学び!と美術

学び!と美術

感性の理由
2014.06.10
学び!と美術 <Vol.22>
感性の理由
奥村 高明(おくむら・たかあき)

 小中一貫校に関わって6・3制や教育課程の弾力化や法改正が話題になっています。小学校と中学校の、教科や免許の関係が検討されるようです。以前よりも変化のスピードが速い感じがします。このようなとき、私たちはどのように報道や情報に接すればよいのでしょうか。このことについて学習指導要領の「感性」という用語から考えてみましょう。

学習指導要領の用語

 学習指導要領で使われる用語は最大公約数的な性格を持っています。一般に用いられている以上でも以下でもありません。特殊な使われ方もしません。もし、特殊な意味を持たせ、用法を限定したら、学習指導要領として役に立たないでしょう。素直に「あ、感性ね」という感じで使われることが前提です。
 でも、「感性」という言葉は、使う人や場面などでかなり意味が異なる言葉です。感覚という意味で使われたり、感情や感受性、あるいは直感という意味でも用いられたりします。「よく分からない」「説明できないけど大事」というような場面でも使われますから、状況的で幅のある言葉です。
 では、「『感性』とは何ぞや」と突き詰めたほうがいいのでしょうか。いいえ、それは学者さんたちの仕事です。現場で取り組んでも、哲学論議に陥るだけで、生産的ではありません。大事なのは、その言葉を用いた理由です。

平成10年改訂の「感性」

 図画工作・美術で「感性」が議論されたのは平成10年です。教科の改善の基本方針に「感性を育てる」という文言が入っています。でも、学習指導要領の目標に入ったのは中学校だけでした。なぜでしょう。
 当時主催した研究大会での「感性」に関するパネルディスカッションを紹介しましょう。小学校のパネラーは「感性は好ましくない」と述べ、中学校のパネラーは「感性は必要だ」と述べ、すっかり対立しました。
 小学校の理由は、「感性」を言いすぎると、感性VS知性となり、子どもの造形活動の知的側面が無視され、子どもの造形活動が曖昧な世界に押し込められるというものでした。それに「感性を育てる」と言うと、そこに「大人の思う感性」が忍び込み、それを押し付け、子どもの感覚や感じ方を阻害するというわけです。
 中学校の理由は、子どもは道具を用いるとき、全身を道具化させ、その動きや知覚、思考などを働かせながらつくっており、それは「感性」と呼ぶのがふさわしいというものでした。また、私たちには他国にない「日本人の感性」などもある、文化を学ぶという意味で「感性」は必要だというわけです。
おそらく、平成10年当時、同じような議論が行われたはずです。でも議論は熟せず、小学校に「感性」を入れることは見送られたのでしょう。

平成20年改訂と「感性」

 当時、中教審では「図画工作や美術の時間は必要か」「ものづくりは大事だ」「時間を削減してはどうか」「日本人としての感性や伝統や文化はどうする」などの議論が行われていました。一方、一部の現場では、子どもの感覚や感じ方、あるいは思いを無視して、先生の思い通りに絵を描かせる実践が行われていました。「感性」は再び、図画工作・美術で重要な問題として浮上していたのです。
 協力者会議や教科調査官同士、何度も議論しました。「『感性』を指導内容としてとらえるのか」「『感性』を指導できるのか」「『感性』は能力か」「いや、働きとして表れる」など、いろいろな検討が行われました。そして、最終的に、小学校と中学校の発達の特性の違いを踏まえて「感性」を設定したのです。主な理由は以下です。

 小学生は、まだ文化に染まりきっていません。子どもは、その子らしい感情や感覚、直感などをもとに、友達や周囲の環境とかかわり合い、学習活動を展開しています。そこで有意に働いているのが「感性」であり、指導内容というよりも、「子どもの感性」と呼んだ方が適切な、能力とも文化とも言い切れぬ「何か」です。そこで、小学校では目標を「表現及び鑑賞の活動を通して,感性を働かせながら,つくりだす喜びを味わうようにするとともに,造形的な創造活動の基礎的な能力を培い,豊かな情操を養う」とし、働きを重視した設定を行いました。そして、解説で「児童の感覚や感じ方,表現の思いなど,自分の感性を十分に働かせる」と述べ、子ども自身の感性が働くような学習を目指そうとしました。

 しかし、中学生ともなれば、メタ認知も確立し、自分をもう一人の自分から見つめ直す「自我像(※1)」を描いたり、何気ない風景から光を見つけ出し、そこに感情や命を描き出したりします(※2)。歴史や社会の知識をもとに、自分や他者、文化などに潜む「感性」を操って学習を展開することも可能です。そこで、中学校では目標における設定は変更せず、解説で「感性」を「様々な対象・事象からよさや美しさなどの価値や心情などを感じ取る力であり,知性と一体化して人間性や創造性の根幹をなすもの」として「感性」が単に働くだけでなく、それ自体が能力であり、これを育て、高めることが重要であることを明確にしました。また「感性はその時代,国や地域などに見られる美意識や価値観,文化などの影響を受けながら育成される」と文化的な側面もおさえています。

改訂の向う

 「感性」という学習指導要領の文言を取り上げて、改訂の背景を検討しました。そこには、時代や社会の要求や、子どもの実態や発達などがありました。何より、小学校ではもっと子どもたちの「感性」を働かせてほしい、それを踏まえて中学校では文化に関わりながら「感性」を自らの力としてほしいという願いがありました。「感性」は、教育現場の実践を改善する有効なツールとして送り出されたメッセージだったのです。
 これから教育課程の改善や法改正などが、ますます議論されるでしょう。その中の、どんなささやかな変更にも、何らかの意図や願いがあります。流れてくるニュースや情報に対して、感情的に反応するのではなく、そこにどんな意味があるのか考えたり、現場で何が起きるのかなどを想像したりするのも一つの方法です。そこからの冷静な議論が、世論形成につながると思います。

 

※1:「自我」を表す自画像。自分とは何かを見つめて、そこから表現方法を考えて自分を描く題材。一見して顔と分からないものから、写実的な表現まで様々な表現が生まれる。
※2:学び!と美術 <Vol.11>「描写のできること」(2013.7)の注の9を参照してほしい。