学び!と美術

学び!と美術

OriHimeから考える「デザイン」
2019.11.11
学び!と美術 <Vol.87>
OriHimeから考える「デザイン」
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 デザインとは、どのような概念でしょう。美術教育では「文字やマークをデザインする」「ポスターやキャラクターをデザインする」のように使われます。そのため「形や色、バランスなどを整える」「広告や関連グッズを考える」などの意味で捉えられているように思います。
 でも、それは狭い捉え方です。デザインに関わっている人々は、もっと別の意味で用います。例えば、ポスターを描いたとしても、デザインしているのはポスターを見るという『行為』や、チケットを購入するという『行動』です。ポスターをきっかけに成立する『コミュニティ』の場合もあります。デザインという言葉は、ポスターの向こう側にいる『人』や『社会』をつくりだすという意味で使われるのです(※1)
 具体例を検討してみましょう。取り上げる実践は、オリィ研究所が運営する「分身ロボット・カフェ」です(※2)

ロボットに“人”を見る?

 「分身ロボット・カフェ」、ご存じの方も多いと思います。ALSや重度障害などによる寝たきりの人が、遠隔操作で、「OriHime」や「OriHime-D」を操作し、カフェで接客や給仕を行うのです。NHKで紹介されたことをきっかけに私も知ることができました。ただし「人の代行ができるロボット」「体の動かない人が働くカフェ」程度の解釈です。
 実際にカフェに行ってみると、その解釈が実に薄っぺらだったことに気づかされました。
 2019年10月、会場は大手町にある3×3Lab future(※3)。イベントなどで用いるサロンはテーブルが6つほど並ぶカフェになっていました。それぞれのテーブルには小さなロボットが設置されています。
 ロボットの第一印象は「無表情な宇宙人」です(失礼!)。ロボットには名札の画面が付いており、その人がロボットを操作するオペレーターのようです(※4)
 ロボットは“きな子さん(仮名)”という名前でした。“きな子さん”は“体がうまく動かない病気を抱えている大学生”でした。注文できるまで少し時間があったので、私たちは、しばらく“きな子さん”と会話を楽しみました。なんだか、今どきの「カフェ」というより、お店の人と雑談できる「喫茶店」のようです。
 ロボットは“きな子さん”の動作に合わせて動きます。首を動かして他の方向を向いたり、視線を外したり、手をあげる動作もします。これらの動きが、会話と同時に現れます。
 会話はごく普通の内容です。会話というものは、行先は不明で、その都度の興味がある話題で展開するものです。他愛のない話をしたり、相手の言うことに頷いたり、相槌したり、ときに笑ったり。
 そのうち、私たちは“きな子さん”の視線を感じるようになりました。しばらくすると“きな子さん”の笑顔や表情が見えるようになっていきます(目の前にあるのは無表情なロボットなのに!)。そこに「いる」のは、ただの“きな子さん”なのです。同時に“少々思い込みのある私たち”も、ただの“お客さん”になっています。そして、いつのまにか「病気」という概念や、「体がうまく動かない病気を抱えている大学生」は消えていたのです。

“会話”がつくりだす“人”

 私は、日本に相互行為分析を紹介した西阪の論考を思い出しました。彼は「人が会話をするのではなく、会話が人をつくりだすのだ」という意味のことを述べています(※5)
 私たちは、あらかじめ決められた存在ではありません。その都度の状況、環境、使用可能な資源などによって変化する可変的な存在です。たとえば「子どもがいる一人の男性」は、自宅に居れば「お父さん」ですが、会社に出勤しているときは有能な「社員」かもしれません。人の在り方は、その場の人やもの、出来事などの組み合わせ、いわば状況によって変わるのです(※6)
 「分身ロボット・カフェ」では、「ロボット」「カフェという場所」「語り合う行為」「時間」などによって、普通の“きな子さん”と当たり前の“お客さん”をつくりだしていました。では、“ALSの人”や“重度障害の人”、あるいは“不登校の子ども”が成立するというのは、どういうことなのでしょう。「分身ロボット・カフェ」の知見からすれば、“ALS”や“不登校”などは、その人の固有の性質というよりも、校舎や教室、制度などによって作り出された限定的な状況といえるのではないでしょうか。
 そう考えると、「外出困難な方たちに社会参加の道を切り拓くデザイン(※7)」は、「外出困難者という概念を消すデザイン」「新しい社会参加を創造するデザイン」と言い換えた方がよいように思います。実際に、「分身ロボット・カフェ」をつくった吉藤代表も「私は、『分身ロボット』はつくっていません。」と明確に語っています。詳しくは次回(^^)。

※1:「美的感覚」「機能」「コスト」のバランスという指摘もありますが、どちらにしても、単に「形や色をきれいにする」という意味だけでは用いられません。
※2:「分身ロボットカフェ DAWN ver. β 2.0」2019,10/07~10/23 https://robotstart.info/2019/10/07/dawn2019-open.html
※3https://www.ecozzeria.jp/about/facility.html
※4:オリィ研究所はパイロットと呼んでいます。
※5:西阪仰「2章「日本人である」ことをすること 異文化性の相互行為的達成」『相互行為分析という視点~文化と心の社会学的記述~』金子書房 1997 pp.73-103
※6:奥村高明『マナビズム―「知識」は変化し、「学力」は進化する』東洋館 2018 pp.47-52
※7:前掲註2