学び!と美術

学び!と美術

美術鑑賞の現在地~前編(1980~2000)
2021.04.12
学び!と美術 <Vol.104>
美術鑑賞の現在地~前編(1980~2000)
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 美術鑑賞の現在地を確認するために、1980年以降の美術鑑賞について振り返りたいと思います。正確な教育史的位置づけは、多くの方が著書や研究等で発表されていますので、ここでは筆者の見えた風景を振り返りながらまとめます。なお、個人的な取り組みが含まれるので雑感めいた話になることをお許しください。

1980年代~美術鑑賞の授業

ギュスターヴ・クールベ『嵐の後のエトルタの断崖』1870年 オルセー美術館蔵 1982年、私は中学校美術教員として採用されました。ひたすら、ポスターや絵画など「A表現」の授業に取り組んでいました。初めて鑑賞の授業をしたのは1983年1月、学校訪問の日にクールベの風景画(※1)と浮世絵を比較鑑賞する授業でした(※2)。進行は教師、空の色の違いなどから気候や湿度、風土や文化などを観点に生徒の意見をまとめる教師主導型の学習でした。
 記憶として残っているのは、最後まで怖い顔で指導主事の先生が座って参観していたことと、あまりうまくいかず「前のクラスではうまくいったのになあ……」という残念な思いの二つです。その後、人前で鑑賞の授業を行うことはありませんでした。

当時の指導案恥ずかしい内容ですが、採用1年目ということでご容赦ください

 1980年代、学校で行われていた鑑賞教育は、おおむねこのようなものだったと思います。教育研究会で美術鑑賞が話題になることもなく、私の目標も「平面構成」「風景画」「ポスター」などで立派な作品を完成させることでした。

1990年代~鑑賞教育との再会

 その後、1990年、僻地の小学校教員を経て、附属小学校に異動します。実習校ですから、教育実習中は、毎日学生に国語や社会、算数などの授業を見せていました。授業研究会では図工部でしたが、研究授業では、毎回、他教科からの容赦ない指摘が飛んできました。ずいぶん授業技術を鍛えられたように思います。
 ただ鑑賞の授業は行いませんでした。興味があったのは、「新しい学力観」と「造形遊び」で、その実現を目指した表現活動です。その成果を調べるために自己流で始めたビデオ分析が、「相互行為分析」や「状況論」として学問的に確立していたことを知ったのも、この頃でした(※3)
 1990年代中頃あたりから、美術教育の学会に参加し始めます。鑑賞教育の研究が増えていることを知り、愛知教育大の藤江充先生からアートゲームを教えてもらったり、美術作品鑑賞の研究発表を聞いたりしました。「小学校の普通の国語や社会の授業と変わらないのに、研究する意味があるのか」と失礼な発言をして、ずいぶん叱られた記憶もあります。
 でも、「鑑賞学習で求められる教師のスキルは、学校の授業と同じ」という考えは今も変わりません。例えば「意見を認める」「意見をつなぐ」「参加者の言葉でまとめる」などはどちらも大事で、基盤の部分は共通していると思います。
 1998年、学習指導要領の作成協力者に加わります(※4)。鑑賞の議論をしたときに「視覚だけでは鑑賞しない。子どもは身体全体を働かせている」と鑑賞の身体性を主張しました。当時月刊誌の編集を担当していましたが(※5)、佐賀県の先生に陶芸の名人の制作風景を鑑賞する授業をしてもらって「ろくろを回している時に、粘土が伸びると自分の首を伸ばす子ども」の姿を確認した思い出があります(※6)
 それが反映されて、平成元年学習指導要領「第2 各学年の目標及び内容」のB鑑賞に鑑賞の対象として「親しみのある美術作品や製作の過程など」と「製作の過程」が入りました。学習指導要領解説書には「器などをつくる人の様子を見る児童の姿は、体全体の感覚を働かせて見入ると言われる」と記述されました(※7)
 1990年代は、じわじわと鑑賞教育の研究や実践が増えていった時代でしょう。学習指導要領にも、「第3 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱い」に、鑑賞学習を「必要がある場合には、独立して行うようにする」と入り、博物館活用の視点から「地域の美術館などを利用すること」という文言も加えられました。

2000年代~鑑賞教育の実践

 2000年に中学校美術教諭に戻ります。この頃から、依頼されて対話型の鑑賞授業を行ったり、関連図書を購入し勉強したりしました。ただ「見様見真似」のレベルに過ぎず、本腰を入れたのは2003年宮崎県立美術館の学芸員になってからです。ギャラリートーク、アートゲーム、地域との関連という視点から振り返ってみます。

