学び!とPBL

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Fukushimaに海外の「仲間」を呼びたい!
2020.11.24
学び!とPBL <Vol.32>
Fukushimaに海外の「仲間」を呼びたい!
三浦 浩喜(みうら・ひろき)

1.台湾の「仲間」に、福島に来てもらいたい!

図1 台湾の生徒の到着を待つ福島の生徒たち 台湾と交流を始めたプロジェクトのメンバーは、次のステップを考えました。その結論は「福島に台湾の友達に来てもらう」というものでした。福島は、2011年の原発事故で世界的に知られた地名で、親日的だからといって、原子力の放棄を決めた台湾の人たちが、ハンディキャップを持つこの地に「行きたい」といってくれるかどうかわかりません。呼ぶための資金をどうしたらいいのか、そもそも福島に来て何を見て、何をしてもらうかもわかりません。
 まず資金は、福島県が進めていた旅行客の誘致事業に合致し、何人を呼ぶか人数にもよりますが、可能性が見えてきました。立人高級中学の教務の先生に相談したところ、「日本に興味のある生徒はたくさんいる、日本に行ったことのある生徒もいる、福島に行くかどうか聞いてみる」と言ってくれたことで、にわかに可能性がふくらんできました。

2.「交流」ではなく「協働」を!

図2 生徒たちのバスが到着した! 私たちの福島市に来てもらいたい、しかし、福島市は皆無ではないにしろ、外国の方がめざしてくるような観光資源があるわけではありません。「福島市」にこだわらず「福島県」に広げれば、外国からも人気のある「会津」もあります。それなら、いっそ、立人高級中学の生徒たちに「見たいもの」「やりたいこと」を直接聞けばいいということになり、日本に来てくれることになった生徒たちとの間で、LINEの翻訳機能などを使ってやりとりが始まりました。
図3 交流事業開会式 観光地をただ見学するだけではなく、私たちの目的は「交流」ではなく「協働」なんだ、いっしょに何かをやりたいということになりました。このプロジェクトも両国の高校生の協働による手作りのツアーとして設定しました。LINEのやりとりで、台湾の人たちは家の中で料理をつくったりする機会が少ないということがわかり、それなら福島の名産であるリンゴを使って、みんなでアップルパイをつくろうということになりました。
 滞在期間も2017年11月3日から6日の4日間(正味2日と少し)と決まり、限られた予算と時間の中でのスケジュールや宿泊先の決定、見学先の下見、開会行事の中身、福島の生徒たちが所属している学校との調整などを慌ただしく進めました。ここには、生徒たちが2年前に企画実施した「福島市の観光ツアー」(学び!とPBL<Vol.17>「地域課題に挑む生徒たち②」参照)の経験が如実に生きていました。
 海外への旅行経験が、提携先のオーストラリアの1回のみの立人高級中学の劉校長先生が2度目の海外、初めての日本の旅行先として、私たちの福島市にお越しいただくことになりました。福島と立人をつないでくださった楊先生もツアーに参加してくださることになりました。

3.粗末な接待だけど意味のあるものに

図4 会津日新館の前で 11月3日夜、台湾を早朝に発った台湾の仲間たちが、列車、飛行機、バスを乗り継いで福島の飯坂温泉に到着しました。生徒14人と劉校長や楊先生、教務の先生、日本語の先生、外部協力者の大人5名もいっしょでした。それを迎える福島側は、福島市の中高生(高校生は初対面、中学生は高校受験を控えているために1日だけの参加)20人や先生方、福島大学のスタッフらです。

図5 交流で距離が縮まる関係 決して豪華とは言えない温泉旅館を拠点に、これから3日間が始まります。事前に知らされていなかった日本の「温泉」の入り方に、生徒たちは声をあげて驚いており、見かけは私たちと何ら変わりない彼らとの間に大きな文化の違いがあることを実感させられました。開会式は、1日の旅行の疲れもあり、感動の再会も控えめにして、翌日の準備に備えました。

図6 鶴ヶ城の前で沸き立つ生徒たち 2日目は、台湾の生徒からのリクエストに応えて、会津に向かいました。江戸時代の藩校である「会津日新館」、会津を代表する名城「鶴ヶ城」、宿場町の装いをそのままに残す「大内宿」などを見て回りました。寒暖差が少ない台湾の風景に慣れていた客人たちは、いずれも日本の鮮やかな紅葉を楽しんでいました。途中冷たい雨にたたられ、温暖な気候しか知らない台湾の方々が心配されましたが、初めて見る日本の歴史的な佇まいに感動している様子でした。交流を積み重ねていく1日の中で、少しずつ福島側と台湾側とで打ち解けていく様子が、手に取るようにわかりました。とりわけ、日本語が話せるひょうきんな男子生徒が人気で、場をなごませてくれました。

図7 みんなで浴衣を着て 旅館に戻ると、夕食の後、みんなで浴衣に着替え、延々と写真を撮影し続けました。予算の都合上、本当に粗末な接待しかできませんでしたが、その不足分を生徒たちの互いの思いやりで埋め合わせてくれているようでした。

図8 福島市民家園 説明も生徒が行う 翌日は、福島市内の体験活動となります。伝統的な木造建築群の「民家園」では、機織りや囲炉裏など日本古来の文化を体験しました。昼食は味噌を使った料理でしたが、味噌文化を知らない台湾の生徒たちは手を出そうとはしませんでした。

図9 みんなでアップルパイを作る 午後は、リンゴの選果場を見学し、いかに安全管理がしっかりしているか説明してもらいましたが、台湾の生徒たちにはちんぷんかんぷんの様子でした。そこでいただいたリンゴを使って、両国の生徒たちがアップルパイをつくります。言葉が通じませんでしたが、見よう見まねで作業が進み、そのプロセスで生徒たちの絆も築かれていきました。

図10 紅葉を楽しむ生徒たち 夕方の自由時間には、福島近郊でショッピングを楽しみました。日本の医薬品がとても人気があり、先生方も買い込んでいました。劉校長先生は、お孫さんのためにバックパックを品定めしていました。
図11 お別れ会の夜 生徒たちが自分たちで企画したツアーも、今晩のお別れ会で終了となります。大人が考えれば、もっとこうなったのではないかと思いながらも、生徒たちが自分でつくった「おもてなし」には、別の魅力と学びがあります。お別れ会ではみんなでつくったアップルパイを食べ、いっしょにピコ太郎の「PPAP」をやって大いに盛り上がり、両国の生徒たちでお互いに感謝の言葉を交わし、日本側から写真入りのメッセージを贈り、台湾での再開を約束して、感動的に終わりました。翌朝早くに、台湾の生徒たちは福島を発ち、その日の内に台湾に戻ります。

 台湾の仲間が帰国した数日後、「とんでもないこと」が判明し、このツアーの意味を考えさせられることになります。