学び!と美術

学び!と美術

「ひらめき」が生まれる授業
2021.03.10
学び!と美術 <Vol.103>
「ひらめき」が生まれる授業
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 「いいこと考えた!」造形活動で必ず聞こえる声です。多くの先生方が、この何か「ひらめいた」ときの声を楽しみに授業をしているといっても過言ではないでしょう(※1)
 近年の認知科学において、「ひらめき」は「個人の才能」というよりも、試行錯誤や協働性などをもとにした「どこにでもある」現象だととらえるのが主流だそうです。阿部慶賀先生の「創造性はどこからくるか 潜在処理、外的資源、身体性から考える(※2)」という本をもとにしながら、子どもの「ひらめき」が生まれる授業について考えてみましょう。

なぜ「ひらめいた」と思うのか

 人は何かを思いついた瞬間を味わった経験があります。そのとき、多くの人は突然「ひらめいた!」と思います。しかし、それは突然ではなく、人が正解に近づいていることを「自覚できない」ことによって起きる感覚のようです。
 本書では、「着実な進歩」が自分の中で起こっているのに「自覚することができない」事例が複数示されています。例えば「43□」「51□」など、三桁の数字の空欄□を言い当てる課題で、三桁の数字を連続して提示すると、人の眼球の動きは、まず、4-3-□、5-1-□、のように横に動きます。でも、答えは、三桁の数字の関連ではなく、□が一定の規則で進むことです(例:4→7→0→3)。そのうち、眼球の動きは□だけを追い始め、縦に動くようになります。そして、正解にたどりついたとき「ひらめいた!」となります。
 このとき重要なのは、正解を発見した時に目の動きが変わるのではなく、それ以前に変わり始めていることです。「ひらめく」ための準備は着々と進んでおり、それが眼球の動きとして示されるのです。しかし、人はそれを自覚することはできないので、「ひらめき」が突然生じたように感じるわけです。
 確かに、授業が始まったとたんに「いいこと考えた!」と叫ぶ子どもには出会ったことはありません。「いいこと考えた!」は、しばらく授業が進んでから聞かれる言葉であり、経験的には授業の2/3程度の頃です。それは突然生まれるのではなく、一定の時間が必要であることを示しています。すると「いいこと考えた!」は、「子どもが発想した瞬間」ととらえるだけでなく、それまでに「ぼく、いろんなことやってみたよ」という「その前」の「かけがえのなさ」を表している言葉だと考えた方がよいでしょう。

「ひらめく」ために必要な資源

 「ひらめく」ために必要な資源とはどのようなものでしょうか。本書が挙げるのは、場所や時間、協働する友人や拡張する身体などです。

作業環境
 作業環境には、ある程度の広さ、適度な乱雑さ、適度なにぎやかさ、適切な雰囲気などが必要です。本書では、天井の高さによって活性化される概念が異なったり、完全に静かであるよりも適度に会話や音があった方が好成績を出したりする事例が紹介されています(※3)
 少々都合のよい解釈かもしれませんが、図工室や美術室は、たいてい広くて、様々な材料や道具などが置いてあって、いろいろな声が飛び交っている空間です。「ひらめく」ための条件を満たしているかもしれません。
 また、その環境において「目標伝染(※4)」も重要です。例として挙げられているのは、大学などに導入されている「ラーニングコモンズ」と呼ばれる施設です。最近の図書室やラーニングセンターなどの共同的な学習環境では、個人を仕切らない見通しのいい空間が用意されています。勉強に励んでいる様子が見合える状況は、学習の活性化に役立つというわけです。
 図工室や美術室では、多くの場合、全員が前を向くというよりも、お互いの様子が見えるように構成されています。「ひらめき」が生まれやすい作業環境が保障されているといえるのではないでしょうか。