対話的なギャラリートーク

 当時、宮崎県立美術館では学芸員が当番でギャラリートークをしていました。しかし、一方的な解説型だったので、会議で「もっと対話を取り入れるべきだ」と意見をしました。当初、懐疑的だった先輩学芸員も、解説の間に参加者の意見を尋ねるようになり「けっこうおもしろいね」と言ってくれるようになりました。「ギャラリートークは何か正解があるわけではなく、その人なりの方法でよい」と思いました。
 自分が当番の日は、ひたすらオープンエンドなトークを進めていました。その方法は、小学校教員時代に培った授業技術です。主な留意点は

  • まず教材研究をすること
  • 参加者の意見は表面的なもので、本当に言いたいことはその奥にあること
  • それを引き出すように話し合いを深めていくこと

などです。対話型鑑賞の全国的な研修会に参加し、考え方や技法を整理できたのもこの時期です。
 美術館でのギャラリートークは、毎回のように発見があって楽しみでした。例えば同じ日本人が描いた絵でも、洋画と日本画では、参加者の話題が変わります。洋画だと描かれた人物の個性や人物史に話が進むのですが(※8)、日本画だと描かれた植物や着物の柄など季節や風物の話に進みます(※9)。トークの主題は、鑑賞者の経験や文化を背景に生まれるのです。
 また、鑑賞者の言葉に「はっ」とすることも多く経験しました。例えば、点描で描かれた2mほどの瑛九の絶筆「つばさ(※10)」の前でおばあさんがしばらくたたずんで「吸い込まれるようだね……」とつぶやくのです。確かに瑛九はその絵を描いて空に昇ったのです。
 トルッビアーニの抽象彫刻作品の主題を、小学2年生が言い当てたこともありました。「どうしてそう思ったのと!」と尋ねると、形から分かることを組み合わせと教えてくれました(※11)。子どもは、いつも先入観なしに作品を味わい、探索的に見ます。それが美術鑑賞に有効に働いて、主題にたどり着くのでしょう。そのような姿は子どもや高齢の女性に多く見られました。

アートカードをはじめとした様々な鑑賞法

宮崎県立美術館で用いた手作りのアートカード 学会で藤江先生にそんな話をしていたら「奥村君、対話だけじゃないよね?」と言われて、アートゲームにも取り組みました。収蔵作品の絵ハガキを集め、手作りのアートカードセットをつくり、出前授業や研修会などで活用しました。名古屋市美術館や滋賀県立美術館の実践を参考にしました(※12)
 展示室に入ってきた子どもが、ある絵を指さして「あ、俺の!」と叫んだ声は、今も耳に残っています。それは、出前授業で自分が遊んだアートカードの絵でした。「いや、君のじゃないから……」と心の中で突っ込みつつ、おそらく「自分の手に持った」ことが、作品を「自分」のように感じた理由でしょう。手に持つことによって作品と一体化するのがアートカードの効果だと思います。
 夏休みになると、宮崎県立美術館は「たんけんミュージアム(※13)」という教育普及的な展覧会を開催していました。学芸員全員で知恵を出し合って、作品ごとに鑑賞法を工夫し、仕掛けや資料などを作成します。高いところに登って作品を見たり、作品の前で手作りの楽器を鳴らしたり、展覧会場はにぎやかになるのですが、親子の幸せそうな姿が見られる大好きな展覧会でした。この展覧会を通して、いろいろな鑑賞方法を学びました。
 鑑賞者の動きを定点観測したのもこの頃です。その結果、「遠足のついでに来た小学生」の動線と、「アートカードなどで出前授業を経験した小学生」の動線が異なることが分かりました(※14)。気づかせてくれたのは、展示室に座っている「監視さん」の言葉です。「今日の子どもたちは、作品の前に立っているねえ」と教えてくれたのです。彼女らは、来館者を常に観察し、様々な情報を蓄積しており「頼りになる存在」でした。美術館の貴重な鑑賞資源として成立していたと思います。

