学び!とPBL

学び!とPBL

二つの国の間で現在と未来が交差する
2020.04.27
学び!とPBL <Vol.25>
二つの国の間で現在と未来が交差する
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.ミュンヘン駅の夜

 アムステルダム・スキポール空港を発ち、ドイツ・ミュンヘン空港に着いたのは夕方でした。空港から電車でミュンヘン中央駅に移動し、さて、早くホテルに入って明日に備えようと駅を出ると、周辺は異様な光景が広がっていました。駅の内外を行き交う大勢の人、彼らのほとんどは中東の装いです。うっすらと煙が漂う駅の周辺、オレンジ色の光に照らし出された彼らこそ、シリアからトルコを経て地中海を渡り、イタリアを北上してドイツに入ってきた難民の人たちでした。ドイツ南端のミュンヘンは、イスラム過激派の迫害を逃れてきた彼らがめざしたドイツの入り口でした。
 当時、シリアを中心に活動する過激派は平穏に暮らす人々の暮らしを弾圧し、多くの難民は地中海を渡って、命からがらヨーロッパ大陸に逃れてきました。その情報は連日日本でも報道されていましたが、思いもかけず、その恐ろしい現実を目の当たりにすることになりました。下半身を失った男性が板にのって手で移動するその姿は、ブリューゲルの絵に出てきそうです。ここは、私たちの知っている42年前のオリンピック開催地ミュンヘンではなく、その凄惨さが報道されていた難民キャンプそのものでした。私たちは身の危険を強く感じ、一目散にホテルに駆け込み、その夜は一切外に出ることはありませんでした。

2.ドイツとオランダのコントラスト

 EUの中でもドイツは積極的に難民を受け入れ、多くの支援をもたらしました。しかしそれはドイツ国民の税金や仕事を難民に分け与えることとなり、国民の反対運動も激しくなっていました。一方隣接するオランダは難民の受け入れを厳しく制限し、永住権を取得するにはオランダ語の習得など多くの条件を満足させる必要があります。オランダの首都・アムステルダムをモデルにしたコペンハーゲンを首都に持つデンマークも、オランダと同じ政策をとっています。
図1 エルンスト・マッハ・ギムナジウム この、オランダとドイツの難民政策のコントラストは、余りにも強烈です。私はその直前まで、人道的に難民は受け入れるべき、いや受け入れなければならないと考えていました。しかし、この光景を目の当たりにした時、決してそのような上辺だけの同情を許さない、現実の厳しさを痛感したのでした。「解のない問い」に挑戦させようとするPBLを構想するとき、教室の中だけの安易な判断に決して留まらない、現実を直視する複数の視点が必要だということを思い知らされた経験となりました。
 翌日朝のミュンヘン中央駅はゴミこそ散乱していましたが、難民の人たちをただの1人も目にすることなく、オフィスに向かう人たちだけが行き交っていました。恐ろしい夢から醒めたようでした。

3.エルンスト・マッハ・ギムナジウム

図2 中等部の英語の授業 さて、ドイツに足を踏み入れた目的は、ミュンヘン郊外のハールにあるエルンスト・マッハ・ギムナジウムと福島のふたば未来学園高校とをつなぐことでした。ふたば未来学園高校の生徒たちは既に何度かドイツを訪問し、省エネルギーの現状などを視察していますが、持続的に研究を進めるためにパートナーを固定したいというねらいがありました。
図3 世界各地と交流する同校 エルンスト・マッハ・ギムナジウムは中高一貫の中等教育学校で、他のドイツの高校と同じように海外連携が活発で、EU圏外の高校とも提携していました。持続可能な開発やグローバル及び異文化教育に力を入れており、「ヨーロッパにおける環境教育学校」で優秀賞を受賞している有名校です。学校ぐるみでフェアトレード(開発途上国の原料や製品を適正な価格で購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す貿易のしくみ(※1))の実践研究を行っており、ここに限らずEUの高校の問題意識の高さを強く感じました。

図4 プレゼンテーションする学生たち 私たちは中等部と高等部の授業を参観した後、訪問の目的を伝え、今後の進め方について協議しました。ふたば未来学園高校とはSkypeでつなぎ、リアルタイムで情報交換を行いました。同行した学生たちが福島の現状をプレゼンし、先方から大きな信頼を得ることとなり、帰国後、学生たちはふたば未来学園高校に入って、エルンスト・マッハ・ギムナジウムとの協働をコーディネートすることになりました。

※1:https://www.fairtrade-jp.org/ より