学び!と美術

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「おえかき」が「壁画」に!~第3回フィリピン・カシグラハン調査報告~
2019.04.10
学び!と美術 <Vol.80>
「おえかき」が「壁画」に!~第3回フィリピン・カシグラハン調査報告~
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 フィリピン、カシグラハン地区での「おえかきプログラム」調査(※1)も足掛け4年。低学年だった子どもたちも、もう中学年。今回はNPOソルトパヤタスの支援のもと、子どもたちが「壁画」に挑戦します!

壁画に残したい!

 2月初旬、共同研究者の真野先生からメールが届きました(※2)。調査協力校KVES Unit 1の校長先生(※3)からの申し出です。
 「おえかきプログラムに参加した子たちに、校舎の壁に絵をかいてほしい。ソルトパヤタスのプロジェクトの足跡を永久に残したい」
 なんと光栄な話でしょう。同時に普通の壁画とは違うアプローチが必要だとも感じました。

  • 本プロジェクトの目的は「子どもの学力向上」です。下絵を決め、部分を分担してかく内容ではプロジェクトの目的と合致しません(※4)。壁画をかいている時間にも子どもは成長します。現場で、子どもの学力が伸びていくような実践であるべきだと思いました。
  • 壁は、その前を子どもや親など多くの人々が通り過ぎます。通る人々は立ち止まって、子どもの発想に共感し、技能の伸びを感じ、教育の大切さに気付いてくれるのでしょうか。それを少しでも実現することが、他ならぬ子どもたちが壁画をかく意味だと思いました(※5)

 日程的に、子どもたちのかく時間は数時間程度しかありません。そこで、2年前に実施した「おえかきプログラム」の中から題材を選ぶことにしました。子どもたちに経験がありますし、「おえかきプログラム」の題材は20分程度で終わるように作られています。壁画で実施したとしても、何時間もかかるわけではありません。「魔法のタネ」、「アルファベットで動物」など、複数の案を提案しました。
 実際の交渉や準備、進行などは真野先生とソルトパヤタスの現地スタッフが進めました。KVES Unit 1の本校KVES Mainでも実施したいと希望があり、二人の校長先生にコンセプトを概ね理解してもらったそうです。
 でも「よくある壁画ではないので理解してもらえるかな…」「果たしてうまく展開できるかな…」など不安を感じながらフィリピンに向かいました。
 着いた翌日、校長先生と打ち合わせを行い、目的やねらいを説明し、快諾をいただきました。次に壁の大きさや表面、参加人数、使える時間などを確認し、題材は「魔法のタネ(※6)」にしました。期待するメリットは以下です。

  • 発想を楽しむ中学年にふさわしい題材である。
  • 「造形遊び」的な側面があり、子どもたちがそれぞれの思いで展開できる。
  • 植物が伸びるように絵が展開するため、鑑賞者が発想の変化や技能の伸びなどを追体験することが容易である。
  • すでに実施しているため、ソルトパヤタスと指導のイメージが共有しやすい。

 その後、スタッフと「魔法のタネ」を机上で実施し、「子どもの発想を認めるように言葉をかけること」「安全に配慮すること」など指導方法や配慮事項などを確認し、ペンキや梯子の準備物の追加を行って、翌日を待つことにしました。

さあ、壁画に挑戦!

写真1 実施一日目、最初の学校、KVES Unit 1の壁は階段の踊り場です(写真1)。
 学校についたら、まず壁面の下部に種をかきました。形は、フィリピンの名産ココナッツをイメージしています。色は、何かが生まれるマグマのような赤にしました。
 「これはね、魔法のタネ、ここから不思議な植物が伸びてくるよ…何が出てくると思う?どんな色かな、どんな形かな?」
 子どもたちは、説明を受けるとすぐにかきはじめました。なかなかかき始めなかった低学年の頃と大違いです。
 植物が伸び始めると、光のような植物が生まれたり、ロケットが登場したりするなど、すぐに自分らしい展開になりました。
 しばらくすると、友だちの実践を取り入れはじめます。現地校の先生たちも一緒に参加してくれましたが、そのかき方を取り入れる子どももいました。
 想定よりも早く「植物」は育ち、開始から45分程度で壁の上まで届きはじめました。

写真2写真3写真4

 難しいのは、止めるタイミングです。一般的には、

  • 子どもたちが疲れた様子を見せる
  • 線や面が荒れてくる
  • 6割から8割の手が止まり始める

などがサインとなります。
写真5 壁面の限界と、子どもたちの様子を見て「もう時間ですよ」と伝えましたが、やる気スイッチの入った子どもたちは中々やめてくれませんでした。完成した様子が写真5になります。
 実施二日目は、本校KVES(Main)。今度は、子どもたちが登校時に通る校舎の壁です。
 前日の反省をもとに、ソルトパヤタスが、袋でつくったスモックやビニールの手袋、たっぷりの水(※7)、幅の狭い筆などを用意してくれました。
 展開は、前日とほぼ同じでしたが、発想そのものを楽しむ子どもたちの多かったKVES Unit 1に比べると、重色や立体感など丁寧に技能を開発していく傾向が見られたように思います(写真6~10)。筆などの学習環境の違いによるものだろうと思います。

