての共有し得る世界があるのではないでしょうか。

Ⅴ)沈黙に向きあい

 日本の16世紀は、ヨーロッパの宗教改革の波動を受けたイエズス会の宣教でキリシタンの時代とも言われますが、その根に蓮如による門徒衆の躍動が新しい時代の先駆けとしてあったのだといえましょう。戦国乱世と称される時代は物心両面で新秩序の形成期でもあったのです。
 16世紀のキリシタン衆は、門徒衆が手にした信仰世界に通じる心の世界を己のものとすることで、厳しい禁教下を生きることができたのです。その信仰は、絶対者たる神の応答を期待する信心ではなく、如何に過酷な状況下にあっても己の信をひたすらにつらぬいて生きる歩みにほかなりません。絶対者なる造物主たる神は人間の応答にただ沈黙する存在なのではないでしょうか。人間は神の沈黙に向き合い、仰瞻ることで生きていく己の場を確かめよりほかない存在なのではないでしょうか。
 昨今の教育界で喧伝される「道徳教育」で問われるのは、宗教の教説を解説するのではなく、時代を突破せしめた信仰とは何かを問いかけることで、己の生きて在る場を凝視できる目を育てることです。その方途は、キリシタン衆が沈黙する者の前に佇み、この世的に報いのない世界を生きようとした心の在り方を己の場から問い質すなかに見出したいものです。