学び!と美術

学び!と美術

高齢者アートで才能開花?
2019.03.11
学び!と美術 <Vol.79>
高齢者アートで才能開花?
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 以前から、生涯学習の名のもとに高齢者を対象にした美術的な取り組みが数多く行われています。ただ、医療面の改善や福祉的な効果が中心的に語られ、彼ら自身の可能性に関する言及は少ないように思います。そんな中、「ICTの活用を通して、高齢者の才能を発揮させる」という実践に出会いました。

ただの「ぬり絵」が、タブレットPCを使ったら…!

写真1 シニアの学びを提供するのは、元ソニーの技術者草野将さん。テレビやプロ用ディスプレイ、世界初・曲面型有機ELテレビの開発などに関わってきました。現在「あのころコミュニケーションズ」代表として、高齢者が様々な方法でシニアライフを楽しめる活動を行っています(※1)
 草野さんに紹介されたのは、お手本の絵を輪郭線にした画像にタブレットPCで色をつける「ぬり絵」です(写真1)(※2)。  驚いたのは、重色や強調、筆のタッチなどを工夫した「表現」でした(写真2~3)。少なくとも、単純に、お手本通りに塗る「模写」ではないようです。
 「最初は、色鉛筆を使って塗っていました」
 ただ、高齢者には鉛筆を一定の角度で持ち続ける指の力、鉛筆の動きをコントロールする腕の力、塗り込む筆圧などが問題となり、多くの人がうまく描けなかったそうです。
 「タブレットPCを取り入れることで、身体的な問題は解決しました」
写真2 確かに、タブレットペンを握れれば、色を塗ったり線を描いたりするのは容易です。線の太さや筆先のかすれ具合をアプリケーションで選んだり、多くの色から自分の好きな色を選んだりしながら描けます。色ごとに鉛筆を持ち替えたり、色に制限されたりすることもなくなります。
 その結果、高齢者の能力が十全に発揮され、点描を繰り返したり、筆のカスレを生かして重色したりと、一人ひとり違った表現が成立したのではないでしょうか。

感性や創造性の成長を保証する身体拡張

 描いているのは、認知症や老化などで「うまく手が動かない」「滑らかに言葉が出ない」人々です。私たちは、そのような人々を見るとつい「頭も衰えている」と捉えてしまいます。でも、できあがった絵を見ると、感性や創造力が衰えたようには思えません。
写真3 草野さんは、「健康寿命には衰えがきますが感動寿命は変わりません。むしろ伸びていくのではないでしょうか」と述べます。引用するのは聖路加国際病院の院長だった日野原重明さんの言葉です。

「僕は最近絵画を習い始めましたが、これがとっても楽しいのです。(中略)何歳になってもこれまで知らなかった自分の姿を知れるということ。それが感動することにつながるのです。(中略)最近僕は「運動不足」より「感動不足」の方が深刻なのではないかと感じています。(※3)

 確かに、身体的に健康ではないからといって、感性や創造性まで不健康だろうというのは変な話です。
 人は数字や数式、言語、車など様々な道具を使います。道具と一緒に考え、道具と一体化して世界を知覚する生き物です。古代には文字や数式、そして鍬や鋤、近年はテレビ、現代はコンピュータ、ドローンやロボット、道具は発展を続けています。ずいぶん前にマクルーハン(※4)が指摘した通り、人間の知覚や思考は拡張を続けているのです。
写真4 その影響を「学び!と美術(2018年12月号)」幼児画のケースで指摘しましたが(※5)、高齢者にも起こっているのかもしれません。身体的な衰えはやってきますが、身体拡張を通して、美的な感性や創造力の成長は可能ではないでしょうか(※6)
 草野さんは、現在、「ICTを活用した高齢者アート事業」を展開しています。できあがった絵を絵葉書やSNSで活用し、感動を共有するつながりを再構築することなどに挑んでいます。いつか、高齢者の感性や創造性の豊かさを証明してくれるのかもしれません(※7)
 人の限界は身体や皮膚ではなさそうです。様々なテクノロジーで促進される人間の拡張が、そのテクノロジーによって立証され、さらに人間の可能性をも拡張させてくれることを期待したいと思います。

※1:草野将、株式会社あのころコミュニケーションズ代表。草野さんに出会ったのは前号で紹介した『ビジネスパーソンもアートを学んだ方が良いですか?』の講演がきっかけです。草野さんや「あのころコミュニケーションズ」については、以下を参照してください。
http://www.anokoro.co.jp
作品発表(小説&エッセイ)や写真整理など様々なワークショップを実施しています。
※2:新おとなのぬり絵教室「ぬり絵セミナー」株式会社あのころコミュニケーションズ。2017年9月から2018年11月までに、実施回数は30回、参加人数は248名(最高年齢:100歳)。主な場所は企業系の高齢者住宅や高齢者向け体操教室など。
※3:日野原重明『生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉』幻冬舎 2017 158p~160p
※4:マーシャル・マクルーハン “Understanding Media: the Extensions of Man” McGraw-Hill 1964。翻訳は、後藤 和彦・高儀 進 訳『人間拡張の原理』竹内書店 1967、栗原 裕・河本 仲聖 訳『メディア論―人間の拡張の諸相』みすず書房 1987
※5学び!と美術 <Vol.76>「子どもの絵の見方 ~田川図画展の実践から~」
※6:以下は、草野さんの紹介する記事です。
https://livepast100well.com/ja/クリエイティブエージング—成長アート/
https://www.artsy.net/article/artsy-editorial-wellness-movement-empowering-older-adults-artists
※7:背景には、人間とテクノロジーが一体化して、人間の能力を拡張させる人間拡張学があるそうです。拡張する能力の範囲は、知覚能力・認知能力・身体能力・存在感や身体システム(健康)まで幅広く捉えられています。視線を認識するウェアラブルコンピュータ、ドローンやロボットによる体外離脱視点を用いたトレーニング支援、人間の体験をウェアラブルセンサーやネットワークにより他の人間と共有・接続する人間=人間接続型テレプレゼンスなどの研究が行われています。ニュースリリース『ソニーと東京大学「ヒューマンオーグメンテーション(人間拡張)学」を始動』
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201703/17-0313/ 2017.3