写真6写真7写真8

写真9写真10

新しい「ぼく、わたし」

 本題材は、ジャズやロックのインプロビゼーションのような即興性が特徴です。即興性は日本の図画工作の教科的な特徴の一つです。「造形遊び」を筆頭に、図画工作の多くの題材に取り入れられています。子どもたちは、友だち、先生、絵の具、壁、空間、光など、そこにある学習資源の全てと対話しながら、表現します。発想の上に発想を重ね、技能から技能を生み出し、その場でプランを組み立てながら、表現を展開させていきます。
 同時に成立するのが「ぼく、わたし」です。「ぼく新しいかき方見つけたよ」「私の花すてきでしょう」など新しい発想や技能の開発が起こるということは、そこに新しい「ぼく、わたし」が生まれたということです。
 ポイントは、「ぼく、わたし」が、「学習資源と相互行為して能力を発揮した」と考えないことです(※8)。友だち、先生、絵の具、壁など、その子から見える学習資源の全体が「ぼく、わたし」です。表現と自分は、その拡張した空間において、同時に成立するのです。その繰り返しが成長だろうと思います。
 横浜国立大学の有元先生は、発達を以下のように定義づけています。

(前略)自分の外で、自分の意思で統御できない他者・世界と共に、自分の輪郭を越えた振る舞いをするうちに、やがてそうした自分が「この自分」というものになっていくプロセス(中略)自分の輪郭がいやおうなく描き直されていく、この自分の外に開かれた共同を、発達と呼ぼう(※9)

 私たちは誰一人として、あらかじめ決められた存在ではありません。そのつどの状況、環境、使用可能な資源などによって変化する可変的な存在です。学びにおいて、子どもや先生は、常に新しい自分になることが開かれているのです(奥村2018)(※10)
 今回の実践で、それが叶ったのであれば、きっと壁の横を歩く友だち、学校に来た親なども、成長や発達、教育などについて考えてくれることでしょう。地域の教育を改善したいという願いから始まった本プロジェクト、その目的に少しでも近づければ幸いです。

※1:本調査は、NPOソルトパヤタスと、アジア開発銀行チーフエコノミスト澤田康幸先生、慶應義塾大学総合政策学部中室牧子先生、一橋大学経済学研究科真野裕吉先生達が中心になって進めています。現時点では、低学年「おえかきプロジェクト」、中学年「読み聞かせ」、高学年「Eラーニング」の介入を実施し、「親には教育の重要性を伝えるとともに、子どもの進学に備えて貯蓄を促し、子には教育プログラムを実施するグループ」「子どもに学習プログラムを実施するグループ」「何も実施しないグループ」で、学力や生活態度などの変化をランダム比較試験(*)という方法で調査中です。筆者の担当は「お絵かきプロジェクト」のプログラム開発です。クレヨンと紙だけでできる比較的簡単な「魔法のたね」「クレヨンでおしゃべり」など20以上のプログラムを実施しました。
*ランダム化比較試験(RCT:randomized controlled trial)とは、ある介入(試験的操作)を行うこと以外は公平になるように、対象の集団を無作為に複数の群に分け、その試験的操作の影響・効果を測定する。http://jspt.japanpt.or.jp/ebpt_glossary/rct.html
これまでの経緯は、以下で報告しています。
学び!と美術<Vol.43>「フィリピンの貧困地域における鑑賞教育の可能性」(2016.03.10)
学び!と美術<Vol.53>「おえかき」から学力を伸ばす ~フィリピン貧困地域カシグラハン調査報告:第2回~」(2017.01.10)
※2:今回のプロジェクトのコーディネイトは一橋大学真野准教授です。
※3:調査対象校の一つ、カシグラハン地区の公立小学校KVES Unit 1。
※4:それは手順がしっかりして、先も読めますが、あまりに作業的過ぎます。
※5:「まあ、きれいね」であれば、大人が描けばいい事です。「すべて先生の指示通りにかかせる壁画」でも無理なことです。大人の思う「子どもらしさ」や「たどたどしさ」を愛でるような壁画も避けたいところです。
※6:「魔法のタネ」に似たアプローチを持つ教科書題材に、低学年「ふしぎなたまご」、中学年「まぼろしの花」などがあります(新版教科書日本文教出版より)。
※7:この時期、カシグラハンは取水制限と水不足だったのです。
※8:評価や法的には全くそうなのですが。
※9:香川秀太・有本典文・茂呂雄二 編著『パフォーマンス心理学入門 共生と発達のアート』新曜社(2019)144p
※10:奥村高明『マナビズム―「知識」は変化し、「学力」は進化する』東洋館(2018)64p