あたためる時間
 人は「ひらめき」の前に、試行錯誤を繰り返したり、あえて作業から離れたりします。そのような時間を、一定の役割がある「あたため」ととらえ、この時期に「無意識的処理が働いている」ことを示す研究があるようです(※5)
 まず、思考には意識的処理と、無意識的な思考の二つがあります。意識的処理は狭い範囲の情報に集中し、トップダウン的で収束的です。一方、無意識的処理は、多数の情報を並列的に処理し、ボトムアップ的で発散的です。この二つが並行に作動しているとしましょう。その上で、いろいろな実験をしたところ、意識的処理が止まっている時期に潜在的な情報処理が行われていることや、無意識処理の方が多様なアイデアを探索できることなどが分かったそうです。「あたため」の時間は有効なのです。
 図画工作や美術の授業で、子どもたちが最も多く時間をかけるのは「試行錯誤の時間」でしょう。時には「ぼ~っ」としているだけの様子を見せることもあります。このような時間が「ひらめく」ための潜在的な解決への準備の時間=「あたため」だとすれば、もっと大切にしてもよいのかもしれません。

言葉やスケッチ
 言語化やスケッチも「ひらめき」を助けるために有効だそうです。言語化は、振り返りや理解だけでなく、探索活動を広げたり、新しい視点を獲得したりすることにつながります。スケッチは、自分のアイデアを視覚化することで再探索や再解釈を容易にします。また、図式化によって問題の新しい側面の発見や、多様な角度から見直すことなどが可能になるようです(※6)
 中学校美術科の解説書では、他者と交流し合うことが主題を深めるために重要で、構想を伝えたり,その感想や評価などを受け取ったりすることが有効に働くとされています。アイデアスケッチが自分の考えを広げたり、発想や構想を整理したりする効果があることも指摘されています(※7)。図画工作の解説書でも、話し合ったり,言葉で整理したりするなどの重要性が示されています(※8)。ただ、小学生の場合、アイデアスケッチは「一つの表現として完結」しがちで,むしろ発想や技能などの広がりを妨げる場合があることも指摘されています。本書の知見に基づけば、新しい側面の発見や見直しなどに目的を絞り、簡単なスケッチに留めるのが適切でしょう。

大事な「他者」
 本書では「他者」や協働性が「ひらめき」に欠かせないことが言及されています。人は本来的に「他者」の振る舞いをもとに自分の方略を検討する生き物であり、観察や対話など「他者」との協働的な行為から問題をとらえ直し「ひらめき」につなげるというわけです(※9)
 特に、文字通りの「他人」よりは、協同作業の経験がある「仲間」の方が、問題解決には有効だとする研究は興味深いと思いました(※10)。それは、図工室や美術室で「友達」と一緒に学習することの大切さを再確認させてくれたからです。
 そもそも「私」は「他者」がないと成立しません。世界に一人しかいなければ「(他の誰でもない)私」という意識を持つことは不可能です。「私」と「他者」は、お互いを成り立たせている共通の資源だととらえ、指導を工夫したいものです。

何より身体
 「ひらめく」ために身体は重要です。思考や判断と身体は常に不可分に結びついています。
 本書では、見知らぬ人の印象評価をさせるときに、「温かい飲み物」を持たせると「温かい性格の人だ」と評価する傾向がある(!)ことが紹介されています。触覚の思考や判断に対する影響は、手触り感、座り心地などでも生じるようです(※11)
 図画工作や美術では、材料の手触りや筆跡などを重視した題材がありますが、それは知覚自体を豊かにするだけでなく、思考や判断など造形活動全体に影響するといえるでしょう。
 また、人が漢字を思い出そうと「空書き」するように、「私たちの記憶や表象には運動の成分(※12)」が含まれており、創造的な思考へ影響があることも指摘されています。
 以前、子どもが紙の上でしきりに「空書き」をしている場面を見たことがあります。それは「音を色や形で表現する」ためのアイデアの現れでした(※13)。子どもたちの動作が、本人も自覚していない「心の変化の発露」や「思考を方向付けでガイドする営み」だとすれば(※14)、指導に生かさない手はないでしょう。
 さらに、人は用いる道具と一体化します(※15)。身近な例でいえば、砂利道を感じるのはタイヤなのに、私たちは自分で感じていると思います(※16)。自動車の四隅の感覚は、運転するときには容易につかめても、後部座席に座ると消えてしまいます。
 図画工作では、子どもたちが金槌や彫刻刀などの用具と一体化したり、自らの身体を用いて材料とアイデアの関係を確かめたりする姿がふんだんに見られます。子どもたちが自らの身体を活性化させながら、材料や用具などに働きかけ、様々な情報を得ながら「ひらめき」を獲得する姿を、ぜひ学習評価につなげたいものです。