「遠足のついでに来た小学生」の動線「出前授業を経験した小学生」の動線、
作品の前で止まっていることが分かる

地域と美術館

 北海道出張で、ある美術館の学芸課長が語った「かつて美術品は地域の中にありました。地域全体を美術館と考えてはどうでしょうか?(※15)」という言葉は今も忘れられません。
 美術館の中にだけ美術品があるわけではないのです。学校ができると「勉強」や「しつけ」など教育のほとんどが学校に吸い込まれますが、同様に、美術館ができると「保存のノウハウ」「売買ネットワーク」「鑑賞方法」なども美術館に吸い込まれます。美術館は地域の結節点としてとらえ、それを開いていく仕組みや組織などが必要だと思いました。
 ちょうど、街づくりの活動に参加していたので、個人的な実践に取り組みました。「みやざき子ども文化センター」(※16)の事業に参加し、商店街に設置されている彫刻や、仕立て屋さんの服をつくる「動き」などが「街の美術品だ」と定義し、それを鑑賞する「街角美術館」を実施したのです。子どもたちが街角の美術品を認定する「認定・街角美術館」まで行いたかったのですが、それは実現しませんでした(※17)

 2000年代前半は、学校で鑑賞を独立して取り扱えるようになったこと、美術館と学校の連携の視点が加わったこと、美術館の経営に伴う普及活動への着目など、学校と美術館の両方で美術鑑賞に対する関心が高まっていった時代でしょう。美術鑑賞の雑誌も発行されていました(※18)し、自分自身の実践も一気に充実していくことになります。
 その後、2005年に文部科学省の教科調査官として直接学習指導要領の作成に携わることになり鑑賞教育により深く関わっていくようになります(以下次号)。

※1:ギュスターヴ・クールベ『嵐の後のエトルタの断崖』1870年 オルセー美術館蔵
※2:授業前後のアンケート調査

※3:宮崎大学教育学部の上山先生(当時、現:三重大学)から『現代思想 1991年6月号 特集 教育に何ができるか 状況論アプロ―チ』共立出版を紹介してもらいました。
※4:平成10年小学校学習指導要領解説図画工作編作成協力者
※5:小学館が発行する「月刊教育技術」には巻末に授業実践が掲載されていたが、その高学年担当で、いろいろな先生に実践をお願いしていました。
※6:板良敷敏・奥村高明 編 東脊振村立東脊振小学校(現:吉野ヶ里町立東脊振小学校) 樋口和美(現:福岡女子短期大学)著「図画工作科 粘土に生命(いのち)がふきこまれたよ!!」『小六教育技術9月号』小学館(1998)
※7:文部科学省『小学校学習指導要領解説 図画工作編』日本文教出版(1999)
※8:鱸利彦『厨房の伊太利娘』
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/details/view/945
※9:丸田省吾『おしろい花』
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/details/view/700
※10:みやざきデジタルミュージアム
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/details/view/1077
※11:トルッビアーニの彫刻のお話は、図工のみかた<06号>「学習指導要領 思考力、判断力、表現力ってなんだ?②」でも触れています。
https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/zuko-mikata/zuko-mikata06/
※12:アートカードの経緯は以下論文が詳しい。深澤悠里亜『アートカードを使用した鑑賞法の研究―アートカードの分析と使用法の考察―』大学美術教育学会「美術教育学研究」第49号(2017) pp.337–344
https://www.jstage.jst.go.jp/article/uaesj/49/1/49_337/_pdf/-char/ja
※13:以下に詳しい。「特集 こうあるべきだのミュージアム像から、少し離れて1 宮崎県立美術館の10年「たんけんミュージアム」の冒険は続く!?」「特集 こうあるべきだのミュージアム像から、少し離れて3 作品も観客も仕掛けも、すべてが等しい教育資源 宮崎県立美術館/ユニークな鑑賞研究」『ミュージアムマガジン・ドーム 79』日本文教出版(2005)
※14:奥村高明「状況的実践としての鑑賞―美術館における子どもの鑑賞活動の分析-」美術科教育学会『美術教育学第26号』(2005)
※15:その優れた実践の一つが台湾にあります。学び!と美術<Vol.81>「美術館を開く~台湾、北師美術館の挑戦~」
https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/art/art081/
※16:NPO法人「みやざき子ども文化センター」代表 片野坂 千鶴子
「まちで学び、まちで遊ぶ」。宮崎市の橘通にある熊本洋服店、日高本店前モニュメントなどをギャラリートークしながら子供たちと見て回わりました。

※17:2007年に埼玉県加須市立加須小学校(校長:坂田英昭)の栗城敦志先生が中心となって「まちかど美術館」を実現してくれます。
※18:前掲書13 『ミュージアムマガジン・ドーム』日本文教出版