学び!とPBL

学び!とPBL

デジタル・ストーリーテリング──現代の「自分語り」
2020.05.25
学び!とPBL <Vol.26>
デジタル・ストーリーテリング──現代の「自分語り」
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.育たない当事者意識

 プロジェクト「地方創生イノベーションスクール2030」は「OECD東北スクール」のスピリットを継承するもので、生徒の一人ひとりが主体的に地域課題を発見し、その解決のために活動することが目的です。しかし、プロジェクトの展開とともに、様々な形で課題が見えてきました。最も大きいものは、生徒たちがなかなか自分たちで動き出さないということです。課題を考えさせて、そのやり方についても様々に例示するのですが、すぐに動きが止まってしまいます。
図1 テンションマップ 2016年の夏、クラスタースクールに大勢の生徒たちが集まったので、東北スクールの時と同じように、震災以降の心の動きを表現する「テンションマップ」に取り組ませました。すると、ある地域の生徒の曲線は──津波の直撃を受けた地域であるにもかかわらず──、震災直後からテンションは右上がりのままになっています。「直接の被害はなかったし、芸能人とかいろいろな人が来て、いろんなものがもらえたので学校が楽しくなった」と言います。その夜、先生方で集まって翌日以降の計画について話し合いました。
図2 大学生によるサポート 被災地の生徒たちがみな問題意識をもっている、というのは大人の勝手な思い込みで、現実の生徒はむしろ逆の傾向も示しています。確かに震災から5年以上が経過しており、当時の生徒と同じはずがないのです。「1日で終わらせる予定だったデジタル・ストーリーテリングを2日間に延ばし、じっくりと自分語りをさせませんか? 問題を自分事にするプロセスがないと、これからも宿題をこなすだけのプロジェクトになってしまう。」との私の提案に、先生方はみな同意してくれ、次に進めるステップを今回は諦め、自分自身を見つめさせることに徹することにしました。

2.デジタル・ストーリーテリング

図3 ワークショップの坂本旬教授(左から2番目) デジタル・ストーリーテリングは、1990年代半ばにアメリカ・カリフォルニアで誕生した自分語りの方法で、生徒の一人ひとりが日常生活をテーマにした身近な経験や想いを、スマートフォンやタブレット等のデジタルメディアを使って、動画で物語るものです。(小川明子『デジタル・ストーリーテリング 声なき想いに物語を』参照)現代の「生活綴り方」と呼ばれるほど優れた教育方法と考えられており、私たちのスクールではメディア論の第一人者である法政大学の坂本旬先生の指導でワークショップを行いました。
図4 アメリカ人に説明する中学生 この方法の優れている点は多々ありますが、私が注視したのは、「自分語り」という個人的な作業であるにもかかわらず、他の参加者がアドバイスしながら関わっていくという点です。個人がテーマを決め、数分のストーリーラインができたところで、参加者同士で批評し合います。これによって人に伝える中身と、伝え方がより鮮明に意識化されることになります。ある生徒は、ちょうど来ていたアメリカ人に必死で説明しています。ある生徒は、優秀であるにもかかわらず「自分語り」を嫌い逃げ回っています。大学院生が説得し、文章を綴らせることに成功しますが、書き手同士、書き手と援助者の間に緩やかな信頼関係を生みだしていく、という点に強い興味を持ちました。

3.「自分語り」から見えてくるもの

 これをもとに各自で原稿(シナリオ)を書き、自らの声でナレーションを録音し、これに関係のある写真やイラスト、映像をタイムライン上に並べ、2~3分の動画に編集します。ワークショップには中学生もいましたが、大学生がサポートしてくれたので、全員が完成させることができました。現代の若者たちはデジタルデバイスの扱いに慣れており、とてもマッチした方法だと思います。
図5 無気力だった自分が演劇との出会いで目的を見出す 最も重要なのは、これを全員で上映会を開くということです。私たちは二つのグループに分かれて、全員の作品を全員で鑑賞し合いました。時間内に収まりきれなかったものや、やや形式的にまとまってしまったものもありましたが、多くは、被災した自分がなぜ頑張るようになったのか、自分は将来何をしたいのか、自分が変わるきっかけになったのは何だったのかを、それぞれの語り口で切々と訴えてくるものばかりです。ほとんどの作品で、日常の姿とは異なる意外な一面が表現されていました。
図6 被災地の実家に数年ぶりに戻る。ふるさとのためにできることを自分の将来の目標に。 もちろんこれらの活動によって、即主体性が生まれたかと言えばそうではありませんが、大人と生徒たちの間の距離が縮まり、指導しやすくなったという点は大きな成果です。
 デジタル・ストーリーテリングは、マスメディアにかき消されている社会的弱者の「小さな声」を発信する方法として注目されました。パーソナルな語りから見えてくるのは、リアルな社会の一部分です。語り手と聞き手がともに創造する社会の一断面ということもできます。さらには、自分の語りによって自分自身が定義され、自分自身が生まれていくということでもあります。
図7 タイの同性愛者を見てかっこいいと思った。自分に素直になりたい。 この方法は、現代社会に生きる生徒たちに必須の教材だと私は考えています。学校で行う場合、それが国語の時間であろうが、美術の時間であろうが、技術の時間であろうが、そんなことは全く関係ありません。むしろ教科の枠組みばかりを気にして、本当に必要な教育がなされていないのではないか、そんなことすら考えさせられた強烈な経験となりました。