「いいこと考えた!」が生まれる授業を目指して

 「いいこと考えた!」が授業で生まれるために何が必要でしょうか。本稿で検討したことをもとにすれば、まず「ひらめき」を個人の仕業だと考えずに、時間や空間、友達や協働性、感覚や身体など、多層な資源のつながりによって起きる出来事だと考えることでしょう(※17)。以前、本連載で検討したように、授業で取り扱う知識や概念が複数の資源で構築されていることもふまえる必要があると思います(※18)
 その上で、「ひらめく」授業をデザインするのは「教師」です(※19)。どこで活動を行うか、友達との交流をどのように設定するか、どの程度の時間を配分するのかなど、学習者の「ひらめき」が起きるように、多角的に授業をデザインすることが大切だと思います。そこで生まれる「いいこと考えた!」は「教師」へのご褒美です。その言葉を楽しむように、子どもたちの造形活動と付き合いたいものです。

※1:「ひらめく」瞬間をどのようにとらえるかによって指導の在り方は異なります。「ひらめき」を「独創的な個人の行い」と考える人にとっては、協働性よりも静かに熟考することの方が重要でしょう。一方、友達が欠かせないと考える先生であればディスカッションやコミュニケーションを重視するでしょう。
※2:阿部慶賀著『日本認知科学会 越境する認知科学2 創造性はどこからくるか 潜在処理、外的資源、身体性から考える』共立出版 2019
※3:前掲書pp.61-71
※4:他者の姿が視界に入っているだけで自分の行動まで変化すること。「私たちは意識せずに周囲で行動する人物の目標を推察し、それによって自身の行動も変えてしまう」前掲書p.67
※5:前掲書p.46
※6:「他者とのアイデアと情報の共有から生じる意見の違いが、新しい問題解決への視点を生み、発見のきっかけとなることもある」前掲書p.84
※7:文部科学省「中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 美術編」日本文教出版 2018
※8:低学年では「言葉や動作など」が一体的であること、無理に言語化するよりも「自然に発する言葉に着目」することなど、発達に応じた配慮が加えられてます。文部科学省「小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 図画工作編」日本文教出版 2018
※9:「他者」の試行の観察、仮説を出し合って根拠を説明するなどの活動。前掲書pp.85-87
※10:ある実験で、ペアで作業した場合に、協同的な経験のある方が問題解決をしやすい結果が示されています。前掲書p.89
※11:前掲書p.107
※12:前掲書p.110
※13:写真1:指をはねるように何度も動かしています。写真2:「下描き」カラーペンで描かれた線の端がかすれています。写真3:作品題名「合奏」音をあらわす様々な線が交差しています。筆のかすれがポイントです。奥村高明『マナビズム―「知識」は変化し、「学力」は進化する』東洋館出版 2018 pp.173-175
※14:前掲書p.120
※15:前掲書pp.123-132には、高い帽子をかぶったシェフが厨房やホールを自在に移動する例や、熊手を使用できる状況になると脳活動の範囲が拡大するニホンザルの例など、興味深い例が掲載されています。
※16:市川浩は、私たちが道具をいつのまにか身に組み込み、身体化していることを指摘しています。(市川浩『〈身の構造〉』講談社学術文庫 1993)
※17:一定のヒントや画像の提示など知識的な事項も有効です。
※18:学び!と美術<Vol.92>『問いが生まれる知識の構造~バンコク調査報告(2)~』
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art092/
※19:ある先生が等々と説明をしていると、「先生、ぼく考えることなくなっちゃうよ」と言ったそうですが、そのようにはなりたくないですね。