学び!とPBL

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日本と台湾、そして福島
2020.12.21
学び!とPBL <Vol.33>
日本と台湾、そして福島
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.「とんでもないこと」

図1 立人高級中學にて 台湾の仲間が台湾に戻った直後に、「とんでもないこと」がわかります。台湾は、韓国や中国を抜き、世界で最も福島の食べ物に不安を感じる国、およそ9割人たちが不安を感じる国だったのです。そのことを福島市チームのメンバーに知らせると、彼らはすぐに台湾の仲間に「本当にそうなのか」を尋ねました。結果は、その通りでした。
 生徒は次のように書いています。「パートナーたちが特に喜んでいたのは福島のりんごを使ってアップルパイとパウンドケーキを作ったことです。台湾ではあまり料理をしないという文化の違いや異国の地の食べ物を食べるという壁を越えて私たちは交流をしました。台湾では法律によって福島の食べ物は輸入できない状況にあります。私たちは特に意識することなく、彼らが普段汚染されていると聞かされていた福島の食べ物を差し出してしまいました。しかし、ためらいながらも手を伸ばし、「おいしい」と笑顔で言ってくれた彼らにとってそれがどれだけ勇気が必要なことだったか私たちは知りませんでした。彼らが台湾へ帰国した後、その事実を知ってとても泣きたい気持ちになったことを私は今でも忘れません。」

2.台湾という国

図2 中正記念堂の蒋介石像 実際、福島の放射能の問題は、始めからその影がつきまとっていました。初めて台湾を訪問し、生徒たちが福島の食べ物は検査が徹底しており、安全であることを発表すると、そこにいたマスコミ関係者に「これは政治的な利用か」と疑問を持たれてしまいました。「安全です」と言って「そうか、安全なのか」と納得する人はいません。私たち自身が台湾の仲間に信頼されて初めて、メッセージは通じるようになります。
 そもそも、「親日的だ」と一般に理解されている台湾という国の文化や歴史の知識を、私たちはほとんど持ち合わせていませんでした。台湾の友達が、日本語の歌を練習して歌ってくれましたが、私たちは台湾の歌を少しも知りません。台湾の街中を歩くと、「日本統治時代」(1895年から1945年まで)に建てられた建造物を目にすることができますが、それを台湾人はどう見ているのかわかりません。1930年には、映画「セデック・バレ」の元となった「霧社事件」など、現地人による日本への激しい抵抗運動が頻発します。台湾に行くと必ず見学する中正記念堂に鎮座する開国の祖「蒋介石」。彼によって1947年から1987年までの40年間、世界一長い戒厳令が敷かれ、その間に多くの知識人が虐殺されました。今日この時代は「白色テロの時代」と呼ばれ、このことを自由に話せるようになったのは最近のことです。東日本大震災には250億円もの支援金を提供し、国連の幸福度ランキングでは3年連続東アジア1位ですが、国連やOECDなどの国際機関には加盟できず、日本との国交もありません。
 その国を単純化して理解することは、しっかりとした関係を作る上ではむしろ障害になります。お互いのありのままを理解すること、社会の複雑さを共有することがグローバルな理解で大切な点ではないかと思います。

3.「いっしょに汗を流したい!」

図3 いっしょに何をやりたいか? 2018年1月4日から8日にかけて、福島市チームは2度目の台湾訪問をします。今回の訪台の目的は、これから台湾の仲間と「やること」を決めることです。再会を果たした両国の生徒たちは、これから協働でどんなことをやりたいのか、話し合い、まとめたものを発表し合いました。いくつかのグループからは、福島のわらじまつりを台湾でやりたい、台湾の夜市を福島でやりたいなどのアイディアが出ました。いずれも、「楽しいこと」をいっしょにやりたいという方向でまとまりそうでした。
図4 921地震博物館の見学 本連載のvol.31で書いたように、台湾は日本と同じ地震大国です。特にこの台中市では1999年9月21日に大地震に襲われました。その地震で破壊された小学校を「921地震博物館」として保存し、その地震の凄まじさを伝えています。生徒たちは博物館を台湾の生徒たちと見学しました。幸い地震発生時が夜間であったため、ここでは一人も亡くなっていません。翌日は小雨の中、台中市の海岸部を見学しました。ここには「台湾のウユニ塩湖」と呼ばれる「高美野生動物保護区」があり、正月それも雨模様だというのに裸足で海に入ることができます。最終日は高雄まで南下し、そこで生徒たちはグループ別の自由行動となります。
図5 正月なのに海に入れる! その年の秋、生徒代表は三度立人高級中學を訪れました。翌年3月の学園祭に福島市チームを参加させてもらいたいというお願いをしに来ました。校長先生から快諾をいただき、ここから台湾との交流事業は、協働事業へと発展していきます。
図6 3度目の台湾訪問 仲間が迎えてくれる 生徒は次のように述べています。「翌年、再び台湾を訪問した私たちは、これまでの「交流」から「協働」へと関係を変えたいと提案しました。私たちが住む福島と彼らが住む台中市では人口も都市化の進み具合もまるで違いますが、学生の進学、就職による人口流出、急速な人口減少、少子高齢化が進んでいること、そう遠くないうちにそれが大きな問題となって私たちに降りかかってくることが背景にあります。私たちは手を取り合い、未来に向かって一緒に考えて行く必要があると思ったからです。この交流は現在でも続いており、2019年3月に行われる立人高級中學の創立記念をお祝いする学園祭への参加が決まり、それに向けて準備を進めています。」