学び!と歴史

「終戦」という言説

 戦後の日本は「敗戦」を「終戦」と語ることからはじまります。歴史の教科書は、1945年(昭和20)8月15日のポツダム宣言受諾による終戦を告げる詔書が大書するものの、9月2日の米艦ミズーリ号上において重光葵外相が降伏文書調印の日に想い致しているでしょうか。昭和天皇は、その2日後9月4日の帝国議会開院式の勅語で「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」と、戦後日本がめざすべき国家像を「平和国家」だと宣言します。「平和国家」なる言葉は、この勅語ではじめて使用されたもので、「国体の精華を発揮」するという脈絡でかたられたものです。
 ここに日本は敗戦後の国家像を「平和国家」への道に求めることとなります。この思いは、日本国憲法が第9条で「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」したがために「平和憲法」とみなし、国民が護持すべきものという戦後「神話」を説きかたらせることとなりました。しかし「平和憲法」なる神話は、戦争が「平和」の大義をかかげておこされてきた歴史を思いみれば、警察予備隊から自衛隊へ、防衛庁が防衛省に、さらに昨今では「国防軍」への改称が云々されているように、きわめて脆弱な物語です。それだけに第9条は、「平和国家」幻想による「平和憲法」を宣揚するのではなく、「非軍備憲法」「非武装憲法」であることを明確になし、戦後日本がいかなる武力・軍事力にも依存しない非武装国家をめざしたのだと提示すべきだったのではないでしょうか。憲法改定が世上をにぎわしている現在こそ、日本国民は敗戦にどのように向き合ったかを問い質さねばなりません。そこでまず昭和天皇が「国体」なる言説に囲い込んでかたりかけた「平和国家を確立して人類の文化に寄与」するなる言説は、敗戦占領とどのように向き合い、思い致した歴史認識から発せられたものかを読み解くこととします。

天皇が「人間宣言」で問いかけた世界

 昭和天皇は、敗戦の翌46年年頭「詔書」で、新たに再生する日本の原点を明治維新の時に提起した五箇条の誓文が説く世界に「民主主義国」日本の原点を見出し、ここに国家の存在の場を確認し、「終戦」を受けいれた天皇が「人間宣言」をすることで、戦後日本の方向性を国民に提示しました。「詔書」は、明治天皇が国是として下した「五箇条の誓文」を掲げ、「叡旨公明正大、又何をか加へん。朕は茲に誓を新にして国運を開かんと欲す。須らく此の御趣旨に則り、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上を図り、新日本お建設すべし」と説き、敗戦で「焦躁に流れ、失意の淵に沈淪せんとする傾き」がある国民に「朕は爾等国民と共に在り」と語りかけます。「失意の淵に沈淪せん」とは、幣原喜重郎首相が詔書原案を英文で起草した際、17世紀の伝道者ジョン・バニアンの『天路歴程』第一部第一節にある語句“the Slough of Despond”を日本語訳したものだといわれています。

朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神(あきつみかみ)とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものに非ず。

 この宣言は、「天皇の人間宣言」として敗戦国民の脳裡にすりこまれ、「象徴天皇」への道をきりひらきます。しかし「人間宣言」が提示した戦後日本の国家像は、明治維新で語られた「天皇の国」という物語を受け継ぐ、迷うことなく継承していくことで戦後日本の在り方を定め、そこに紡ぎ出された「日本という物語」を戦後日本に相応しい物語として改鋳していくことにほかなりません。そこには、敗戦を主体的に受けとめ、新生日本への想いを見出すことが出来ません。

昭和天皇にみる歴史認識

 占領下におかれた天皇の想いは、1946年1月22日の歌会始で、歌題「松上雪」によせて詠んだ天皇の歌に率直に吐露されています。

ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしく人もかくあれ

 この歌題「松上雪」によせた歌は、「平和と苦難へ 畏き大御心」と紹介されていますように、占領下を生きる国民へのメッセージにほかなりません。敗戦という現実を凝視する昭和天皇の脳裡には、白村江の敗戦を受けとめた天智天皇があり、大陸の国家原理を学ぶことで律令国家日本を構築していく天武天皇にはじまる治世があったのです。ここには、白村江の敗戦により唐帝国の制度文物を受容して「大君を神と」詠いあげる律令国家を形成していったように、アメリカデモクラシーを五箇条の誓文に表明された世界に通じるものとみなし、この「誓文」を「日本の民主主義」の原点に位置づけることで戦後国家を建設するのだという強き思いが読みとれます。
 昭和天皇は、こうした敗戦占領下にある日本の国民によせる思いを1947年には

冬枯のさびしき庭の松ひと木色かへぬをぞかがみとはせむ
潮風のあらきにたふる浜松のををしきさまにならへ人々

とも詠んでいます(『おほうなばら 昭和天皇御製集』1990年)。これらの歌には、厳しい冬の風雪や荒き潮風に耐える松のように、占領下であろうとも雄々しくありたいと、皇国日本の民によせる思いが表白されています。

現在(いま)、日本が問われていること

 戦後日本の物語はかかる天皇の歌に封じ込められた世界からはじまったのです。この「ふりつもるみ雪」は、民族の心を高らかに奏でた歌とみなされ、2002年(平成14)2月に小泉首相が施政方針演説でふれ、サンフランシスコ講和条約が発効して61年目にあたる2013年4月28日に天皇・皇后を迎えて開催された「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で安倍首相も引用しました。想うに戦後日本は、敗戦を凝視し、新生日本の方途がいかなる「平和国家」をめざすかを問い質すこともないまま、明治維新が説いた「文明」的秩序をして、「民主主義」の範例とみなし、明治国家がめざした軍事による「大国日本」への道程をして、「経済大国」なる方途に読み直して歩み続けたのです。そこには非武装をささえる道義国家たる「小国日本」という在り方が忘却されています。
 現在問われているのは、維新150年という「祝典」が企図されている前夜、東京オリンピックなる狂騒に踊らされることなく、私が主語で8月15日の敗戦に向き合い、己の足場をかため、日本の明日に想いをめぐらすことではないでしょうか。日本の体力は現在まさに「失意の淵に沈淪せん」 “the Slough of Despond”という状況下にあります。それを打開する術は強権的支配で現状の打開をめざすために異分子を排除していく作法にあるのでしょうか。そこで次回からは、徳川将軍家の強権的支配が日常化していた時代、かかる時代の閉塞状況に向き合い、己の場を確かめる作法に何が求められたかを歴史として問い質すこととします。